後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の日記、ドイツパンの店と谷保天満宮に行く」

2019年12月21日 | 日記
今日は朝から曇り日で最高気温が10度と寒い日です。午後から国立市の富士見通りにあるドイツパンの店、「ベッカライしゅんた」に行き、南ドイツのシュツットガルト風のパンを買ってきました。
昔、1969年から1970年にかけてシュツットガルト市に住んでいたので懐かしいパンでした。店の情報は、https://mrs.living.jp/tama/town_gourmet/reporter/3019327 にあります。
その後南に下り国立市谷保の天神さまの中を散歩しました。
現在は甲州街道に面して鳥居がありますが、本殿は鳥居から長い石段を下った所にあります。このように変な配置になっているのは昔の甲州街道が本殿の前を通っていたためです。
明治以後甲州街道を拡幅し、北側の丘の上に移動させたので本殿が鳥居の遥か下になったようです。
この神社の脇には広い梅園がありますがまだ蕾も固く閉じたままでした。
ドイツパンの店、「ベッカライしゅんた」と谷保の天神さまの写真をお送りいたします。









欧米と日本で人間の絆は違う!

2019年12月21日 | 日記・エッセイ・コラム
時々私は欧米と日本で人間の絆は違うと感じることがあります。
欧米では人間の絆にしばしば神が介在しているように感じます。キリスト教の影響でしょう。
一方仏教国の日本では人間の絆に神が介在していません。日本の人間関係は社会の習慣できまることが多いゆおうです。
このように書くとあまりにも抽象的で何を言いたいか分からないと思います。
そこで人間の絆の違いの例を示したいと思います。
それは学校の同窓会や同級会に見られる人間の絆です。
分かり易く結論を先に書けば、欧米では同窓会や同級会による人間の絆は存在しません。日本のように強い人間の絆が無いのです。
一方、日本ではある学校を卒業すると全員が自動的にその学校の同窓会に入ります。そしてその後の社会生活でも「同窓生のよしみ」でいろいろなことが期待されます。
同窓生は学校の部活への寄付を一生期待されます。同窓生同士も同じ学校を出たという絆を尊重します。
勿論このような絆に反発する人も少なくありません。
しかし何故、同窓会のことを書くかというと、欧米では日本ほど強固な同窓会の組織もありません。確かに数年おきにアメリカの大学から寄付の案内も来ますが無視しても良いような文面なのです。
日本では同窓会に関連して同級会もあります。これは同じクラスとして何年間か同じ勉強をした仲間なので絆が強いものです。
同級会には小学校、新制中学校、高校、大学とあります。私はそれぞれの同級会を大切にしています。
同級会は出席すると楽しいのです。
生まれつき社交的でない性格の私にとっては同級会の仲間だけは気軽に楽しく話しあえるのです。大学の同級会には毎回出席していました。
このような学校という組織で出来た人間の絆が強いのは日本や韓国や中国などの社会特有の文化のようです。
例えば新聞やマスコミで有名人を紹介するとき必ず卒業した大学の名を書く習慣です。
そしてその大学で働いていれば、東大教授、早稲田大教授とか表記するのです。しかしその専門分野を書かないのです。
出身大学を書く習慣は日本の悪習です。これでは高校や中学までしか行っていない人はどうするのでしょうか?私は いきどうりを感じていす。
欧米では人間の絆は組織を離れ、個人個人が作るものです。当然、日本のような同級会はありません。
しかし若い頃通っていた学校を懐かしいと思う卒業生もいます。そこでアメリカでは毎年、ホーム・カムイング・ディーと称する日に希望する同窓生が学校に帰って来て、いろいろなイベントに参加します。しかし日本のような半分、強制的な雰囲気ではありません。
日本文化で無意識ながら重要な概念は「運命共同体」というものです。同じ学校を卒業したのも前世からの縁です。運命です。
ですからそこには強い人間の絆がある筈です。雑に言えばこのようないきさつで同窓会や同級会は日本や韓国や中国では重要な意味を持っているのではないでしょうか?そこで出来た人間の絆は強いのではないでしょうか?

こういうことを書くとまた叱られますが、戦死した人は皆靖国神社に祀られるのは日本人として生まれた運命共同体だからなのでしょう。
しかし一方、人間の絆には農村における絆やインターネットで出来た人間の絆などといろいろあります。ですから上に書いたことは単に私の個人的な感想に過ぎないのかも分かりません。
考えてみると日本と欧米で同じような人間の絆もあります。
その一つは夫婦です。
まったくの赤の他人同士だった2人が一緒になって何十年死ぬまで暮らして行くのですから、これほど不思議な絆はありません。
一緒になる2人が外国人同士だろうが親子ほど年が離れていても一向に関係なく添い遂げるのですから不思議です。
血を分けた母子の絆や父と子供の絆の強さは容易に理解出来ますが、夫婦の場合は全く他人同士なのです。
それから最近増えてきたものに同性婚という絆もあります。
私の友人に同性婚をしていた人がいます。人間性が良く知的で、暖かい心を持った人です。

それにしてもいろいろな人間の絆を考えると不思議な気分になります。背後に神の存在があるのでしょうか?

今日の挿し絵はポール・セザンヌの油彩画です。記事の内容とは関係ありません。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)