ネットの上で十年以上交流しているある女性の父は太平洋戦争で南の島で戦死しました。
今日は、この方と私のコメントの交換をご紹介したいと思います。
私は2016年12月29日に「嗚呼、これで太平洋戦争がやっと本当に終わった!」という記事を掲載致しました。
この記事の冒頭部分はこうでした。
「今年は8月に広島の原爆犠牲者の慰霊祭にオバマ大統領が来て花輪を捧げ慰霊の祈りを捧げました。
そして昨日は安倍総理大臣が真珠湾攻撃の犠牲者の慰霊碑に花輪を捧げ祈りました。
このどちらの場合も安倍総理とオバマ大統領が一緒に祈ったのです。
・・・
私の心でも原爆投下は絶対に許せないと叫んでいました。私の心は宣戦布告無しの真珠湾攻撃の卑怯さに暗い気持ちになっていました。
しかし安倍総理とオバマ大統領が一緒に広島と真珠湾でそれぞれの犠牲者に慰霊の祈りを捧げたのです。
これで太平洋戦争の全ての悲劇が無になる訳ではありません。しかし少なくとも私の心の中の太平洋戦争が少し終わったという気持ちになれました。」・・・
この私の記事の続きは省略いたします。
上の記事に対してネットの上で交流していたある女性から次のようなコメントを頂いたのです。
====終結を迎えられない者も、2016-12-30 ====================
負け戦と分かりながら遠い南国の島へ送り込まれ、食料も与えられず犬死した数知れぬ兵士は未だ餓島に見捨てられたままです。戦争犠牲者の遺族に太平洋戦争の終結はありません。
安倍首相を始め稲田防衛相、そして太平洋戦争はこれで終わったと主張される方々は、戦争を知らない方や犠牲を受けておられない幸せな方々です。
私たち戦争犠牲者の遺族の立場や、今も尚、北朝鮮に身内を拉致されたままの家族の心情は、筆舌では尽くせないものでです。今も苦しんでいますが、国政では無視されていると思えてなりません。
考えようによっては軽薄なコメントですが、素通り出来ずコメントをお送りさせていただきます。お許しくださいませ。
============================================
このコメントを受けた私は彼女のブログへ悲しみを消すためにも気持ちの整理があっても良いのではないでしょうかという趣旨のコメントを投稿しました。
それに対して以下のようなご返事を頂きました。
===父が戦死したある女性の方からの返事======================
「戦死ではないのです!」
後藤和弘さま、
「カロリン諸島にて壮絶な戦死を遂げた」と国からの証が届き、母は戦死を信じて他界しました。しかし、戦後71年目にして国へ父の戦争履歴を請求したところ、戦死ではなく食料が与えられなくて、栄養失調で死んだことが分りました。明らかに餓死です。
このような戦争遺児が事実を知って国を許せますか。アメリカに殺されたのなら諦めますが、日本に殺されたのです。
母は父のいない家族を支えるために日雇い労働者を続けました。
そのような苦労を知らない政治家や賢い方々には解らない悲しみです!
======================================
戦後何十年経過しても、まだまだ前の戦争が心の中で終わっていない人々が沢山居るのです。
戦争の悲しみを忘れられない人々が沖縄にも居ます。いや日本中に居るのです。
そして外国に想いを馳せれば韓国や中国にも居ます。いや全世界に沢山居るのです。
2020年04月25日に掲載した「昭和時代の悲劇(3)第二次大戦で310万人の犠牲者を出した日本」 という記事では230万人の日本兵が戦死したと書きました。
このように兵員の死亡が多いのは補給も救助もない戦地に只々送り出した軍部の非情な方針が招いた悲劇です。
遺族の心の中では戦争の悲しみ永遠に消えないのです。これも昭和時代の悲劇なのです。
今日の挿し絵代わりの写真は昨日、日野市の蚕糸の森公園で撮った新緑の平和な風景の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
今日は、この方と私のコメントの交換をご紹介したいと思います。
私は2016年12月29日に「嗚呼、これで太平洋戦争がやっと本当に終わった!」という記事を掲載致しました。
この記事の冒頭部分はこうでした。
「今年は8月に広島の原爆犠牲者の慰霊祭にオバマ大統領が来て花輪を捧げ慰霊の祈りを捧げました。
そして昨日は安倍総理大臣が真珠湾攻撃の犠牲者の慰霊碑に花輪を捧げ祈りました。
このどちらの場合も安倍総理とオバマ大統領が一緒に祈ったのです。
・・・
私の心でも原爆投下は絶対に許せないと叫んでいました。私の心は宣戦布告無しの真珠湾攻撃の卑怯さに暗い気持ちになっていました。
しかし安倍総理とオバマ大統領が一緒に広島と真珠湾でそれぞれの犠牲者に慰霊の祈りを捧げたのです。
これで太平洋戦争の全ての悲劇が無になる訳ではありません。しかし少なくとも私の心の中の太平洋戦争が少し終わったという気持ちになれました。」・・・
この私の記事の続きは省略いたします。
上の記事に対してネットの上で交流していたある女性から次のようなコメントを頂いたのです。
====終結を迎えられない者も、2016-12-30 ====================
負け戦と分かりながら遠い南国の島へ送り込まれ、食料も与えられず犬死した数知れぬ兵士は未だ餓島に見捨てられたままです。戦争犠牲者の遺族に太平洋戦争の終結はありません。
安倍首相を始め稲田防衛相、そして太平洋戦争はこれで終わったと主張される方々は、戦争を知らない方や犠牲を受けておられない幸せな方々です。
私たち戦争犠牲者の遺族の立場や、今も尚、北朝鮮に身内を拉致されたままの家族の心情は、筆舌では尽くせないものでです。今も苦しんでいますが、国政では無視されていると思えてなりません。
考えようによっては軽薄なコメントですが、素通り出来ずコメントをお送りさせていただきます。お許しくださいませ。
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このコメントを受けた私は彼女のブログへ悲しみを消すためにも気持ちの整理があっても良いのではないでしょうかという趣旨のコメントを投稿しました。
それに対して以下のようなご返事を頂きました。
===父が戦死したある女性の方からの返事======================
「戦死ではないのです!」
後藤和弘さま、
「カロリン諸島にて壮絶な戦死を遂げた」と国からの証が届き、母は戦死を信じて他界しました。しかし、戦後71年目にして国へ父の戦争履歴を請求したところ、戦死ではなく食料が与えられなくて、栄養失調で死んだことが分りました。明らかに餓死です。
このような戦争遺児が事実を知って国を許せますか。アメリカに殺されたのなら諦めますが、日本に殺されたのです。
母は父のいない家族を支えるために日雇い労働者を続けました。
そのような苦労を知らない政治家や賢い方々には解らない悲しみです!
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戦後何十年経過しても、まだまだ前の戦争が心の中で終わっていない人々が沢山居るのです。
戦争の悲しみを忘れられない人々が沖縄にも居ます。いや日本中に居るのです。
そして外国に想いを馳せれば韓国や中国にも居ます。いや全世界に沢山居るのです。
2020年04月25日に掲載した「昭和時代の悲劇(3)第二次大戦で310万人の犠牲者を出した日本」 という記事では230万人の日本兵が戦死したと書きました。
このように兵員の死亡が多いのは補給も救助もない戦地に只々送り出した軍部の非情な方針が招いた悲劇です。
遺族の心の中では戦争の悲しみ永遠に消えないのです。これも昭和時代の悲劇なのです。
今日の挿し絵代わりの写真は昨日、日野市の蚕糸の森公園で撮った新緑の平和な風景の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)