昭和時代の悲劇で最大のものは日本が310万人の戦争の犠牲者を出したことです。この第二次世界大戦の310万人の死者にはその数倍の家族がいたのいです。日本には悲しみの山並みがあったのです。海より深い悲しみが溢れていたのです。
そこで今日は以前紹介した船橋精一さんの「我が家のホームページ」から第二次世界大戦等の各国の戦争犠牲者数を転載致します。
この「我が家のホームページ」は以前は、http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM に存在していましたが現在は削除されています。しかし私もいろいろ調べてみましたが以下の数字はかなり正しいと確信しています。
「第二次世界大戦等の各国の戦争犠牲者数」
国 名 兵員の死亡 一般市民の死亡 行方不明 (単位 人)
日 本 約2,300,000 約800,000
アメリカ 407,828 ― ―
イギリス 353,652 90,844 60,595
フランス 166,195 174,620
ド イ ツ 2,100,000 2,900,000 500,000
イタリア 389,000 214,647 179,803
ポーランド 6,000,000(兵員の死亡と一般市民の死亡の合計)
ソ 連 20,000,000(兵員の死亡と一般市民の死亡の合計)
中 国 10,000,000(兵員の死亡と一般市民の死亡の合計)
なおこの表の日本の兵員の中に朝鮮と台湾の兵員犠牲者、約5万人を含みます。(ワールドアルマナック等より)
犠牲者数の多いのは、ソ連の2000万人、中国の1000万人、ポーランドの600万人、ドイツの550万人、日本の310万人の順になっています。
更に「シベリア抑留とは」(PDF)を検索すると第二次世界大戦の国別の膨大な捕虜の数の統計があります。
そしてシベリア抑留でドイツ兵が55万人死んだと記録されています。日本がシベリア抑留で5万人死んだと言われていますから、その10倍です。この研究は東京大学の名誉教授の藤田 勇さんによる客観的な研究結果です。
そして戦争の悲劇は敗戦後における多数の自殺者も忘れてはなりません。
ポツダム会談で敗戦後のドイツの処理案が発表された直後の4日間だけの自殺者数です。ベルリンで1200人、ライプチッヒで600人、ハンブルグで450人、ケルンで300人が自殺したと新聞に出ていたそうです。4日間だけでの総計が2550人です。
日本では愛宕山にこもった民間人10人位とその他の軍人と言われていま。
戦争には敗戦後にも大きな悲劇が起きるのです。暗然とした気持ちになります。
20世紀の人類は狂気のように殺しあったのです。国家対国家の大規模な戦争によって殺しあったのです。
昭和時代に日本は第二次世界大戦へ参戦し310万人もの戦没者を出したのです。これは日本民族の歴史において空前のことです。
こんな大きな悲劇はありませんでした。
もう一度書きますが、死んだ人には家族が居ます。犠牲者の数の数倍の人々が生涯忘れられない悲劇を背負ってしまったのです。
戦争は想像を絶する悲劇を生むのです。戦争を廃絶する祈りを続けることが重要です。その為には何度も、何度も今日示した戦争犠牲者数を見て考えてみましょう。皆様はいかがお考えでしょうか?
挿し絵代わりの写真は平和な小金井公園の風景の写真です。嗚呼、平和は有難いです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)