後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「人々のいろいろな絆の不可思議さ」

2020年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム
人間は此の世に生きていると人々といろいろな絆が出来ます。その絆は考えてみると不思議です。あるものは神秘的で不可思議です。
今日はこれらの絆の5つの例を考えてみたいと思います。

(1)ド・ロさまそうめんと九州の人々との絆
九州には「ド・ロさまそうめん」というものがあります。このそうめんは明治時代にフランス人のド・ロ様という神父が作ったものです。
このド・ロさまそうめんを現在でも製造している会社があります。http://www.sunflead.co.jp/doro.html をご覧下さい。
ド・ロさまは、明治12年(1879年)に現在の長崎市の旧黒崎村出津の里に赴任したフランス人宣教師(1840~1914)でした。
彼は、村人たちの暮らしが、あまりにも貧しいのに驚き、村人の生活の向上のために布教活動のかたわら授産所や救助院を設けます。その上、故国、フランスから小麦粉を取り寄せ、私財を投じてパン、マカロニ、ソーメンづくりなどの技術を教えました。
ド・ロさまは72歳で亡くなるまでの42年間、故郷のフランスに一度も帰りませんでした。終生、長崎の貧しい人々に優しく接したのです。信者でない人々へも等しく支援したのです。
ですから九州の人々は「ド・ロさまそうめん」を食べながら今でもド・ロさまを懐かしく思い出しているのです。
素麺のお陰で長く続く絆なのです。このような不思議な絆がこの世にあるのですね。

(2)ヨットのご縁で出来た忘れ得ぬ人との絆
ヨットの趣味を50歳頃から75歳まで25年間していました。霞ヶ浦にクルーザーを係留していました。海では葉山や江の島でセイリングをしました。
約25年間にわたり、多くの方々にお世話になり、助けられ、なんとか海に落ちることも無くヨットの趣味を卒業することが出来たのです。
ヨットを通して多くの友人が出来ました。皆忘れられない友人です。しかし一番深い印象があるのはHootaさんという方です。
彼はブログやメールを通してヨットの帆走技術や修理方法を私にいろいろ教えてくれていました。
その縁で、2009年の春に千葉県に係留したある彼の艇を訪問し、一晩ビールを一緒に飲んだのです。それから数週間して駿河湾で素晴らしい帆走に招待してくれた方です。
Hootaさんは、北欧風の長さ43フィートの大型艇、Bambino号で東京湾や伊豆七島周辺を帆走していました。千葉県の保田港を母港にしていました。Hootaさんとの絆は私の心の貴重な財産になりました。

(3)結婚という不可思議な人間の絆
人間の絆は運命のようなものです。その絆で一番不可思議なものは結婚によって出来る男女の絆です。大した必然性も無く偶然会った男女が何故か愛し合うようになり結婚します。それには確固とした理由が無い場合もあります。そして子供も孫も出来ます。
人間の親子は人にもよりますが大体20年間くらいしか一緒に暮らしていません。それなのに夫婦は40年、50年それ以上一緒に暮らします。育ちも趣味もまったく違う夫と妻が何事も無いように一緒に暮らしているのです。結婚するまでは全く赤の他人だったのです。
ですから私は結婚ほど不可思議な人間の絆は無いと考えています。
結婚して一緒に暮らし始めてから好きになって愛し合う夫婦もいます。結婚が愛し合う原因になっているのです。このように書くと未婚の若者が、それは嘘だ、愛し合ったから結婚するのだと反対します。そのような理解があっても良いのです。しかし40年、50年と一緒に暮らしてみると結婚が愛し合う原因になっているように思えるのです。
子供や孫が出来るとそれがまた夫婦愛を一層強めてくれます。私も幸運にも良い伴侶を得て結婚という不可思議な人間の絆に毎日感謝しています。実に不思議な絆です。

(4)親子関係の絆の強さと不思議さ
親子関係ほど強い絆は無いと思います。
親子関係を父と息子の関係と母と息子の関係だけに限定して描くと明快に整理出来そうです。
一般に父と息子の関係は悪い場合があります。しかしその問題も孫が出来てから次第に解消してきます。
母と息子の関係を見ると始めから完璧に仲が良いのです。この世で母子の関係ほど強い絆は無いと思います。
外出すると幼児を連れた若い母親によく会います。幼児が可愛いので笑顔で見とれていると母親が挨拶をします。「どうです。素晴らしい子でしょう!」という自慢が笑顔に見え隠れします。女性にとって一番幸せな時期なのです。
親子関係の絆はこれで終わりにします。

(5)あるモンゴル人と日本人の絆
数年前に旧友の竹内義信さんから一冊の本が送られてきました。「ソヨルジャブ・バクシを囲んで」という題の本で、内容は亡くなったあるモンゴル人と日本人の絆を書いたものです。
モンゴル人のソヨルジャブさんの追悼文をまとめて本にしたものです。日本人によって書かれた追悼文です。
この本を手にとって何故か私は深い感動を覚えたのです。数日間考えていました。そしてある結論に到達しました。
ソヨルジャブさんは終生、日本人との絆を一番大切にして、その人間同士の関係の美しさを我々に教えてくれたのです。
その絆には国境も思想も宗教も一切介在しない純粋に人間同士の深い信頼によって築かれたものです。日本人をこれほど大切にし愛してくれたモンゴル人はそんなに多くはありません。
当然日本人も彼を慕い愛して、その結果として追悼文集が自然に出来たのです。
ソヨルジャブさんは満州国の国立ハルピン学院を卒業し、満州国のモンゴル地区の官吏になりました。敗戦後は日本へ協力したとして収容所に入れられ34年間も過酷な運命に甘んじたのです。日本人と付き合ったために悲惨な収容所生活を送ったのです。
しかし彼の日本人へ対する信頼と尊敬は微動だにしなかったのです。
ソヨルジャブさんの一生は阿部重夫さんによっても書かれています。(http://facta.co.jp/blog/archives/20070703000459.html)

1976年に四人組が逮捕され文革が終わります。その結果、ソヨルジャブさんも名誉回復され、自由の身になったのです。
日本人とも自由に交流してよいことになったのです。
名誉回復後にフフホトで日本語塾を開き、のちソ連圏から独立し民主化されたモンゴル国でも日本語学校(展望大学)を開校します。その後、中国領のフフホトで暮らし、日本へ何度も来たうえ、モンゴル人の研修生を日本に多数送ったのです。
何故、ソヨルジョブさんはそんなに日本人との絆を大切にしたのでしょう。
国境も政治も宗教も介在しない絆です。純粋で一途な美しい絆です。

今日の挿絵の写真はソヨルジャブさんに敬意を表してモンゴルの風景写真です。「モンゴルの風景写真」を検索してネットからお借りいたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)