2009年7月に思い立って、栃木県、足利市へ小さな旅をしました。それには足利学校を訪問するという目的があったのです。
足利学校では現在でも論語を教えている専門学校のような教育を続けています。
足利学校は日本へキリスト教を伝えたザビエルが、「日本にも大学がある」と称賛した大規模な学校でした。
訪問してみたらその学校は平安末期の足利氏の堀に囲まれた館の跡地にありました。
お堀にかかった橋を渡り正門から入ると足利学校の復元された校舎、施設などがあります。
早速ですが綺麗に復元してある足利学校の周囲の堀や正門や教室としていた母屋などの写真を示します。最後の写真は足利学校の校内にある立派な孔子廟です。1と2番目の写真は2009年7月に自分で撮った写真です。
3、4、5番目の写真の出典は、https://www.ashikaga-kankou.jp/spot/ashikagagakko です。
足利学校の創建年代についてはいろいろな説あります。
室町時代の前期には衰退していましたが1432年(永享4年)上杉憲実が足利の領主になって再興に尽力しました。
鎌倉円覚寺の僧快元を校長に招いたり蔵書を寄贈したりして学校を再興したのです。
その成果が上がって北は奥羽、南は琉球にいたる全国から学生が集まり、代々の校長も全国各地の出身者に引き継がれて行きました。
足利学校は間違いなく日本で最古で最大の学校でした。
ついでにこの足利学校と室町幕府の足利尊氏、そして現在の足利市民の関係を明確しておきます。
足利家代々の館跡の「ばんな寺」も散策しながら歴史ボランティアの男性から聞いたことです。
結論的に言えば、足利学校と足利尊氏と現在の足利市民の三者にはほとんど関係が無いことが分かりました。現在の足利市民は足利尊氏を尊敬したり、親しく感じてはいないそうです。
足利氏の先祖は代々は足利市に住んでいましたが足利尊氏は京都で生まれ育ち、関東へは鎌倉までしか来なかったそうです。
足利学校は一説には平安時代の小野篁の創建、鎌倉時代の足利義兼、そして室町時代の1487年、時の関東管領、上杉憲実による創建など3説があります。
いずれにしても、堀に囲まれた広い敷地に、平安時代から学校があったらしいのです。日本古来の学校を見るのは初めてなので感動しました。
この学校では論語に関する数多くの本を出版し一般人に論語の教育活動をしています。
例えば『論語体験プログラム』では孔子の教えである論語を、参加者全員が大きな声を出して読む素読(そどく)体験プログラムを行っています。
また出版物の論語抄は論語の全499章のうち63章を厳選し分かり易く説明してあります。私も買って帰り折に触れて読み返しています。
栃木県、足利市は遠方ですが車で行くと便利です。「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されている鑁阿寺(ばんなじ)とともに訪問すると面白いと存じます。鑁阿寺は真言宗大日派の本山です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)