人間は恩人や友人、そして周囲の人々などへ感謝して暮らせば幸せになると言います。そして寛大な気持ちですべての人を愛すれば幸せになると言います。私の心がけです。しかし実行は難しいものです。
それはそれとして、私の友人で男性の同性愛者がいます。日本での差別に耐えられないでイングランドに移住し、そこで同性婚をし幸せな生活を送っていた人がいます。相手の人はコリンさんというイギリス人でした。そのイギリス人が3年前に亡くなりました。
最近、私の友人が亡くなった人の想いを書きました。Face Bookに発表した切々とした思い出の記です。
今日あらためてこの欄でご紹介いたします。ご紹介する目的は皆様に「同性婚」は普通の夫婦とまったく同じだと分かって貰いたいためです。そして日本の社会から同性愛者に対する差別が無くなるように願っています。
悲しい差別が無くなるように祈りつつ以下の文章をお送りいたします。
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石山 望著、「訊きたいことがあれば、お早めに」
私の英国人の友人はコリンさんといった。
3年半前に亡くなった。85歳。全く予期しないものだったので、困惑した。
然し、その時、自分一人で生活していかなけでばならないという厳然たる事実を、突然目の前に突きつけられたわけであるから、悲しみに打ちひしがれている暇などありはしない。
早速、新生活の「お膳立て」に取り掛かった。
まず、常々思っていた「家の改装」。私の目下の家は、20年前にコリンさんと共同購入した建売住宅。新築であったが、何しろ安普請ときている。殊に内装は、実に見るに耐えなかった。
勿論、コリンさんご存命の時、既にそういうことはできた筈であるが、その時は、私が何れ一人になった時、私の年金収入だけで生活できるかどうかが分らなかったので、自分の蓄えには手がつけられなかったという経緯がある。
然し、いざ、コリンさんが実際に亡くなった時、それが「杞憂」であったと分り、やっと自分の蓄えを使い始めた。
そんな風にして、やり始めた改装。
改装というのは、一旦やり始めると、次から次へとやりたくなるものである。
一番嫌だった台所からやり始めて、お風呂場、食堂、階段ときて、最後に庭、というところまでこぎつけた。
その庭ももうすぐ終る。
家の中がスッキリしていると、ものの考え方までスッキリするように感ずるから面白い。今は、何より、庭で食事をするのが楽しい。木々を眺め、蕾の出てきたのを喜び、噴水の水の音を聞く。小鳥たちが餌を求めてやってくる。
あ~あ、それにしろ、何よりコリンさんにこそ、今の改装なった家を見せてあげたかった。家や庭を綺麗にすること、コリンさん、殊にお好きであったから、さぞ喜ばれることであろう。
人間、何か喜びがあるとする。その時、その喜びを自分一人で楽しんでいても、何か虚しい。誰か、それを分け与える人が欲しい。一緒に享受する人が欲しい。
私の家は、そんなに立派ではないので、構わないが、もし、白亜の殿堂みたいな豪華で美しい豪邸に一人で住んでおられる人がおられるとすると、その人は幸せであろうか。
コリンさんは、PHLS(Public Health Laboratory Service) というところに勤めておられた。「公衆衛生研究所」
今、コロナ菌が、世界中で跳梁をほしいままにしているが、こういう疫病撲滅のために、この研究所は存在する。基礎医学の分野であるから、地味で目立たないが、政府の、非常に重要な機関の一つ。コリンさんにうってつけの職場だと言えるであろう。
私が、初めて出会った時、彼は67歳。もうすでに退職しておられたから、コリンさんの仕事に関してお話をすることはほとんどなかった。今ならいろんなことが訊けるのになあと、残念である。
残念なことなら、他にもある。2つ。
コリンさんは、1931年、オーストラリアのパースで生まれられ、1953年エリザベス女王の戴冠式の年にロンドンに来られた。そこまではごく普通のこと。取り立てていうことはないが、特筆すべきは、コリンさん、それから一度もオーストラリアの土を踏まれることがなかったことである。私が、「行こうか」というと、言葉を濁された。なんでも、彼の両親は、彼の幼少の頃離婚。それは彼から聞いた。しかし、両親のいずれも彼を引き取ろうとしなかったので、結局、母方の両親に引き取られたようなのである。自分の生れ育った国に、一度も帰りたいと思われたことがないとは、何か理由があったに違いない。
私、そういう立ち入ったこと、遠慮して口に出さなかったが、今にして思う。「どうしてなの?」と訊いておくべきではなかったのか。その時、「言いたくない」と言われれば、それはそれで納得がいく。しかし、そういう過去があったにしては、ずいぶん良く育っておられるなあと感心する。育ての親が、余程良い人たちであったのであろう。
そして、もう1つ。これは、完全に私が悪かった。コリンさんに一言謝っておくべきだった。「私が悪いでした。ごめん」 (あの〜、亡くなった人に謝るのは、実に簡単なんですけれど、)。
皆さん、もし、どなたかに、何か訊きたいこととか、言いたいこととか、謝りたいことがあれば、今のうちにしておかれることですよ。そうしないと、私みたいに手遅れ、いつまでも後悔することになってしまいますよ。(終り)
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今日の挿し絵代わりの写真はイングランドの風景写真です。
写真の出典は、https://www.1zoom.me/ja/wallpaper/555018/z13329.4/2560x1440 です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)



それはそれとして、私の友人で男性の同性愛者がいます。日本での差別に耐えられないでイングランドに移住し、そこで同性婚をし幸せな生活を送っていた人がいます。相手の人はコリンさんというイギリス人でした。そのイギリス人が3年前に亡くなりました。
最近、私の友人が亡くなった人の想いを書きました。Face Bookに発表した切々とした思い出の記です。
今日あらためてこの欄でご紹介いたします。ご紹介する目的は皆様に「同性婚」は普通の夫婦とまったく同じだと分かって貰いたいためです。そして日本の社会から同性愛者に対する差別が無くなるように願っています。
悲しい差別が無くなるように祈りつつ以下の文章をお送りいたします。
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石山 望著、「訊きたいことがあれば、お早めに」
私の英国人の友人はコリンさんといった。
3年半前に亡くなった。85歳。全く予期しないものだったので、困惑した。
然し、その時、自分一人で生活していかなけでばならないという厳然たる事実を、突然目の前に突きつけられたわけであるから、悲しみに打ちひしがれている暇などありはしない。
早速、新生活の「お膳立て」に取り掛かった。
まず、常々思っていた「家の改装」。私の目下の家は、20年前にコリンさんと共同購入した建売住宅。新築であったが、何しろ安普請ときている。殊に内装は、実に見るに耐えなかった。
勿論、コリンさんご存命の時、既にそういうことはできた筈であるが、その時は、私が何れ一人になった時、私の年金収入だけで生活できるかどうかが分らなかったので、自分の蓄えには手がつけられなかったという経緯がある。
然し、いざ、コリンさんが実際に亡くなった時、それが「杞憂」であったと分り、やっと自分の蓄えを使い始めた。
そんな風にして、やり始めた改装。
改装というのは、一旦やり始めると、次から次へとやりたくなるものである。
一番嫌だった台所からやり始めて、お風呂場、食堂、階段ときて、最後に庭、というところまでこぎつけた。
その庭ももうすぐ終る。
家の中がスッキリしていると、ものの考え方までスッキリするように感ずるから面白い。今は、何より、庭で食事をするのが楽しい。木々を眺め、蕾の出てきたのを喜び、噴水の水の音を聞く。小鳥たちが餌を求めてやってくる。
あ~あ、それにしろ、何よりコリンさんにこそ、今の改装なった家を見せてあげたかった。家や庭を綺麗にすること、コリンさん、殊にお好きであったから、さぞ喜ばれることであろう。
人間、何か喜びがあるとする。その時、その喜びを自分一人で楽しんでいても、何か虚しい。誰か、それを分け与える人が欲しい。一緒に享受する人が欲しい。
私の家は、そんなに立派ではないので、構わないが、もし、白亜の殿堂みたいな豪華で美しい豪邸に一人で住んでおられる人がおられるとすると、その人は幸せであろうか。
コリンさんは、PHLS(Public Health Laboratory Service) というところに勤めておられた。「公衆衛生研究所」
今、コロナ菌が、世界中で跳梁をほしいままにしているが、こういう疫病撲滅のために、この研究所は存在する。基礎医学の分野であるから、地味で目立たないが、政府の、非常に重要な機関の一つ。コリンさんにうってつけの職場だと言えるであろう。
私が、初めて出会った時、彼は67歳。もうすでに退職しておられたから、コリンさんの仕事に関してお話をすることはほとんどなかった。今ならいろんなことが訊けるのになあと、残念である。
残念なことなら、他にもある。2つ。
コリンさんは、1931年、オーストラリアのパースで生まれられ、1953年エリザベス女王の戴冠式の年にロンドンに来られた。そこまではごく普通のこと。取り立てていうことはないが、特筆すべきは、コリンさん、それから一度もオーストラリアの土を踏まれることがなかったことである。私が、「行こうか」というと、言葉を濁された。なんでも、彼の両親は、彼の幼少の頃離婚。それは彼から聞いた。しかし、両親のいずれも彼を引き取ろうとしなかったので、結局、母方の両親に引き取られたようなのである。自分の生れ育った国に、一度も帰りたいと思われたことがないとは、何か理由があったに違いない。
私、そういう立ち入ったこと、遠慮して口に出さなかったが、今にして思う。「どうしてなの?」と訊いておくべきではなかったのか。その時、「言いたくない」と言われれば、それはそれで納得がいく。しかし、そういう過去があったにしては、ずいぶん良く育っておられるなあと感心する。育ての親が、余程良い人たちであったのであろう。
そして、もう1つ。これは、完全に私が悪かった。コリンさんに一言謝っておくべきだった。「私が悪いでした。ごめん」 (あの〜、亡くなった人に謝るのは、実に簡単なんですけれど、)。
皆さん、もし、どなたかに、何か訊きたいこととか、言いたいこととか、謝りたいことがあれば、今のうちにしておかれることですよ。そうしないと、私みたいに手遅れ、いつまでも後悔することになってしまいますよ。(終り)
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今日の挿し絵代わりの写真はイングランドの風景写真です。
写真の出典は、https://www.1zoom.me/ja/wallpaper/555018/z13329.4/2560x1440 です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


