後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本を愛したニコルさんが逝く、そしてある友人の思い出

2020年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム
昨年の2月に日本文学を愛したドナルド・キーンさんが亡くなりました。
そして今回は日本の山林を愛して黒姫山に住んでいたC・W・ニコルさんが亡くなりました。この2人の旅立は私にいろいろなことを思い出させます。
ドナルド・キーンさんにまつわる思い出はこの欄の2019年02月25日の記事に書きました。
今日はニコルさんにまつわる思い出を書きたいと思います。

ニコルさんは日本人の真理子さんと結婚し黒姫山の森の中に住み着いて雑木林の保護活動をしながら山林の美しさについて数多くの文章を書きました。クヌギ、コナラ、シデ、エゴ、カシワなどの混じった広葉雑木林が好きな私はニコルさんの山林に関する随筆が大好きでした。
ニコルさんと真理子さんの住んでいた北信の野尻湖から見た黒姫山とその山林の写真をお送りします。





写真の出典は、 https://yamahack.com/2037 とhttp://www5d.biglobe.ne.jp/~isom/kurohime.htm です。
ニコルさんと言えばある私の友人のHootaさんのことを思い出します。
そのHootaさんはニコルさんと共に山林の保護活動をしていたのです。そして彼はニコルさんの温かさや優しさに感動していたのです。
ニコルさんの魅力的な人柄と黒姫に造成した美しい林のことをしみじみ聞いたのはHootaさんの大きな木造ヨットの中でした。
美しいチーク材で内装したキャビンの中で飲み合いながら聞きました。Hootaさんとそのヨットのことはこの欄の、2009年04月16日の記事に書きました。
こんな思い出があるのでニコルさんの旅立は友人を失った時と同じように悲しく感じます。
心からニコルさんのご冥福をお祈り申し上げます。

上記では雑木林の話だけを書きましたがニコルさんはもっと広い活動をしていましたので以下に彼に関する報道記事を転載します。
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[ニコルさん死去 作家、環境保護活動家、79歳」、2020年04月04日
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020040400353&g=soc
 英国出身の作家で環境保護活動家のC・W・ニコルさんが3日午前10時57分、直腸がんのため長野市の病院で亡くなった。79歳だった。葬儀は親族のみで行った。後日、お別れの会を開く予定。喪主は妻真理子(まりこ)さん。
 英国ウェールズ生まれ。17歳でカナダに渡り、環境や動物の保護、調査研究に従事した。62年に初来日し、80年に長野県へ移住。小説やエッセーを執筆する傍ら、環境保護活動に取り組んだ。荒れた里山を購入して「アファンの森」と名付けて再生を実践。02年には「C・W・ニコル・アファンの森財団」を設立して理事長を務め、活動を全国に広げた。
 著書に小説「風を見た少年」「勇魚」、エッセー「誇り高き日本人でいたい」などがある。95年に日本国籍を取得。05年に英国の名誉大英勲章を受けた。
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そして妻の真理子(芸名、ニコル麻莉子)さんをご紹介いたします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ニコル麻莉子 よりです。
ニコル 麻莉子(1950年11月17日- )は、日本画家、音楽家。夫は小説家・ナチュラリストのC・W・ニコル。1980年に入籍して、長野県黒姫に住居を構えて、ひとり娘を儲けた。
兵庫県出身。シマノ工業社長・島野隆夫の次女・本名・真理子。桐朋学園大学を卒業後、カナダのブリティッシュコロンビア大学大学院留学。1989年から作曲家デビューを果たし、テレビのドラマ、ドキュメンタリーなどの数多くのテーマソング・挿入歌を作曲。その傍ら、1991年より関川都の下で水墨画を習い、ISAMの会員として、数多くの美術展入賞。個展も開催している。

今日はニコルさんにまつわる思い出を書き、心からニコルさんのご冥福をお祈り申し上げます。
そして妻の真理子さんの悲しみに心を寄せ、再び元気になるようにお祈りいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)