後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の日記、カトリック小金井教会へお祈りに行きました」

2020年04月05日 | 日記
今日は曇りで寒い日です。冬に戻ったような日です。
午後にカトリック小金井教会へお祈りに行きました。
今日はイエス様を棕櫚の枝で歓迎する「棕櫚のミサ」のある日曜日ですが、コロナウイルスのせいでミサがありません。
何時もなら信者が外で棕櫚の葉を手に持って聖歌を歌いながら行列を作って会堂に入りミサが始まります。
今日はガランとした聖堂の祭壇に大きな棕櫚の枝が飾ってありました。
数人の信者が離れ離れに坐って静かにお祈りをしていました。
今日のカトリック小金井教会の風景写真をお送りします。なお最後の写真は教会へ行く途中に咲いていたウコンザクラです。







午前中は電動車椅子に乗って1Km位西にある東京学芸大学の構内に行き今年最後の桜見物を家内としました。

「復活祭とは?、そして欧米人の心の中」

2020年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム
今年の復活祭は来週の日曜日の4月12日です。その前の40日間は節制する四旬節です。南米のカーニバルは灰の水曜日の前日に止め、静かな四旬節が始まります。
今年はコロナウイルスの感染拡大を防ぐたまに灰の水曜日も四旬節のミサもありません。
毎年早春にある四旬節と桜の咲くころの復活祭のミサがありません。こんなことは1970年にカトリックの洗礼を受けて以来初めての事です。空虚感が私の心に広がっています。

そこで今日は「復活祭とは?、そして欧米人の心の中」と題する記事を書くことにしました。
さてキリスト教の復活祭はキリストが金曜日に十字架にかけられ処刑され、3日後の日曜日にに生き返ったことをお祝いするお祭りです。
キリストが生まれた日はクリスマスとして日本でもお祝いの食卓を囲む人が多く、日本の重要な歳時記として定着しています。クリスマスの期日はヨーロッパの原始宗教の冬至祭を踏襲しました。
その一方で復活祭は日本ではあまり有名ではなくクリスチャン関係者だけが祝っています。
復活祭の期日は春の到来を祝う原始宗教のお祭りを踏襲していますので、日本でももっと有名になっても良いと思います。
しかし、「一旦、死んだ人が生き返る」という不自然さ、不合理さがあるので日本では受け入れらなかったのでしょう。

しかしキリスト教徒にとっては復活祭は一番重要な祭日です。クリスマスよりも非常に重要な祭日です。
その理由はキリスト教信仰の中心をなすのが、キリストが生き返り、その後、天に登って神の右の座に着いたという事実を信じることなのです。そして最後の審判の時が来ると、キリストは再び帰って来ます。そして全ての死者の肉体も蘇り、復活するのです。
復活祭とはイエス自身の生き返りを祝い、全ての死者の生き返りを祈る重要な祭日なのです。
上に書いたことはあまりにも荒唐無稽なことですね。少なくとも大部分の日本人には受け入れられない空想に過ぎません。私も本物の日本人ですから復活祭が日本へ受け入れらなかった事情は痛いほど良く分かります。なにせ仏教にはそんな空想論は皆無なのです。

キリストの弟子たちにもイエス自身の生き返りを信じられない者もいました。弟子達は本当に生き返ったキリストなのかと疑って眺めます。特にトマスはキリストの脇腹の傷跡に指を入れてみて初めて、「これは本物の生き返ったキリストだ!」と納得します。
この様なイエスの復活を欧米人はどのように考えているのでしょうか?
本当にキリストの復活や全ての死者の肉体の生き返りを信じているのでしょうか?
これは欧米人の心の中にある迷いなのです。ある時は信じ、ある時は疑います。私はカトリックなのである時は確かに信じています。
100%そのまま信じている欧米人もいます。60%信じている人もいます。20%信じている欧米人もいます。しかしここで重要なことは欧米人なら皆が以上に書いた復活の話を知っているのです。
それは欧米人の心の中にある原風景なのです。

例えば南米の有名な革命家のチェ・ゲバラでさえ、聖書の一句の「愛が無ければ、」を使って「愛が無ければ、革命家になれない」というセリフを言っていたのです。
昔のソ連のスターリンも知っていたのです。なにせ彼は若いころ神学生だったのです。そして聖書よりも共産主義が人々を救うと信じて転向したのです。
ですから共産主義とキリスト教は対立する考え方なのです。
このように欧米の文化や政治や社会現象の下敷きに、キリスト教があるのです。無意識のうちに欧米人はその影響を受けているのです。
それは我々日本人が仏教の影響を無意識のうちに受けているのと同様です。カトリックの私も日本人なので仏教の影響を深く受けています。そして仏教が好きです。

今日は復活祭の一週間前です。イエス様を棕櫚の枝で歓迎する「棕櫚のミサ」のある日曜日ですが今年はそのミサもありません。自宅でお祈りをしています。

今日の挿し絵代わりの写真はカトリック小金井教会の昨年の4月21日の復活祭のミサの風景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)