今朝の「美しい巨木の森と美しい貝殻」という記事に書いた遠藤晴雄さんの人柄をご紹介いたします。遠藤晴雄氏は1915年(大正5年)真鶴町生まれ2006年に91歳で没しました。
以下は「大正生まれの湘南人『遠藤晴雄』さんと遠藤貝類博物館」 (http://www.botanical.jp/library_view.php?library_num=308 )からの抜粋です。
・・・遠藤晴雄氏の想いで、
岩という浜にあった遠藤貝類博物館の2階の研究室で様々な思い出話を1時間以上も伺ったことは懐かしい想いで。
高価なオキナヱビスは27種あるそうですが、それを網羅したいため、所持していた宅地や山林を売って購入した話や、学生時代に寄宿していた逗子近郊葉山海岸の話。
面白い話もありました。江ノ島近辺の海岸で南方系の珍しい貝が発見されたことが度々あったそうです。そのたびに専門家達は貝の生態系が変化しているのではないかと、一生懸命に調査。
後の照合でそれが江ノ島などで売られている、世界の貝の捨てられたお土産品だということが判明しました。
また貝の名前が細かく分類されすぎて、功名争いのようになっていることも憂いておられました。亜種程度の生物にもどんどん新種のような異なる名前を付けてしまうことは他の生物でも同様。一般の人は戸惑うばかり。
貝の美しさに魅せられて研究をしていた純粋な湘南人は名誉欲の強い研究者を異質に感じていたようです。・・・
写真を 「大正生まれの湘南人『遠藤晴雄』さん、、、」 からお借りして示します。
1番目の写真は晩年の遠藤晴雄さんです。岩という浜にあった遠藤貝類博物館の2階の研究室です。
2番目の写真は岩という浜にあった遠藤貝類博物館の正面です。ここには私も2003年に訪問し、88歳の遠藤さんからいろいろお話を聞きました。上品な奥様も楽しいエピソードをお話しくださいました。
3番目の写真はプシェットオキナエビス貝です。
4番目の写真は遠藤氏が好きだったショウジョウガイです。
5番目の写真はタイセイヨウオキナエビス貝です。
私も家内と一緒に遠藤さんご夫妻と2003年にお会いし貝殻のお話をいろいろお聞きしました。遠藤さんの素朴なお人柄に魅了されたことが忘れられません。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
以下は「大正生まれの湘南人『遠藤晴雄』さんと遠藤貝類博物館」 (http://www.botanical.jp/library_view.php?library_num=308 )からの抜粋です。
・・・遠藤晴雄氏の想いで、
岩という浜にあった遠藤貝類博物館の2階の研究室で様々な思い出話を1時間以上も伺ったことは懐かしい想いで。
高価なオキナヱビスは27種あるそうですが、それを網羅したいため、所持していた宅地や山林を売って購入した話や、学生時代に寄宿していた逗子近郊葉山海岸の話。
面白い話もありました。江ノ島近辺の海岸で南方系の珍しい貝が発見されたことが度々あったそうです。そのたびに専門家達は貝の生態系が変化しているのではないかと、一生懸命に調査。
後の照合でそれが江ノ島などで売られている、世界の貝の捨てられたお土産品だということが判明しました。
また貝の名前が細かく分類されすぎて、功名争いのようになっていることも憂いておられました。亜種程度の生物にもどんどん新種のような異なる名前を付けてしまうことは他の生物でも同様。一般の人は戸惑うばかり。
貝の美しさに魅せられて研究をしていた純粋な湘南人は名誉欲の強い研究者を異質に感じていたようです。・・・
写真を 「大正生まれの湘南人『遠藤晴雄』さん、、、」 からお借りして示します。
1番目の写真は晩年の遠藤晴雄さんです。岩という浜にあった遠藤貝類博物館の2階の研究室です。
2番目の写真は岩という浜にあった遠藤貝類博物館の正面です。ここには私も2003年に訪問し、88歳の遠藤さんからいろいろお話を聞きました。上品な奥様も楽しいエピソードをお話しくださいました。
3番目の写真はプシェットオキナエビス貝です。
4番目の写真は遠藤氏が好きだったショウジョウガイです。
5番目の写真はタイセイヨウオキナエビス貝です。
私も家内と一緒に遠藤さんご夫妻と2003年にお会いし貝殻のお話をいろいろお聞きしました。遠藤さんの素朴なお人柄に魅了されたことが忘れられません。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)