後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「湘南人『遠藤晴雄』さんと遠藤貝類博物館」

2021年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム
今朝の「美しい巨木の森と美しい貝殻」という記事に書いた遠藤晴雄さんの人柄をご紹介いたします。遠藤晴雄氏は1915年(大正5年)真鶴町生まれ2006年に91歳で没しました。
以下は「大正生まれの湘南人『遠藤晴雄』さんと遠藤貝類博物館」 (http://www.botanical.jp/library_view.php?library_num=308 )からの抜粋です。
・・・遠藤晴雄氏の想いで、
岩という浜にあった遠藤貝類博物館の2階の研究室で様々な思い出話を1時間以上も伺ったことは懐かしい想いで。
高価なオキナヱビスは27種あるそうですが、それを網羅したいため、所持していた宅地や山林を売って購入した話や、学生時代に寄宿していた逗子近郊葉山海岸の話。
面白い話もありました。江ノ島近辺の海岸で南方系の珍しい貝が発見されたことが度々あったそうです。そのたびに専門家達は貝の生態系が変化しているのではないかと、一生懸命に調査。
後の照合でそれが江ノ島などで売られている、世界の貝の捨てられたお土産品だということが判明しました。
また貝の名前が細かく分類されすぎて、功名争いのようになっていることも憂いておられました。亜種程度の生物にもどんどん新種のような異なる名前を付けてしまうことは他の生物でも同様。一般の人は戸惑うばかり。
貝の美しさに魅せられて研究をしていた純粋な湘南人は名誉欲の強い研究者を異質に感じていたようです。・・・
写真を 「大正生まれの湘南人『遠藤晴雄』さん、、、」 からお借りして示します。

1番目の写真は晩年の遠藤晴雄さんです。岩という浜にあった遠藤貝類博物館の2階の研究室です。

2番目の写真は岩という浜にあった遠藤貝類博物館の正面です。ここには私も2003年に訪問し、88歳の遠藤さんからいろいろお話を聞きました。上品な奥様も楽しいエピソードをお話しくださいました。

3番目の写真はプシェットオキナエビス貝です。

4番目の写真は遠藤氏が好きだったショウジョウガイです。

5番目の写真はタイセイヨウオキナエビス貝です。

私も家内と一緒に遠藤さんご夫妻と2003年にお会いし貝殻のお話をいろいろお聞きしました。遠藤さんの素朴なお人柄に魅了されたことが忘れられません。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「美しい巨木の森と美しい貝殻」

2021年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は大きな樹木の美しさと小さな貝殻の美しさをご紹介いたします。真鶴半島の巨木の森とその足もとの浜辺にある貝殻の美しさです。真鶴半島は太平洋に面した半島で先端に美しい貝殻を多数展示した遠藤貝殻博物館があります。半島は「真鶴半島自然公園」になっている自然豊かなところです。
さて関東平野に広がる森にはカシワ、コナラ、クヌギなのど木々が繁茂しています。真鶴半島は関東の雑木林とはまったく違う亜熱帯性の森なのです。真鶴半島は黒潮が洗うので一年中温暖な気候です。

1番目の写真は半島の突端まである舗装道路の入ってすぐに迎えてくれる道端の巨木です。

2番目の写真は半島突端の三ツ石海岸に降りる入り口の駐車場の脇の巨木です。根元に青い服を着た家内が巨木と遊んでいますが、その小ささにご注目下さい。

3番目の写真は隙間なく繁茂している樹木の風景写真です。人間が手を入れ下草を刈らないと植物が密生し、人間が一歩も入れなくなるのです。真鶴半島でも補装道路の両側には樹木が密生していて一歩も足を踏み入れることが出来ません。
半島の先端には三ツ石駐車場があります。駐車場の傍に「ケープ真鶴」という大きな土産物屋があります。その2階が真鶴町立の「遠藤貝類博物館」になっています。世界中の珍しい美しい貝殻を遠藤氏が収集した美しい貝殻が多数展示してあります。
4番目の写真は「ケープ真鶴」です。
5番目の写真は展示してある貝殻の一例でコシダカオキナエビスガイです。この貝は日本にカンブリア紀(約5億4200万年前から約4億8830万年前まで)から現在まで生きているのです。オキナエビスガイ科の貝は主に水深 200-3000m の深海に底生生物として生息しています。餌は主に海綿で、他に深海性のウミユリや八放サンゴなども食べます。このように5億年まえから現在まで、世界中に生きている貝を見ていると悠久の時の流れを感じます。

さてこのような真鶴半島はどのようにして出来たのでしょうか?簡単に言えばこの半島は約15万年の箱根火山の噴火によって出来たのです。
真鶴半島付近の箱根外輪山の数ヶ所の火口から同時に安山岩質の溶岩を噴出し、溶岩ドーム群を形成したことが明らかとなっっています。これはフィリピン・プレートに乗って移動して来た伊豆半島とは非常に違います。

2003年に近所の岩という小さな砂浜に下りていったことを思い出しました。
その浜辺を見下ろすように2階建ての洋館が建っていたのです。玄関の右には「遠藤貝殻博物館」と小さな看板がかかっていました。そこには世界中の美しい貝殻を蒐集し展示してあったのです。ガラスケースに入った色とりどりの貝殻が一面に輝いていたのです。貝殻がこんなに美しいとは知りませんでした。
遠藤さんは貝の研究をして世界の貝殻を蒐集したのです。その頃は元気だった遠藤さんと上品な夫人が貝殻の説明を丁寧にしてくれました。
その博物館は岩海岸にはもう存在していません。遠藤さんの91歳での死後、夫人が貝殻を全て真鶴町に寄贈して町立の「遠藤貝殻博物館」として真鶴半島の突端の「ケープ真鶴」で一般公開しているのです。
真鶴町立遠藤貝類博物館では 遠藤晴雄氏が生涯をかけて収集した4,500種50,000点の常設展示をしています。貝殻は真鶴半島の海岸で見つかるものから、日本各地、さらには世界の海からのコレクションです。
遠藤晴雄氏は1915年(大正5年)真鶴町生まれ2006年に91歳で没しました。1929年から湘南の逗子開成中学に入学し貝に興味を持ちます。その後、小学校や中学校の先生をしながら貝の研究を続けます。そして昭和天皇の海の生物の研究を支えていた京大の細谷角次郎教授に可愛がられ、葉山の御用邸に滞在される天皇陛下の収集に立ち会われたことも度々だったそうです。学歴や博士号に関心が薄かったのでその生涯は民間の貝の研究者として過ごしました。最後は真鶴町の教育長を務めました。
現在の「遠藤貝殻博物館」の詳細は、そのホームページ、(https://www.endo-shellmuseum.jp/ )に紹介してあります。

今日は真鶴半島の美しい巨木の森と美しい貝殻のコレクションをご紹介いたししました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料========================
浜辺で桜貝の美しい貝殻を拾った方々へ、さくら貝の歌のYouTube、を二つお送りします。
倍賞千恵子、https://www.youtube.com/watch?v=fF_J_KkZftI
鮫島有美子、https://www.youtube.com/watch?v=J91OKc9c2Ig
久しぶりにお聞きください。