現在の中国はアメリカに次ぐ世界の大国です。軍事力も強大な国です。
しかし私が初めて北京を訪れた1981年の頃は世界の最貧国に一つでした。市民は汚れた人民服を着て食料も十分でなく街路には飢えた人々があふれていました。その中国が経済急成長をして、アメリカにつぐ世界で2番目の豊かな国になったのです。これは世界の奇跡です。私はまだ信じられません。
今日はこの中国の奇跡と共産党独裁の社会の実態をご紹介したと思います。
1番目の写真は高層ビルが埋め尽くしている北京の写真です。
2番目の写真は自動車が溢れている現在の北京の街路です。私が1981年に北京へ行った頃は自転車が溢れていました。こんなに変わったのです。
3番目の写真は現在の近代的な中国の工場です。中国は世界の工場と自負してあらゆる製品を多量生産し世界中に輸出しています。
4番目の写真は中国空軍の戦闘機です。アメリカ軍の戦闘機と同じ性能をもっていると言われています。
5番目の写真は中国海軍の航空母艦です。アメリカは16の空母打撃群を保有していますが、中国は3つの空母打撃群しか持っていません。軍事力ではまだまだアメリカの敵ではありません。
6番目の写真は1966年8月18日に紅衛兵の歓呼に答礼する毛沢東です。紅衛兵は略奪と暴虐をくりかえしたのです。私は見ました。北京の民家の全ての窓が紅衛兵の侵入を防ぐ鉄格子に覆われているのを見たのです。
毛沢東は1949年10月、天安門上で建国宣言しました。1949年1月、林彪軍は東北から南下し北京に入城します。一方南では4月に、解放軍はいっせいに長江を渡河して南京を占領しついに中国全土が共産党の手中に帰したのです。。
周恩来によれば、北京入城のとき毛沢東は大浪のように湧きかえる大群衆を一目みたとき、しばらく無言で立っていたが、やがて突然両手で顔をおおって泣きだしたそうです。
万感こもったのは毛沢東だけではありません。その場に居た私の北京の友人達も感極まって泣いたと言ってました。19世紀以来の欧米の侵略を跳ね返して中国はやっと独立を勝ち得たのです。
7番目の写真は田中角栄首相が交渉した周恩来総理の写真です。
毛沢東主席も周恩来総理もこの後の1976年にあいついで亡くなります。
その後の実権を握ったのは鄧小平でした。
8番目の写真は鄧小平とカーター大統領の写真です。1979年に鄧小平が訪米し、ジミー・カーター大統領と会ったときの写真です。
鄧小平は終始一貫、日本と友好政策をつらぬき、1978年には「日中平和条約」の批准書を交換するために日本を訪問しました。そして昭和天皇を訪問し、新日鉄、君津製鉄所を見学し、新幹線に乗ってトヨタ自動車を見学、その後京都や奈良の観光もしたのです。
9番目の写真は中曽根首相と会談する胡耀邦です。
胡耀邦は1989年4月8日の政治局会議で熱弁を振るった直後、心筋梗塞のため倒れ、一旦は意識を取り戻したものの2回目の発作を起こし、4月15日に死去します。その後、胡耀邦追悼と民主化を叫ぶ学生デモは激化していったのです。
皆様ご存知のように中国は共産党独裁の国です。私は偶然にその共産党員と非常に親しくなりました。北京の周栄章さんと瀋陽の金応培さんです。この2人のお陰で中国社会の実態をかなり深くかつ詳細に知ることが出来たのです。その社会は我々の想像を絶するものでした。
中国の社会はどんな分野でも共産党員が有力者になっているのです。これが共産党独裁制を支えている強い基盤になっているのです。
しかし中国人は唯々諾々として政府の言うことに従っている訳ではありません。時と場合によっては立ち上がるのです。
政府の指示を無視した周恩来の追悼行事を実行し、やがて1989年の天安門事件へと続くのです。
中国人は絶対に文化革命時の悲惨さと、民衆を救おうとした周恩来を忘れません。民主化を進めて失脚した共産党総書記、胡耀邦と趙紫陽を忘れません。
中国の首相、周恩来が1976年に死にました。中央政府は公的葬式以外の一切の私的な追悼会や集会を禁止しました。周恩来の人気が高すぎるので政権内に混乱が起きるのを恐れたのです。この政府による禁止命令は1980年代まで続きます。
1981年に北京に行った私に、2年前ベルサイユ宮殿で知り合った周栄章さん(北京鉄鋼学院教授)が声をひそめて「中国人がどんな人間か見せたいから今夜ホテルへ迎えに行く」と言いました。
暗夜に紛れて連れて行かれた所は、大学の地下3階の部屋でした。明るい照明がついた大きな部屋の壁一面に、周恩来の写真、詩文、花束などが飾られていました。
そしてその大学の学生達が集まっていて、周恩来が出した文書などを静かに読んでいたのです。
周さんは「中国人が一番好きな人は毛沢東ではなく周恩来ですよ。中央政府が何と言ったってやることはちゃんとやるよ。それが中国人の根性なのです」と興奮した様子で私に言うのです。
これが中国の共産党独裁の社会の実態の一つの例なのです。実態の一つの例なのですが同じような民衆の本音を幾つか直接聞きました。
中国は日本のマスコミの報ずるように共産党独裁の社会ではなく民衆の反政府運動が起きている社会なのです。日本のマスコミは中国政府に都合良い記事しか報じないのです。北京に日本のマスコミ会社の支社を置くために中国政府に都合良い記事しか報じないのです。日本人はこの事実を知るべきです。
今日は中国の奇跡的な経済成長と共産党独裁の社会の実態をご紹介致しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)