後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「北海道の大雪山の夏の花々の写真をお送りします」

2021年08月26日 | インポート
写真の出典は、髙橋 修さんの「山に生きる花・植物たち」、https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=777 です。
大雪山は8月が終わると紅葉の季節になるそうです。写真の花々も短い命です。それだけに本州の花々よりも貴重です。可憐で美しい花々です。写真をお楽しみ下さい。

1番目の写真はチングルマの綿毛の群落の中にはミヤマアキノキリンソウが咲いている風景です。

2番目の写真は初夏の花、エゾコザクラです。

3番目の写真はチングルマの花です。

4番目の写真は大雪山だけに咲くヨコヤマリンドウです。花の先端が開いています。
5番目の写真はチシマクモマグサです。葉に切れ込みがなく毛が多いのが特徴です。


「修道院と教会の町、函館には異国の雰囲気が漂う」

2021年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム
函館の西の松前は日本海に面しています。南は津軽海峡です。東は太平洋に面しています。こんな位置にあるので函館は観光地としても人気があります。そして函館山から見下ろした美しい夜景、五稜郭公園、駅前の朝市、大沼公園などなど面白い場所が沢山あります。
しかし今日は函館にしか無いトラピスト修道院と中世のヨーロッパのようなカトリック教会をご紹介したいと思います。函館には古いヨーロッパ文化があるのです。
その理由は函館(箱館)は幕末の安政6年(1859)に開港したからです。幕末に開港した港は他には神戸、横浜、長崎もありました。 現在この4都市にはそこはかとヨーロッパ文化の雰囲気が漂っているのです。

さてトラピスト修道院は戒律が厳しい自給自足の修道院です。フランスの戒律の厳しいトラピスト派の数人の修道士が1896年、明治29年に津軽海峡を見降ろす丘の上に作ったのです。
場所は函館の西、30Kmほどの所にある渡島当別駅のそばです。深閑とした林の中に修道院本館と大きな牛舎を建てたのです。
修道士は一生の間、修道院敷地から出ません。早朝から夜まで、祈りと牧畜の労働だけで過ごします。
生産される乳製品の一部を外部へ売り、衣服や光熱費をねん出します。その製品はトラピスト・バターやトラピスト・クッキーとして現在でこそ有名ですが、昔は苦しい生活が続いたそうです。函館には何度も行きました。ここでは2012年に撮った写真をご紹介いたします。

1番目の写真はは修道院の牧草地から見降ろした津軽海峡です。

2番目の写真は修道院の正面入り口です。レンガ造りの建物玄関が開放されていて修道院の歴史や厳しい牧畜の様子の写真が展示してあります。
3番目の写真は修道院の本館です。塀の中に入れないので500m位離れた場所からズームで撮った写真です。

4番目の写真は修道院の裏にある木造の牧舎です。高い塀に沿って裏の方へ回ると数棟あります。大きな扉を開くと乳牛が外に広がる牧草地へそのまま出て行けるような配置になっています。

5番目の写真は修道院周辺の放牧地の風景写真です。乳牛牧畜の歴史の説明板もありました。

さて次は古いカトリック教会をご紹介したいと思います。
北ヨーロッパ風のゴチック建築で、内部が縦長で、祭壇にイエス様やマリア様が美しく飾ってある古臭い教会です。
カトリックでは常に正面脇の扉が開いていて誰でも中に入り写真を自由に撮れるのです。
写真で示す教会は1959年(安政6年)にフランス人の司祭、カション神父によって建てられた古い教会です。明治政府がキリシタン禁止の高札を撤去したのは1875年なのです。ですからこの教会はまだキリシタン禁止の時代に建てられたのです。

6番目の写真は函館のカトリック元町教会です。教会は創建以後、3度の火事にあいますた。現在、数多くの観光客が訪れる建物は1924年(大正13年)に出来たものです。

7番目の写真はカトリック元町教会の正面入り口です。右の小さい扉は出入り自由な扉です。

8番目の写真は教会の主祭壇です。なかなか調和のとれた美しい祭壇です。
9番目の写真はマリア様の祭壇と内壁に飾ってある木造彫刻です。
この教会の内部の中央祭壇と、会堂の内壁に飾ってある14個の木造彫刻はイタリーのチロル地方の作品です。ときのローマ法王ベネディクト15世が寄贈してたものです。力強い美しい作品です。

10番目の写真は会堂の内壁に飾ってある14個の木造彫刻の一つを大写しにしたものです。イタリーのチロル地方の作品です。

さて1858年、日露修好通商条約が出来るとロシア領事、ゴシュケヴィチがすぐに函館に着任します。彼はロシア正教の教会堂を作ります。そして1861年には司祭としてニコライ神父をよびます。
このニコライは後に東京の神田にニコライ堂を建て、ロシア正教を基礎にして日本正教会を作ったのです。
そんな歴史があるので函館には函館ハリスト教会と聖公会の函館聖ヨハネ教会もあります。いずれも火事に遭いましたが古い様式を忠実に守っています。
そして古いロシア領事館も開放されています。函館イギリス領事館もあります。
淋しい小さな漁村だった地に外国の領事館や教会が江戸末期に出来たことで箱館は急に繁栄し始めるのです。江戸幕府が寒村の函館にロシアとイギリスの領事館を置いたのです。

今日は函館の中世のヨーロッパのようなトラピスト修道院とカトリック元町教会をご紹介致しました。それは日本の近代化の黎明期の歴史だったのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)