後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「夏の花々の写真をお送り致します」

2021年08月15日 | 写真
花の写真を撮っている間は楽しいものです。その自然で、繊細な美しい姿に魅了されて夢心地になります。至福の時間です。
自分で写真を撮るだけでなく他の方々の撮った写真を眺めて楽しみます。
今日は趣味人倶楽部の「大チャンさん」のページ、https://smcb.jp/users/434777 から5枚の夏の花々の写真をお送り致します
「大チャンさん」は神奈川県にお住まいの男性の方で、いろいろな趣味をお持ちです。水泳・マリンスポーツ と写真・芸術 とボランティア・社会貢献 などがご趣味だそうです。それではその写真をご紹介致します。

1番目の写真は朝顔です。何とも言えない半透明な赤紫色が心を奪いますね。

2番目の写真はナデシコです。自分の庭のナデシコは薄い桃色ですが、このように濃い色も良いものです。

3番目の写真はネムノ木の花です。高い木の梢に咲いているのが普通です。このような写真を撮る苦労がしのばれます。

4番目の写真は萩の花です。萩の花は小さくてよく見えません。しかしこのように拡大するとその甘いような色合いがよく見えます。白い部分は蝶ですね。

5番目の写真はセイヨウノコギリソウです。西洋で品種改良したのでしょうか。いかにも洋花のような個性的な美しさが楽しいですね。

「キリスト教は何故『愛の宗教』というのか?」

2021年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日なので宗教に関する文章を書きたいと思います。
明治維新以来、日本は西洋に学び、富国強兵をしてきました。その結果、ヨーロッパの文化も日本に入って来ました。キリスト教も入って来ました。
しかしキリスト教は仏教とあまりにも違います。仏教と非常に違うので理解出来ません。当然、信じることも不可能です。
こんなに欧米と交流のある現在でも日本のキリスト教徒は人口の3%以上になりません。増える傾向もありません。

キリスト教が理解出来ないのは、それが愛の宗教だからです。愛という言葉は明治維新以前には現在のように広く使われている言葉では無かったのです。
神が人間を愛しています。イエス様も人々を愛しています。人間は神やイエス様を愛します。
キリスト教では神やイエスや人間の絆は愛で結ばれているのです。このようなことを信じられますか?
このような考えは仏教にはまったく存在しません。仏教国の日本人に理解出来ないのは当然ではないでしょうか。

ここで愛という言葉の意味を考えてみましょう。愛とは相手を大切にする心です。相手の苦しみや悲しみに心を寄せ、その苦しみを担ってあげることです。相手が好ましいと思う心です。
キリスト教では神が人間を愛するのでイエス・キリストという人間を地上に送り、人々を救けようとしました。キリストはいろいろな教えを説いた後で、人間の罪を担って十字架についたのです。
死んで3日目にふたたび生き返り、弟子たちに会ったのです。そして天上に上がり全知全能の神の右の座についたのです。
そして天上から神とイエスは地上の人々を愛し続けているのです。

私はカトリック信者です。毎週、日曜日にはミサです。
それでは私は神やイエス様が愛して下さっているという実感を何時も持っているのでしょうか?
答は、否!です。
しかしイエス様に愛されているという感じは時々持てます。例えばミサの中で、神父さんが「イエスの体」と言いながらパン片を私の手にくれる時に感じます。
その上、神父さんが私を信じ、大切にしてくれると、私は「イエス様が私を愛している」と感じます。
愛してくれれば、当然自分もイエス様を愛し、その教えに心を寄せます。

そして私の場合は洗礼を受けたカトリック立川教会の主任司祭をしていた塚本金明神父さまを忘れられません。そしてカトリック小金井教会の初代主任司祭だったムニ神父さまの愛を忘れられません。そしてその後、主任司祭になった山本量太郎神父さまの愛を忘れません。
現在の主任司祭の神父さまからも愛を感じます。
こうしてカトリックでは神父さんを通うしてイエス様の愛を実感するのです。神の愛を感じるのです。
愛されていると感じれば人間は相手を愛します。
これがキリスト教が「愛の宗教」と言われる理由なのです。

しかし元来、人間は疑い深い性格を持っています。イエス様や神の愛など信じられないのです。
しかし1日、24時間のうち数秒でもイエス様や神の愛を感じられば、それが決定的に重要になります。信者になれるのです。

まあ一般的に言えばイエス様や神の愛は荒唐無稽な話です。
多くの日本人がそれを信じないのも自然なことではないでしょうか?
宗教は無理に信じてはいけません。他人に無理強いしてはいけません。自然体で考え、信じられる人が信じれば良いことです。
私は絶対にキリスト教を他人へお薦めしません。
そして私は信じて初めて「キリスト教は愛の宗教だ」という意味が理解出来たような気がします。
世の中には信じないと理解出来ないものもあるのですね。

今日の挿し絵代わりの写真はマリア様のフレスコ画とそれがある江の島、片瀬教会の外観と内部です。写真の出典は、http://neverslourdes.blog.fc2.com/blog-entry-354.html です。
このフレスコ画を描いたのは、長谷川路可(ろか=ルカ)という日本のクリスチャンです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





「今日の 聖母被昇天のミサの動画の紹介」

2021年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム
2021年8月15日の10時から始まる聖母被昇天のミサの、カトリック関口教会と聖イグナチオ教会の動画配信は以下の通りです。

カトリック関口教会、https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E9%96%A2%E5%8F%A3%E6%95%99%E4%BC%9A+%E3%83%9F%E3%82%B5+%E9%85%8D%E4%BF%A1
8月15日10:00 司式 タルチシオ菊地功大司教,S.V.D
関口教会共同体 初聖体
入 祭  典99 しあわせな人
あわれみ・栄光 典222・223
答唱詩編 典36 神のいつくしみを②④
アレルヤ唱 典276 (聖母被昇天)
信仰宣言 ニケア・コンスタンチノープル信条(1)
奉納 典371 しあわせなかたマリア
感謝・平和の賛歌 典 224・225番   
拝領 カ典325 マラナタ
閉祭 カ322 あめのきさき


聖イグナチオ教会 、https://www.youtube.com/channel/UC-Zwcc_MbnyglsQdyOByc-Q
【本日の聖書朗読箇所】
第1朗読
ヨハネの黙示 (黙示録 11:19a, 12:1-6, 10ab)
第2朗読
使徒パウロのコリントの教会への手紙(1コリント 15:20-27a )
福音朗読
ルカによる福音 (ルカ 1:39-56)

今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

写真はティツィアーノ・ヴェチェッリオ作(1516-18年)の最も有名な聖母の被昇天の作品です。
縦に長い作品はマリアの天界への上昇を如実に伝えています。下では十二使徒たちが空を仰ぎ、中央では天使に囲まれたマリアが天を仰ぎ、最上には神の御姿が描かれています。赤い雲の部分をよく見ると、すべて天使の顔になっているんです。