後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本とフィンランドとイギリスの漁船の姿」

2024年01月06日 | 日記・エッセイ・コラム
以前、私はヨットを趣味にしていました。海や湖を帆走していると漁船が素晴らしいスピードで追い抜いて行きます。ジーゼルエンジンの音も軽快に走り去って行きます。私は漁船の性能の良さに感動して眺めていたものです。そこで今日は日本の漁船の姿をご紹介したいと思います。そしてフィンランドとイギリスの漁船の姿もご紹介致します。
それでは神奈川県の大磯港で私が撮った漁船の写真を示します。

1番目の写真は一般の釣り客を乗せる遊漁船のようです。漁具が積んでいなくて、駐車場の前に係留されています。釣れる魚は鯵、鯖、平目、鯛、イナダなどいろいろです。

2番目の写真は陸揚げされている漁船です。こうして陸揚げしていると船底に貝類がつかず船底の保守管理が楽になり、漁船の寿命も長くなります。

次にフィンランドのフィンマルクの漁船群とイギリス、エセックスのsmackと呼ばれるタイプの漁船の写真を示します。

3番目の写真は荒れる北海へ出漁するフィンランドの漁船です。

4番目の写真はイギリスのsmackと呼ばれるタイプの帆船の漁船です。
写真のように漁船の形は国によって違います。国によって違うのは文化の違いです。漁船の形が違うのは漁船の性能の何を重視するかによります。
一般的に日本の漁船は早く走る性能、すなわち高速性能を重視して作られています。
このため舳先が尖っていて細長い形をしています。そして船の大きさによって400馬力とか1000馬力のような大きなジーゼルエンジンがついています。
漁の解禁日に真っ先に一番良い漁場に着き、取った魚は港へ高速で運び帰り、高値で売れるような性能を重視した設計になっているのです。
その上、高速なので天候が急変したら急いで港へ逃げ帰ることが出来るのです。これが日本の漁業文化です。
私は以前、ヨットに乗っていましたが、ヨットのエンジンが小さいので何度も怖い思いをしました。天候が急変してもヨットはノロノロとしか帰港出来ないものです。
白い美しい姿の漁船が時速40km以上で白波を立てて追い抜いて行く姿に見とれていたものです。
3番目の写真の荒れる北海へ出漁するフィンランドの漁船は高速性能よりも耐候性を重視した設計になっています。
荒い波や強風で傾向いても大きな復元力で船が立ち直るような設計になっています。
北海で取れる鱈やニシンや鮭を急いでドイツの港まで運んでも価格がそんなに変わらないのでしょう。
復元力を重視して鈍重で安全な船の設計思想なのです。
4番目の写真はイギリスのsmackと呼ばれるタイプの帆船の漁船です。
写真をよくご覧下さい。この帆船には甲板が無く漁具や取った魚が沢山積めるような構造になっています。
帆船ですから小さなエンジンしかついていません。燃費がかからないのです。
しかし5枚の帆を上げたり、降ろしたりする労力は大変なものです。
こんな昔風の漁船を使っている人々は特殊です。伝統文化に固執し、帆走の楽しみを満喫しているのです。ですから趣味と仕事を一緒にした漁船と言えます。
しかしこの漁船の姿は美しいです。魅力あふれる姿をしています。
3番目と4番目の写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%81%E8%88%B9 です。

今日は日本の漁船の姿をご紹介し、そしてフィンランドとイギリスの漁船の姿もご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「単純に自然を愛せば幸せになる」

2024年01月06日 | 日記・エッセイ・コラム
自然の風景は美しい。それを単純に愛せば幸せになれると私は信じています。
ですから海や山や湖の風景を求めてあちこちに行きます。四季折々の山林の風景を愛しています。足もとを流れる小川の水に魅了されます。一面に苔むした庭にも大自然を感じます。
冬の木枯らしに舞う落ち葉も何かを語っています。そして一面の原野が雪に覆われている光景にも息を飲みます。遠方に碧く輝いている雪山にも何故か感動します。
自然を愛するためには理屈がいりません。
そんな自然の風景を求めて山梨県の甲斐駒岳の麓の山林の中の小屋に通っています。
遠方に輝いている富士山と甲斐駒岳と八ヶ岳と南アルプス主峰連峰の風景を飽かず眺めておます。
富士山が美しく見える場所が2ケ所あります。中央高速道路の大月インターの先の初狩サービスエリアと山梨県西部の韮崎市の広域農道からです。
下にそこからの富士山の写真を示します。

1番目の写真は山梨県西部の韮崎市の広域農道から撮った富士山の写真です。

2番目の写真は山林の中の小屋へ登る道から撮った甲斐駒岳です。

3番目の写真は小屋の近所の横手の村落から見た八ヶ岳です。

4番目の写真は南アルプスの農鳥岳、間の岳、北岳などの主峰連峰の風景写真です。

これらの風景写真は山林の中の小屋に行くたびに必ず撮る風景です。しかし行くたびに光景が違います。まるで山々が生きていて、毎日機嫌が良かったり悪かったりするようです。
それはさておき山林の中の小屋に着くと私は薪ストーブを焚いて遊びます。自宅から持参した庭木の枝を丁寧に一本ずつ燃やすのです。その行為が自然界と遊んでいるように感じるのです。
家内は外で落ち葉の焚火をしています。小川の中の落ち葉を掻きあげて川底の砂が綺麗に見えるようにしています。別にしなくてもよい余計な仕事をしているのです。家内も自然を単純に愛している様子です。
昼食は持参した昼食を薪ストーブで温めて食べます。
そんなことを2、3時間して帰ってくるだけです。
考えてみると自然を単純に愛すと幸せになると確信するようになったのは70歳を過ぎてからでしょうか?
老人になる前は体力もあり山々に登ったり、川釣りをしたり、山菜採り茸採りなどをして楽しんむものです。しかし高齢になると山に登れなくなり、川釣りも出来なくなります。ただ自然の風景を眺めるだけになります。
静かに眺めていると自然界の息づかいが聞こえてくるように感じられるのです。
それは地球の悠久な息づかいなのです。
自然と人間が一体になると感じる瞬間が時々あります。何の恐れも苦しさも無い幸せな瞬間です。これが単純に自然を愛せば幸せになるということなのでしょうか。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)