今日は私の88歳の誕生日です。思い返すといろいろなことがありました。現役で仕事をしていた頃は実に多くの人に助けて頂きました。引退後は趣味の生活で知り合った方々にご厚情を頂きました。
インターネットを通じて多くの友人も出来ました。特に多くのインターネットの友人は今朝早くから、「誕生日おめでとう!」というメッセージを送ってくださいました。現在も続けて メッセージが送られています。ありがたいことです。
本当にありがとうございます!!!
心からお礼申し上げます。
さて今日は読んで楽しく、そして心が鎮まるような内容の記事を書くことにします。
いろいろ考えて楽しい思い出のある利根川と霞ケ浦のことを書くことにしました。
利根川は日本で2番目に長い川です。河口は銚子で、そこから太平洋に注いでいます。その河口は雄大な大河のような風格を見せています。
1番目の写真は利根川の河口付近の写真です。
この利根川の河口の風景写真の出典は「青空・星空」; http://wp.ensky.jp/?p=246 です。
昨日書いたように私は仙台で生まれ育ったので広瀬川が遊び場でした。川というものは楽しい所だと思い込んでいました。
そしてアメリカ留学から帰って来て初めて会ったのがこの利根川の上流でした。
群馬県の前橋付近の坂東簗という場所で利根川のアユの塩焼きを食べて感動したのです。それはまだ食料難の影が続いていた1962年の秋でした。
2番目の写真は数年前に惜しくも廃業してしまった坂東簗の写真です。2番目と3番目の写真の出典は、 http://blog.livedoor.jp/funky_dog3/archives/51722334.html です。
写真の中央に大きな簗が傾斜して利根川の支流に差し込んでいる光景が写っています。
この簗の先端に鮎が踊っています。その活きの良い鮎を炭火で焼いて客へ供するのです。
坂東簗の発祥は江戸時代末期です。戦争の影響で一旦閉鎖されましたが、昭和29年に利根川の別名「坂東太郎」の名を冠して再び営業を始めました。そこは関東地方では有名な鮎料理の簗でした。
3番目の写真は坂東簗の鮎の塩焼きです。
仙台の広瀬川には簗がありませんでした。鮎の塩焼きなど見たこともありませんでた。生臭いイワシの塩焼きだけが魚の塩焼きでした。
ところが鮎の塩焼きは上品な滋味深い味がするのです。鮎独特の何とも言えない香りがします。感動です。嗚呼、世の中にこんなにも美味しい塩焼きがあるのです。
この坂東簗に連れて行ってくれたのが、本郷の研究室の先輩の今は亡きSさんでした。
私は仙台の大学を出てアメリカ留学に行き、東京の本郷の大学の工学部の研究室に入りました。まわりは見知らぬ他人ばかりで心細い思いをしていました。それを見かねたSさんが同じ研究室の仲間とともに前橋の坂東簗へ招待してくれたのです。
そして写真にあるような鮎の塩焼きをご馳走してくれたのです。
そんな事があって十数年がアッという間にたってしまいました。2人の子供の受験や就職に追われる忙しい年月が過ぎました。子供2人とも結婚し、やっと一息ついたのが1980年代の頃でした。
気持ちに少し余裕が出来たので家内を坂東簗へ招待しました。魚は生臭いと敬遠していた彼女が驚いたことに「鮎だけは別です!」と興奮し、塩焼きを綺麗に食べてしまいます。
家内は鎌倉生まれですが実家が多摩川沿いの日野にあったのです。毎年夏休みには、鮎の塩焼きを食べ、それでも余った鮎を祖母は煮びたしにしたり乾して保存していたそうです。ですから鮎を食べると優しかった祖父母のことを思い出して幸せな気分になるようです。
そのようなことがあって、私共は毎年必ず1回は、坂東簗に鮎を食べにいくようになりました。
そんな習慣が20年位続いていましたところ、6年位前の春に坂東簗から廃業を知らせる手紙が来たのです。
それはある時代の終わりです。衝撃を受けました。初めてそこへ連れて行ってくれたSさんも何年も前に亡くなりました。
さて利根川と言えばその下流にある霞ヶ浦に23年間クルーザーを係留してヨットを楽しんだことが忘れられません。それは1989年から2012年の秋までのことでした。
明治33年になるまでは現在の霞ヶ浦は利根川の一部だったのです。それまで利根川は現在の横利根川を流れ霞ヶ浦に注ぎ、その東端から潮来に流れ、さらに外浦を経て、銚子へと出て行ったのです。
1900年(明治33年)になり、霞ヶ浦沿岸の農地が水害に襲われるのを防ぐために利根川本流の位置を現在のように変える土木工事をしたのです。
しかしその後も利根川の一部の水は横利根川を経て霞ヶ浦につながって舟運に使用されていたのです。
4番目の写真はヨットをしていた頃に家内が撮った霞ヶ浦の風景です。
5番目の写真もヨットをしていた頃に撮った自分のクルーザーの写真です。
霞ヶ浦には楽しかったヨットの思い出がたくさんあります。でも長くなるので省略いたします。
以上をまとめると利根川の思い出として、上流の坂東簗の20年間位の思い出と下流の霞ヶ浦での23年間のヨットの思い出があります。しかし中流域や最上流部の水上付近の思い出がないのが残念です。
今日は楽しい思い出のある利根川と霞ケ浦のことを書きました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)