1941年6月22日3時15分、ドイツ軍は作戦名「バルバロッサ」の下にソ連を奇襲攻撃します。
ソ連は首都モスクワ前面まで攻め込まれ、ドイツ軍は2000万人以上のロシア人を殺戮したのです。
しかし英米を主力とする西側連合国はノルマンデーに上陸し反撃に転じます。最後のベルリンの戦いでナチス・ドイツが完全に敗北してヨーロッパでの第二次世界大戦が終了したのです。
この戦いにおいてソ連側の死者は大規模でした。独ソ戦の犠牲者(戦死、戦病死)は、ソ連兵が1,470万人、ドイツ兵が390万人でした。民間人の死者を入れるとソ連は2,000 - 3,000万人が死亡し、ドイツは約600 - 1,000万人であると言われています。
ソ連の軍人・民間人の死傷者の総計は第二次世界大戦における全ての交戦国の中で最も多いばかりか、人類史上全ての戦争・紛争の中で最大の死者数を計上したのです。
話は変わります。私は1969年にシュツットガルト 市にあるマックスプランク研究所でプルシュケル博士と親しくなりました。彼と一緒に「固体電解質の物理」という専門書の一つの章を共同執筆したのです。
プルシュケル氏の言葉が忘れられません。
「日本人は中国人を軽蔑しているが、ドイツ人は中国を軽蔑している日本人を信用も尊敬もしないよ。もっと東洋と西洋の文化と相互交流の歴史を考えて、東洋の利益を考えるべきでは」「西洋の近代植民地主義に便乗するのではなく、東洋の利益、日本の利益を基本的に考えて西洋諸国と交流するのがよいと思う」と言ったのです。
プルシュケル氏は第二次世界大戦以前は東ドイツの村に住んでいました。ロシア軍が侵入した時に村人は皆殺しに遭い、1人だけ生き延びて西ドイツに逃げ、研究所の主任研究員(後に大学教授)になった人です。
ロシア人を憎んでいないのかと質問すると、「ドイツが電撃作戦でロシアに侵入した時、若いロシア人を2000万人以上も殺した。ロシア側は当然のことをしたので特に憎む気持ちはない」と答えました。このような男が「日本人は中国人と信頼関係を維持したほうがよい」と言うのです。
「日本人は中国人を軽蔑しているが、ドイツ人は中国を軽蔑している日本人を信用も尊敬もしないよ。もっと東洋と西洋の文化と相互交流の歴史を考えて、東洋の利益を考えるべきでは」「西洋の近代植民地主義に便乗するのではなく、東洋の利益、日本の利益を基本的に考えて西洋諸国と交流するのがよいと思う」と言ったのです。
プルシュケル氏は第二次世界大戦以前は東ドイツの村に住んでいました。ロシア軍が侵入した時に村人は皆殺しに遭い、1人だけ生き延びて西ドイツに逃げ、研究所の主任研究員(後に大学教授)になった人です。
ロシア人を憎んでいないのかと質問すると、「ドイツが電撃作戦でロシアに侵入した時、若いロシア人を2000万人以上も殺した。ロシア側は当然のことをしたので特に憎む気持ちはない」と答えました。このような男が「日本人は中国人と信頼関係を維持したほうがよい」と言うのです。
それから私は中国の共産党員と本気で付き合うようになったのです。中国に5回も行きました。北京科学技術大学の周栄章教授と非常に親しくなりました.東京の私が勤めていた大学へ中国人を3人留学させました。みな
共産党員でした。
以上、私の経験を少しばかり書きました。
添付の写真は独ソ戦の寫眞です。
上段左:ベルリンの戦いでのT-34
上段右:クルスクの戦いでのティーガーI
中段左:スターリングラード攻防戦時のソ連軍
中段右:1943-1944年時のJu 87 シュトゥーカ
下段左:降伏文書に署名するカイテル元帥
下段右:ユダヤ人女性を銃殺する特別行動部隊
上段右:クルスクの戦いでのティーガーI
中段左:スターリングラード攻防戦時のソ連軍
中段右:1943-1944年時のJu 87 シュトゥーカ
下段左:降伏文書に署名するカイテル元帥
下段右:ユダヤ人女性を銃殺する特別行動部隊