中国の文学は豊かです。長い歴史があり、広い分野があります。とても私には中国文学の全てを紹介することが出来ません。不可能です。そこで今日は自分が好きな魯迅の作品の片鱗だけをご紹介します。

1番目の写真は魯 迅です。写真は4枚とも出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%AF%E8%BF%85 です。
彼は 1881年に生まれ 1936年に亡くなりました。中国で最も早く近代小説を書いた作家でした。中国だけでなく日本でも広く愛読されている作家です。
彼は 1881年に生まれ 1936年に亡くなりました。中国で最も早く近代小説を書いた作家でした。中国だけでなく日本でも広く愛読されている作家です。

2番目の写真は上海にある魯迅記念館です。
さて 魯迅は、1904年(明治37年)9月から1906年(明治39年)3月までの約1年半、私の故郷の仙台に留学していました。
その関係で仙台市や留学していた東北大学は魯迅にまつわる交流イベントを行っていました。
多くの中国人は東北大学の片平キャンパスにある(旧)仙台医専の「階段教室」をよく知っています。1998年(平成10年)11月29日には江沢民総書記も訪問しています。中国人は魯迅がいつも座っていた教室の前から3番目の右端の席で記念撮影をよくしているそうです。

3番目の写真は紹興市から仙台市に送られた魯迅像(仙台市博物館) です。
この他、東北大学の本部キャンパス内に「魯迅先生像」(1992年10月19日設置)や「魯迅の碑」(1960年12月設置)があります。
また「魯迅旧居」の石碑が片平キャンパス正門近くにあります。

4番目の写真は東北大学の本部の片平キャンパスです。
続いて魯迅の作品のほんの一部をお送りします。
『故郷』、魯迅(藤春夫訳)
(https://www.aozora.gr.jp/cards/001124/files/59433_73194.html )
私はきびしい寒さを物ともせず、二千里の遠方から二十余年ぶりで故郷へ帰って来た。
冬も真最中となった頃、やっとのことで故郷へ近づいた折から、天気は陰気にうす曇り、冷たい風は船室の中まで吹き込んで来て、ぴゅうぴゅうと音を立てている。船窓から外を覗のぞいて見ると、どんよりとした空の下に、あちらこちらに横たわっているのはみじめな見すぼらしい村であった。活気なんてものはてんであったものではない。自分の心には圧え切れないうら悲しさがこみ上げて来た。
ああ、二十年このかた忘れる日とてもなかった故郷はこんなものであったろうか。
わが心に残っている故郷はまるでこんなところではなかった。故郷にはいいところがどっさりあった筈はず。その美しいところを思い出して見ようとし、その好もしい点を言って見ようとすると、私の空想は消えてしまい、現わす言葉も無くなってしまって、目の前に見るとおりのものになってしまう。そこで私は自分に言って聞かすには、故郷はもともとこんなところだったのだ。――昔より進歩したというのではないが、それかといって必ずしも私が感ずるようなうらさびしいところでもない。これはただ自分の心持が変ってしまっただけのことなのだ。というのは自分が今度このたび故郷へ帰って来たのは、決して上機嫌で来たのではないからだ。
私は今度は故郷に別れを告げるために来たのである。私たちが何代かの間一族が寄り合って住んでいた古い屋敷が、もうみんなで他人に売り渡されてしまい、明け渡し期限は今年一杯だけで、是非とも来年の元旦にならないうちに私たちはこのなじみ深い古家に別れ、また住み馴れた故郷の地を離れ、家を引き払って、私が暮しを立てている土地へ引っ越してしまわなければならなかった。・・・以下省略します。
冬も真最中となった頃、やっとのことで故郷へ近づいた折から、天気は陰気にうす曇り、冷たい風は船室の中まで吹き込んで来て、ぴゅうぴゅうと音を立てている。船窓から外を覗のぞいて見ると、どんよりとした空の下に、あちらこちらに横たわっているのはみじめな見すぼらしい村であった。活気なんてものはてんであったものではない。自分の心には圧え切れないうら悲しさがこみ上げて来た。
ああ、二十年このかた忘れる日とてもなかった故郷はこんなものであったろうか。
わが心に残っている故郷はまるでこんなところではなかった。故郷にはいいところがどっさりあった筈はず。その美しいところを思い出して見ようとし、その好もしい点を言って見ようとすると、私の空想は消えてしまい、現わす言葉も無くなってしまって、目の前に見るとおりのものになってしまう。そこで私は自分に言って聞かすには、故郷はもともとこんなところだったのだ。――昔より進歩したというのではないが、それかといって必ずしも私が感ずるようなうらさびしいところでもない。これはただ自分の心持が変ってしまっただけのことなのだ。というのは自分が今度このたび故郷へ帰って来たのは、決して上機嫌で来たのではないからだ。
私は今度は故郷に別れを告げるために来たのである。私たちが何代かの間一族が寄り合って住んでいた古い屋敷が、もうみんなで他人に売り渡されてしまい、明け渡し期限は今年一杯だけで、是非とも来年の元旦にならないうちに私たちはこのなじみ深い古家に別れ、また住み馴れた故郷の地を離れ、家を引き払って、私が暮しを立てている土地へ引っ越してしまわなければならなかった。・・・以下省略します。
20年ぶりに故郷を見た魯迅の悲しみが私の胸を打ちます。
・・・船窓から外を覗のぞいて見ると、どんよりとした空の下に、あちらこちらに横たわっているのはみじめな見すぼらしい村であった。・・・
この短い文章でも魯迅の文学の片鱗がよく分かります。私はもっとご紹介したいのですが長くなるのでやめます。
主な作品は、https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1124.html に掲載されています。
今日は自分が好きな魯迅の仙台への留学を紹介しました。そして『故郷』、魯迅(藤春夫訳)の冒頭部分を紹介しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)