後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「私は田舎者です、都会に疲れます、そんな時は、」

2024年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム
地方で生まれ育った人が都会に住んでいると、時々、都会に疲れます。
私も地方から出て来て東京に住んでいます。ところが何十年たっても都会に疲れるのです。それは不思議な感情です。
そんな時は農家を見に行きます。その農家の昔風の風景を見ると心の疲れが消えます。元気が出てきます。
今日はそんな農家の見える風景の写真をお送りいたします。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。以前に訪ねた所で家内が撮りました。
1番目の写真は隣町の国分寺市の「お鷹の道」にある農家の風景です。
2番目の写真は奥多摩の秋川の支流の養沢を最も上流へ遡った所にある家の写真です。母屋の左右に蔵があります。
3番目の写真は養沢を最も上流へ遡った所にある家の左の蔵です。
4番目の写真は奥多摩の養沢を少し遡った所にある家の白壁の蔵の写真です。
5番目の写真は立川市の川越道緑地古民家園に保存、展示してある江戸時代の小林家の農家です。場所の地図は、http://www.city.tachikawa.lg.jp/shogaigakushu/shisetsu/bunkazai/002.html にございます。
6番目の写真は小林家の農家の座敷の写真です。この農家は出入り自由なので座敷に上がり縁側で暫く日向ぼっこを楽しんで来ました。
7番目の写真は小林家の囲炉裏です。

今日は都会に疲れた折に見に行く昔風の農家のある風景の写真をお送りいたしました。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「一層強くなった愛国心と懐かしい外国の風景」

2024年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム
日本は良い国です。愛国心を特に意識していない人でも、心の奥底には自分の住んでいる日本という国を大切に思っています。
そしてその無意識下の愛国心は外国に住んみると一層強くなります。愛国心とは何だろうかといろいろ考えるようになります。
私も若い頃アメリカに留学し、後にドイツやスエーデンに住んだことがあります。その他、中国、韓国、台湾、香港、シンガポール、ベトナム、タイ、フランス,イギリス、ノルウェー、フィンランド、ベネズエラ、カナダなどに仕事で行ったことがあります。
この外国移住の体験と外国旅行から日本は素晴らしい国だと思うようになりました。
そして若いころ住んだアメリカとドイツの風景を懐かしく思い返しています。茫々何十年も前のことです。懐かしい風景写真を示します。
1番目の写真は1960年に留学したオハイオ州立大学です。
2番目の写真はオハイオ州立大学のあるコロンバス市です。
3番目の写真は1969年にドイツ語を研修したローテンブルグです。
4番目の写真は1969年から1970年に留学したシュツットガルト市です。

5番目の写真は1970年のシュツットガルト市郊外の雪原です。妻と2人の子供が雪原で遊んでいます。
6番目の写真はスイスのレマン湖です。ドイツのシュツットガルト市から近いので何度も訪れました。

7番目の写真はスイスのグリンデルワルトから見上げたアイガーです。

以上に若いころ住んだアメリカとドイツの風景の写真を示しました。懐かしい風景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「魅力的な西伊豆、戸田と三津浜の海の風景」

2024年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム
伊豆半島の西海岸にも美しい風景が広がっています。そんな風景のなかでも私は駿河湾の向こうに富士山の見える風景が好きです。
富士山の見える所は西伊豆の沼津から三津浜や戸田にかけてです。西浦地方と言います。
東京からは交通が不便なので観光客がめったには行かない地域です。
その戸田には昔、家内と泊まった楽しい思い出があります。
それから駿河湾では北欧風の大きなヨットで2009年に帆走した思い出もあるのです。
ある日、家内と一緒に車で西伊豆の海岸の風景を楽しむ旅に出ました。西伊豆の旅の後は宇佐美に出て湯河原温泉に泊まりました。
それでは伊豆半島の三津浜から戸田にかけての西浦地方の海岸の風景写真を示します。

1番目の写真は内浦湾の重須ヨット係留地の風景です。
ヨットのマストの上に富士山がぼんやり写っています。晴天でしたが富士山には薄い雲がかかっていて鮮明には見えませんでした。

重須ヨット係留地から海沿いに車を走らせました。養殖用のいかだの前にヨットが並んでいます。
伊豆半島の西側はヨットの係留料金が格安なのです。その上、漁協が経営している係留地が多く、安心してヨットを係留出来るのです。そのため多くの東京の人は沼津から伊豆半島の西海岸にヨットを係留しているのです。

2番目の写真は三津浜に近い漁港の風景です。岸壁は漁船が使い。ヨットは沖に係留します。

3番目の写真は2009年の5月に乗せて貰ったハンスクリスチャン41という北欧風の木造のヨットです。
当時あった東京湾ヨットクラブの帆走技術の先生をしていた毛利さんが船長をしてくれました。

4番目の写真はそのハンスクリスチャン41で駿河湾を帆走している場面の写真です。
五月晴れの日だったので雪のある富士山が駿河湾の上に輝いていました。

5番目の写真は戸田港を高台から見下ろした風景です。
湾を囲んでいる岬は潮流が運んだ砂が砂洲となりやがて樹木が生い茂って半島になった珍しい地形です。伊豆大島の波浮港のような火口湖ではありません。
戸田の町は現在、沼津市に合併されて沼津市戸田町と呼ばれています。
写真の左奥の戸田峠を越すと修善寺へ行けます。修善寺からはもう一つの峠の亀石峠を越すと相模湾側の宇佐美に出ます。
この山岳道路は険しい道でした。それでも午後4時には湯河原温泉の三枡家に着きました。
途中の三津浜では貝殻亭で食事をしましたが、魚類の新鮮さと美味しさに家内も感動していました。
その後でこの地方の特産品の西浦ミカンを一箱買いました。帰宅後、賞味しましたら美味絶佳の昔風のミカンの味で、これにも感心したのです。

今日は西伊豆の戸田と三津浜の美しい海の風景をご紹介いたしました。懐かしい思い出です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)