後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ツルゲーネフとドストエフスキーの世界」

2024年03月07日 | 日記・エッセイ・コラム
イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフは 1818年11月9日生まれ 1883年9月3日に没した。
ロシア中部オリョールに、地主貴族の家庭の次男であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%84%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%95#%E8%84%9A%E6%B3%A8

15歳でモスクワ大学教育学部に入学する。1838年から1841年までベルリン大学で哲学や古典語を学ぶ。
1843年、叙事詩『パラーシャ』を発表。その年、夫と子のあるオペラ歌手、ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドに一目惚れし、彼女を追ってパリに移り住んだ。それ以後、西欧とロシアを往復する生活が終生続いた。

1847年から雑誌に発表された『猟人日記』で、貧しい農奴の生活を描き、農奴制を批判したことで投獄される。この作品は農奴解放(1861年)に大きな役割を果たした。その後も、1854年の『ムムー』でも地主の下で使われる農奴たちの悲劇と精神の解放を描いている。

一方、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーは1821年11月11日に生まれ 1881年2月9日に没した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC#%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC
ロシア帝国の小説家・思想家です。トルストイやツルゲーネフと並び、19世紀後半のロシア小説を代表する文豪でそた。
28歳で空想的社会主義に関係して逮捕されるが、出獄後、代表作である『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』などを発表し、「現代の預言書」とまでよばれる文学を創造した。

ドストエフスキーの著作は、世界中で読まれ、170以上の言語に翻訳されている。

ドストエフスキーと日本。

ドストエフスキーの作品が初めて日本に、伝えられたのは内田魯庵が『罪と罰』を英語から重訳したのが始まりである。

ドストエフスキーが日本文学に与えた影響は計り知れない。

作家江戸川乱歩は、ドストエフスキーの作品を繰り返し読み、「スリルの事」というドストエフスキーの作品に関するエッセイも書いている。

映画監督の黒澤明は「ドストエフスキーは若い頃から熱心に読んでいて、どうしても一度は映画化をやりたかった。もちろん僕などドストエフスキーとはケタが違うけど、作家として一番好きなのはドストエフスキーですね」と語った。

黒澤は『白痴』を、日本を舞台にした上で映画化している。また『赤ひげ』の「おとよ」は山本周五郎の原作からは離れて、『虐げられた人びと』のネリーをモデルにしている。『死の家の記録』の映画化を企画したこともあった。

小林秀雄は、前中期の代表作に『ドストエフスキイの生活』ほかの作品研究があり、昭和10年代から現在まで重版されている。

手塚治虫は、ドストエフスキーの影響を非常に受けた漫画家である。「ボクの長編の基本は『罪と罰』なんです」と公言していた。手塚治虫は『罪と罰』を初期に漫画化している。

村上春樹は、最も好きな作品の一つとして、『カラマーゾフの兄弟』を挙げている。エッセイ『村上朝日堂の逆襲』では、「ドストエフスキーは、この世に様々な“地獄”が存在することを示した」と書いている。

三島由紀夫は初期作品『仮面の告白』の冒頭で、『カラマーゾフの兄弟』を引用している。
作品中での日本に関する言及としては、『白痴』第一編の終わりの箇所がある。

写真はインターネットからお借りしたシベリアの白樺林です。
 

「日本人を愛したニコライ、そしてレーピンと チ ャイコフスキーを思い出す」

2024年03月07日 | 日記・エッセイ・コラム
この度のロシア軍のウクライナへのミサイル攻撃と東部の占領でロシアは世界中の非難を浴び孤立無援です。
その結果、ロシア人は全て悪という風潮です。しかしこれは間違った軽薄な社会風潮です。ロシアの権力者と一般のロシア人個人は別の存在です。違う性格を持っている人々なのです。
今日は良いロシア人として日本に在住したニコライをご紹介します。そして私の大好きな画家のレーピンと作曲家のチ ャイコフスキーも紹介したいと思います。
さてニコライとは神田にニコライ堂を建てたロシア人、ニコライ・カサートキンのことです。彼は終生日本人を愛したのです。
ニコライは1836年にロシアのある農村で生まれ、明治維新の7年前の1860年、24歳の時日本へキリスト教の宣教のために行く決心をします。翌年、函館に着いてから終生日本に居ました。
日本に着いた1861年はまだ江戸時代です。それから51年後の1912年、75歳で永眠し、上野の谷中の墓地に葬られ日本の土になりました。
函館着任後に書道も研鑽し、日本の歴史や佛教も勉強しました。古事記や日本書紀も読破する勉強家でした。
ニコライの日本を愛する心は強く、数々の感動的なエピソードが残っています。その中から一つをご紹介します。
1904年と1905年には日露戦争が続きました。戦争勃発とともに在日ロシア人は一斉に帰国して行きます。ロシア公使のローゼン男爵もニコライに帰国するように薦めます。ニコライは静かに言うのです、「私はロシアに仕える者ではない。主ハリスト(主キリスト)に仕える者である。」と。
日露戦争の間、ロシア正教の日本人信徒は「露探」(ロシアのスパイ)と罵倒され、聖堂や集会所が暴徒の襲撃を受けたのです。
この時、ニコライは教書を発表し信徒を慰めます、
「我々には地上の祖国の他に、天に国がある。天の国には民族の別無く皆が平等に生きている。なぜなら全ての人々は皆同じ父(神)の子であり、お互いは皆兄弟であるからです。我々の属する国は主である神が作った教会なのです。信者は平等な会員なのです。天の神、すなわち我らの父の一つの家族としてとどまり、その家族としての義務をそれぞれに果たすようにしようではないか!」
ニコライは日本人信徒の一人一人を強く愛していたのです。ロシアへ逃げ帰るなど考える筈がありません。
1912年、持病の心臓病が悪化し、天に帰りました。
ニコライ堂から上野の谷中の墓地まで、葬列を見送る人垣が沿道の両側を埋め尽くしました。多くの日本人がニコライの死を悲しんだのです。
明治天皇からの「恩賜の花輪」を抱きかかえた人が葬列の写真に見えます。私は葬列と沿道の人々の光景の写真を10枚持っています。ニコライ堂の売店から買って来たのです。
ニコライは明治天皇を尊敬し、深く日本の信者を愛していたのです。日本人を愛すことは「隣人を愛せ」というイエス様の教えなのです。私はニコライの愛は日本民族に対する「深遠な愛の心」だったと信じています。

さてロシアの画家、イリヤー・レーピンをご紹介します。私の胸を打つ感動的な油彩画を描いた画家です。暗い絵ですがロシアの深い芸術性を感じます。
彼は 1844年に ハリコフ近郊 で生まれ、 1930年に亡くなりました。 心理的洞察を描き込んだ写実画が感動的です。私の感動した船曳きの絵を示します。
 1番目の写真は「ヴォルガの船曳き」です。
そして続けてもう3枚の油彩画をお送り致します。
2番目の写真は「クルスク県の復活大祭の十字行」です。
3番目の写真は「トルコのスルタンに手紙を書くザポロ-ジャのコサック」、1880年作です。

 4番目の写真は「思いがけなく」、 1883年 - 1898年作です。
さて最後に作曲家のピョートル・チャイコフスキーを簡略に紹介致します。私の大好きな作曲家です。
チャイコフスキーは1840年5月7日、ウラル地方ヴォトキンスクで、鉱山技師イリヤ・チャイコフスキーの次男として生まれました。 1893年11月6日に没しました。 叙情的で流麗な旋律と華やかなオーケストラ曲で有名です。 
私は若い頃からよく聞きました。懐かしい作品を列挙します。
作品についてはチャイコフスキーの楽曲一覧をご覧ください。
幻想序曲「ロメオとジュリエット」
バレエ音楽「白鳥の湖」 作品20
ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23
スラヴ行進曲 作品31
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
「四季」- 12の性格的小品 作品37a
弦楽セレナーデ ハ長調 作品48
大序曲「1812年」 作品49
バレエ音楽「眠れる森の美女」 作品66
バレエ音楽「くるみ割り人形」 作品71
交響曲第6番 ロ短調「悲愴」 作品74

今日はここで五嶋みどりさんさんが演奏する チ ャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をお送り致します。
https://www.youtube.com/watch?v=-I5qh7c0QL0 です。
あわせてチャイコフスキー名曲 10選、https://www.youtube.com/watch?v=uti8sOBlV7s もお聞き下さい。

今日は日本人を愛したロシア人、ニコライをご紹介しましました。そしてレーピンの油彩画と チ ャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲などをご紹介しましました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)