何故か私は春の菜の花が好きです。最近その理由を考えていたら2つの理由を思いつきました。
幼少の頃、庭の花壇に父が植えた菜の花に蝶が飛んでいました。春の暖い陽射しが蝶の白い羽根にあたり、キラキラしていました。そんな風景が心に焼き付いています。
短気で厳しかった父でしたが、草花へは根気が続き、庭には毎年、四季折々花が絶えませんでした。春になると一番先に菜の花と水仙が咲いていた庭を思い出します。戦争中でしたが、我が家の庭だけは平和でした。楽しい追憶です。
そしてそれからずうっと後になって、1974年にドイツを独り旅をしていた時の思い出です。薄暗い列車のコンパートメントの窓から、低い雲に覆われた野や林を見て居ました。
春先でまだ冬の様な光景が淋しく延々と広がっているのです。列車が憂鬱な林を抜けると、突然一面に菜の花畑が広がっていたのです。アッと息を呑んでしまいました。その花畑は明るい黄色で輝いています。中空に浮いているようにも見えます。
菜の花畑が暗い憂鬱な北国の冬を一気に吹き飛ばしているのです。感動しました。あの一面の菜の花畑の光景はこうしてキーボードを叩いている私の心に鮮烈に蘇っているのです。春の到来を告げる感動的な情景でした。当時のドイツでの仕事の苦しさと混じって何か悲しいような追憶です。
毎年、浜離宮の菜の花畑が咲きます。2011年にその写真を撮るために隅田川の川下りの船を浜離宮で降りました。下にその時撮った写真をお送り致します。これも菜の花にまつわる追憶です。
昨日、桜の名所の小金井公園に行ったら中央に沢山あるソメイヨシノはまだ咲いていませんでした。一斉に咲いた光景は豪華です。華麗です。以前に撮った写真を示します。
1番目の写真は以前に撮った小金井公園のソメイヨシノの花です。
桜の花言葉を調べてみました。
桜には3つの花言葉があるそうです。「精神美」と「優美な女性」と「純潔」だそうです。
花言葉は西洋で作られたので日本人には理解できないのでしょうか?
そこで他の花の花言葉を調べみました。
そこで他の花の花言葉を調べみました。
西洋の国々ではいろいろな花に対応した花言葉はを決めています。そして言葉の代わりにその花を女性に贈り、男性の気持ちを伝えるのです。勿論、その逆もあります。
女性は美しい花を貰った上で男性の気持ちが分かるのです。女性にとって花言葉は楽しい、そしてロマンチックな言葉なのです。
これは西洋の男女の関係の文化です。西洋文化の一部なのです。
これは西洋の男女の関係の文化です。西洋文化の一部なのです。
しかしこれは一種の暗号なので花言葉の解読には暗号の意味を示す暗号表を双方で持っていないと意味が分かりません。誤解も生じます。
私は新婚当時家内の誕生日に黄色いバラを10本贈って怒られたことがあります。「黄色いバラは 愛の薄らぎ」だと言うのです。その後は赤かピンクのバラにしました。
花言葉を知っていてその使い方も大変重要なのです。
(1)花言葉の一覧表と使い方
例えば日本で一般的に使われている花言葉の一覧表は、http://hananokotoba.com/hanakotoba-ichiran/ に出ています。
一例として写真にアサガオの花を示します。
2番目の写真はアサガオです。
アサガオの花言葉の意味は下のように書いてあります。
アサガオ;「はかない恋」「固い絆」「愛情」
この三つの言葉は矛盾しています。ですからアサガオの花を贈ったら、その意味がまぎわらしくなります。そこで暗号表が必要になります。
双方でアサガオの花言葉は「はかない恋」と決めておけば 意味が通じます。しかし「はかない恋」がどうしたと言うのでしょう?
アサガオを女性が男性へ贈って、「残念でした」というカードを添えて送れば初めて意味が通じます。女性がこの男性と別れたいという意味が明白になります。
こんな面倒な通信手段を使いことが西洋文化の一部なのです。
花言葉が日本に輸入されたのは、明治初期とされ、当初は輸入された花言葉をそのまま使ってましたが、その後、日本独自の花言葉も盛んに提案され普及したのです。
花言葉は使いにくい言葉ですが、ロマンチックな存在であることは間違いありません。
それでは花言葉は誰がいつ頃作ったのでしょうか?
その起源については不明ですが、フランスの貴族社会では、19世紀初頭には草花を擬人化した一覧表の本が人気を博したそうです。草花と特定の意味の組み合わせ例を示した手書きの本も存在していたそうです。
そうした本は、草花の性質にことよせて恋人の美しさを賞賛したり、あるいは不実や裏切りを非難するといった恋愛の駆け引きのために使われたそうです。
(2)花言葉の歴史
花言葉の詳細な歴史については、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E8%A8%80%E8%91%89 をご参照ください。
特に画期的な本は1819年頃に出版されたシャルロット・ド・ラトゥール『花言葉』 (Le Langage des Fleurs)でした。この本こそ最初の花言葉辞典と言えます。
ラトゥールは独自の花言葉を270以上のリストにまとめていますが、その命名手法の特徴は、大きく2つに分けられそうです。
第一は、その植物の外形や香り・色・生態といった植物の性質・特徴を言葉で表現しようとする観察重視の姿勢。たとえばブラックベリーについて、自らの観察をもとに「人目を避けるように生え、ひとたび口に含むと苦さだけが残る」とまとめた上で、花言葉を「嫉妬」と名付けるような手法がその例です。
第二は、西欧社会で草花が積み重ねてきた文化史的伝統を、一つの単語に凝縮して形容しようとする文化史重視の姿勢である。例えば古代ギリシアの伝統を参照しながら月桂樹に「栄光」の花言葉をあてたり、聖書の記述をひいて「オリーヴの花言葉は平和」などとする方法で花言葉を決めるのです。
(3)花々の民族誌
このように花言葉の大半はヨーロッパの民族文化を背負っているのです。
そこでその花々の民族誌について簡単に示します。
ヨーロッパがキリスト教になる遥か以前からスミレ、ワスレナグサ、ユリ、バラなどにまつわる伝承や物語があったのです。写真を示します。
3番目の写真はスミレです。
4番目の写真はワスレナグサです。
5番目の写真はユリです。
6番目の写真はバラです。
例えば上の写真のスミレは古代ギリシャやローマの時代から春の使者として愛されて来ました。春の女神が大地を歩むと、その足跡から春の最初のスミレが芽生えると信じられていたのです。
ウイーンの宮廷では13世紀の頃、3月になるとドナウ河の川岸に春の最初のスミレを探しに出かける習慣があったそうです。ヨーロッパ各地の春の祭りにはスミレの花が主役のように出てくるのはこの古くからの伝承によるのです。ボチチェリの名作「春」の野原にも描かれています。
ワスレナグサは湿地や川辺に咲いています。この可憐な花は、昔から愛と誠のシンボルとしてヨーロッパ人に大切にされて来ました。この青い小さな花を手にとって、「恋人よ、私を忘れないで!」と祈ると効き目があり2人は結ばれるのです。ワスレナグサの英語名は、文字通り、forget-me-not と言います。ドイツ語ではVergissmeinnicht です。どちらも「私を忘れないで!」という意味です。
ひと茎のこの花を恋人に取ってあげるために川に落ち、命を失った若者の話は今も伝えられています。
元来日本には無かった花なので日本名はヨーロッパ語の直訳です。
ワスレナグサは魔力も持っています。愛の妙薬として男性がポケットに入れて置くと娘に気に入られるのです。ある牧師が1588年にそれは全くの迷信で、効き目が無いと声高く否定していたと言います。その事は逆に、多くの若者が愛の妙薬としてワスレナグサの魔力を信じていたということを示しています。ヨーロッパにも日本と同じように迷信が沢山あるのです。
ユリの花はギリシャ、ローマ時代から神聖な花として大切にされて来ました。白い楚々とした花、そして清らかな芳香は純潔と処女性のシンボルとして尊重されて来たのです。キリスト教でもこの伝統を受け継いできました。聖母マリアの絵にはユリの花が描かれています。その伝統にもとづいてカトリックの国々では祭りの日にはマリア像をユリで飾るのです。
ヨーロッパの文学ではユリと純潔な娘に関連する物語が多いのも上のような伝承に依るのです。宗教画でよく目にすることと思います。
またユリの球根は婦人病に効き目があるとして民間療法で使われていたそうです。それも勿論迷信です。
ヨーロッパではバラは花の女王と考えられています。青春と美と愛と喜びのシンボルなのです。ギリシャの女流詩人サフォーが「バラは花の女王」と書いています。その美しい形、色、香りから当然のことでしょう。
バラは美の女神ヴィーナスに捧げられました。ゲルマン神話では生垣のバラは女神フリッガに捧げられています。さらに古い俗信では、バラは神聖な森や供犠の為の祭壇があった所や埋葬地に好んで咲いていると言います。
さてヨーロッパにキリスト教が普及するとともに薔薇はマリア様へ捧げられるようになったのです。マリア様の絵の周りにバラの花が盛んに描かれてきました。
キリスト教以前からヨーロッパ各地にはバラ祭りがありました。さまざまな踊りや歌の趣向が凝らされていますが、祭りの中心をなすものは「バラの女王」を選ぶことにあるのです。
このように花々を愛する民族の歴史はキリスト教よりも古いのです。
今日は皆様の人生が花々と共に一層豊かに、そして幸多くなりますようにお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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この記事の内容の出典は、谷口幸男、福嶋正純、福居和彦 共著、「ヨーロッパの森から」ードイツ民族誌 (NHKブック397、日本放送昭和56年8月20日第一版発行)という本です。 又、花々の写真の出典はWikipedea です。 記して、感謝の意を表します。(終り)
今年の復活祭は3月31日の日曜日です。現在は四旬節の最中です。四旬節.は2月14日、水曜日から3月28日、木曜日までです。灰の水曜日は2月14日でした。 リオのカーニバルは2月9日、金曜日から2月17日、土曜日までです。
2月9日になると世界的に有名な南米のリオデジャネイロのカーニバルが開催されます。カーニバル、四旬節、復活祭などは欧米の春の歳時記です。
2月9日になると世界的に有名な南米のリオデジャネイロのカーニバルが開催されます。カーニバル、四旬節、復活祭などは欧米の春の歳時記です。
今日はこれらの歳時記の説明をしたいと思います。
さてカーニバルは謝肉祭と訳します。肉食の快楽に感謝するお祭りなので謝肉祭なのです。それは肉食をしている欧米人にとっては重要な行事です。
伝統的に肉食をしなかった日本にはこんな祭りはありません。日本人には意味不明な祭りなのです。
この謝肉祭が終わると「灰の水曜日」になり厳しい禁欲の四旬節が40日間が始まります。四旬節が終わると復活祭です。
順々に書くと、リオのカーニバル、灰の水曜日、四旬節、復活祭と季節が流れていきます。今年の復活祭は3月31日の日曜日です。
復活祭はキリストが蘇ったことを祝う祭りです。しかし特に日本人に分かり難いのが四旬節です。
四旬節は復活祭の前の厳しい禁欲の40日間なのです。食べ物だけでなく歌舞音曲全ての快楽を禁じるのが四旬節です。騒がしい音楽やお笑いがテレビやラジオから消えます。静かな番組になります。
カトリックでは「灰の水曜日」には特別なミサがあります。神父様が信者一人一人の額に灰で十字を描くのです。そして人間が土から生まれ灰になる儚い存在であると説教で教えるのです。それは禁欲の四旬節の準備なのです。
欧米の国々ではカーニバルや灰の水曜日や四旬節や復活祭は春先の季節のうつろいを示す歳時記のようなものなのです。
以前の南米のリオデジャネイロのカーニバルの写真をご覧下さい。
これらの写真が示すようにリオのカーニバルは大がかりで華やかなお祭りです。この世の楽しみを大規模に表現しています。そして人々がそのその快楽に酔いしれるのです。
北半球の西洋では春先ですが南半球は夏の終わりです。季節のうつろいを示す祝祭日です。
西洋の祝祭日のクリスマスやカーニバルや復活祭も日本の俳句の季語になっていることは面白いと思います。
写真はインターネットからお借りしました。
今日はリオのカーニバル、灰の水曜日、四旬節、復活祭の意味を説明しました。そしてお互いの関係を簡単にご説明しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)