後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「春の風物詩、間もなく咲く小金井桜、江戸時代からの桜の名所」

2024年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム
間もなく咲く小金井桜は江戸時代からの桜の名所です。
小金井桜が開花し始めると毎日のように行っては櫻花の美しさに陶然となり見とれています。花見弁当を持っていってゆっくり食べます。
桜が好きなので上野の桜も隅田川の桜も千鳥ヶ淵の桜も勿論見ました。
長野県の高遠の桜も福島の花見山の桜も吉野山の桜も見ました。日本三大桜の神代桜も三春の滝桜も見ました。日本中のいろいろと有名な桜を見ました。
しかし小金井桜が日本一見事な桜だと思います。理由も根拠もありません。たんに自分の住んでいる小金井市にあるだけなので日本一と言っているだけです。
小金井市を東西に貫いて流れている玉川上水堤に初めて桜の木が植えられたのは、元文2年(1737)と言われています。
今日の4枚目の写真ご紹介する、広重の「小金井橋夕照 」が描かれた1835年より凡そ100年くらい前のことです。
広重の版画の以前から、この小金井桜が有名になり多くの版画や案内書が出回ります。
例えば、小金井桜を紹介した名所案内は、「武埜八景」(大久保狭南、寛政9年(1797))や「玉花勝覧」(露庵有左、文化元年(1804))などがあります。
葛飾北斎も「金井橋桜之道標」という一枚刷りの絵地図を描いていたことなども分っています。
そしてさらにその後も、「江戸近郊道しるべ」(村尾下嘉陵、文政2年(1819))「江戸名所花暦」(岡山鳥、文政10年(1827))「江戸名所図会」(長谷川雪旦絵、(1834))などが出版されました。
これらの、代表的な紀行文や名所案内は何れも小金井桜を採り上げているのです。
その詳細は、http://homepage3.nifty.com/morikawa_works/hiroshige38.html をご覧下さい。
このような江戸時代の出版物を沢山ご紹介したのは、「小金井桜は江戸時代から続く日本一見事な桜の名所だ!」と自慢したいだけなのです。
しかし日本全国にはもっと見事な桜の名所はあるに違いありません。皆様からコメントとしてご投稿頂き、お教え頂けたら嬉しく思います。
さて前置きが長くなりましたが、それでは写真を示します。
1番目の写真から3番目の写真は小金井公園の桜です。

江戸時代の小金井桜は玉川上水の両脇の堤に植えてありました。
現在も堤の上に山桜が並んでいますが、公園内の広い土地に植えられた染井吉野の下に人々が集まります。広いので三々五々敷物を広げて花見をしています。

4番目の写真は江戸東京博物館所蔵の歌川広重の「江戸近郊八景 小金井橋夕照」の写真です。
右端に富士山が描かれていますが、これは本物の富士山です。私が60年前に小金井市に引っ越してきた頃は自宅の2階から富士山が見えたのです。その後。周囲の家が2階建てになってしまい見えなくなりました。
小金井桜はなにせ日本一素晴らしのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「春の風物詩、瀬戸内海のイカナゴの釘煮の思い出」

2024年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム
春の風物詩は桃の節句の雛祭り、花見、復活祭、入学式などいろいろありますが地方、地方にも特別なものがあります。
今日は地方 の風物詩の一つとして瀬戸内海のイカナゴ漁をご紹介したいと思います。イカナゴの釘煮の思い出を書きたいと思います。我が人生の小さなエピソードです。
数年前にイカナゴの釘煮をはるばる送ってくださった方がいました。
東京に居ながらにして春の陽に輝く瀬戸内の海の風景が眼前に広がるのです。
友人の鈴木 裕さんの母上と妹さんが精魂込めて煮たものを送って下さいました。
山椒入りのものとショウガ入りのものと2種類が細かな切れ目を入れたハランの葉で分けてパックに丁寧に詰めてあります。解禁早々のまだ幼魚の高級なイカナゴのクギ煮です。
3月になると須磨にお住いの鈴木裕さんが送ってくれたのです。これを食べると、「ああ、今年も春が来た」という温かい気持ちになります。
10年以上にわたって毎年送ってくださる鈴木裕さんと御母上の温かいお気持ちに感動します。

このように瀬戸内海でしかとれない美味しいイカナゴという小魚を大量に丁寧に仕上げて、遠方に住む家族、親類、知人、友人へ送る風習は日本の美しいローカル文化です。瀬戸内海地方の伝統的な輝かし『地方文化』です。この地方文化の恩恵を幸運にも楽しめることで心が豊かになります。

イカナゴは日本各地の沿岸で漁獲される魚です。しかし瀬戸内海のイカナゴは特別に美味しいのです。生育中に食べている餌が違うのです。
瀬戸内海でのイカナゴの解禁日は年によって違いますが、大体2月下旬に解禁になります。
稚魚を瀬戸内沿岸部ではイカナゴ(玉筋魚)、関東ではコウナゴ(小女子)、大阪ではシンコまたはカナギと呼ばれています。
イカナゴは暑さに弱く、6月から晩秋過ぎまで砂に潜って夏眠する珍しい魚です。
関東ではコウナゴの佃煮と同じものが瀬戸内海沿岸ではイカナゴのクギ煮と呼ばれています。
味がどのように違うのか食べ比べてみると歴然と違いが分かります。同じ魚ですが全く味が違うのです。
瀬戸内海沿岸の須磨のイカナゴのクギ煮はかすかにフォアグラのような肝臓の風味がするのです。そして骨を感じさせない柔らかい小魚の食感です。魚の肝臓ではアンコウの肝やカワハギの肝が美味ですが、それらと一脈通じる味がかすかにするのです。これこそイカナゴのクギ煮が絶賛される原因だと断定できます。
断定したといえば大げさですが、交互に東京で売っているコウナゴの佃煮を食べてみると明快に分かるのです。コウナゴにはアンコウの肝やカワハギの肝の美味成分が皆無です。その上、身が固すぎます。魚としての旨さは充分ありますが固すぎるのです。
この違いは餌の違いなのでしょう。

鈴木さんの母上の味付けは上品です。その上、生姜や山椒の香りが程良くてなんとも言えない風味があるのです。料理は作っている人の性格を表わすと言いますが優雅で、その上根気の良い母上のお人柄が偲ばれるのです。
2種類の釘煮の仕切りをお庭の葉蘭でしてあるのですがその細かな切り方が本当に丁寧な事に毎年、感嘆します。
そして鈴木さんの母上はお正月の初詣でのおりに毎年、須磨の海苔もお送り下さいました。このように伝統文化を大切にするご婦人は素晴らしいと初海苔を頂くたびに想います。
その頃は須磨の海苔で家内が恵方巻を巻いてくれました。
イカナゴの釘煮がローカル文化であることは、それにまつわる和歌や俳句や随筆をみるとよく分かります。
毎年、いかなごくぎ煮振興協会が主催してイカナゴの釘煮にまつわる和歌や俳句や随筆を募集しています。
そして優秀な作品へ『いかなごのくぎ煮文学賞』を与えているのです。(http://kugini.jp/contest/index_b2016.html )
第5回目を迎えた文学賞では、過去最多の1410作品が全国43都道府県から寄せられました。

今日は春の風物詩として、瀬戸内海のイカナゴの釘煮の思い出を書きました。我が人生の小さなエピソードですが忘れられません。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人) 

イカナゴに関する写真をお送りします。
1番目の写真はイカナゴ漁をしている漁船の写真です。
2番目の写真は目の細かい網にイカナゴがビッシリ獲れて、それを船の上に引き上げようとしている光景です。
3番目の写真はとれたイカナゴです。背景に大人の指が写っていますが、イカナゴは指の半分くらいしかない小さな魚です。
4番目の写真は鈴木 裕さんの母上と妹さんが精魂込めて煮た イカナゴの釘煮です。