後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「年老いて振り返る我が人生(3)悲惨でも楽しかった新制中学校の頃」

2024年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム
終戦直後の昭和23年に新制中学校に入学しました。仙台市立愛宕中学校です。
新制中学校とはマッカーサー総司令官の命令で出来た新しい学校制度の中学校です。
それまでの旧中学校は新制の高等学校になりました。昔の学校制度では小学校までが義務教育でしたが新制の学校制度では新制中学3年までが義務教育になりました。
したがって全国に小学校の数と同じ中学校の校舎を急遽作らねばなりません。
悲惨なことは校舎のない愛宕中学校に入学したことです。
今日は校舎のない愛宕中学校での体験を書きたいと思います。
教室も体育館もありません。そこで既存の荒町小学校の教室を借りたのです。荒町小学校は一クラスの人数を増加して教室をあけてくれたのです。しかし机と椅子はありません。間借りした我々は木の床に座ってミカン箱を机にして勉強したのです。木の床は酷いものでした。荒れ果ててザラザラして冷たいのです。その木の床に座っての勉強が1年過ぎた頃机と椅子が来ました。
そしてその頃、愛宕中学校の新しい校舎が向山地区の遠藤山の上に出来ました。我々は机や椅子を担いで荒町小学校から2㎞離れた山の上に出来た新しい中学校の校舎へ引っ越しました。途中の道を歩く私の心は嬉しさでいっぱいでした。新しい校舎は木の香りがして先生もみな嬉しそうにしていました。
新しい校舎は遠藤山の上にあったので北には愛宕山があり、その向こうに仙台の中心街が広がっていました。
南側には大年寺山が連なり八木山へとつずいています。中学校の校舎は風光明媚な場所にあったのです。新しく校歌も出来ました。その後新しくいろいろ部が出来て楽しい思い出が出来ました。

今日は「年老いて振り返る我が人生」の(3)として「悲惨でも楽しかった新制中学校の頃」を書きました。

現在の愛宕中学の写真と鹿落坂と向山地区と愛宕神社の写真をお送り致します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真は現在の愛宕中学の写真です。私が通っていた頃は粗末な木造校舎が2棟だけでした。
2番目の写真は霊屋下から向山地区へ登る鹿落坂xです。
3番目の写真は愛宕中学校のある向山地区です。愛宕中学校はこの写真の左端にありました。後ろの山並みは八木山です。
4番目の写真は愛宕神社の写真です。愛宕山は中学校の北にあり、その向こうに仙台の中心街が広がっています。

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