後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

zebra1192 さん、コメント有難う御座います。

2007年12月19日 | うんちく・小ネタ

ZEBRA1192さん、

下記のコメント有難う御座います。おっしゃるように現役世代にとっては時間的余裕がなく山小屋は無理かもしれませんね。少なくとも我々の時代の会社では残業が多く、土日でも仕事が有ったりしてとても山林など買うという面倒なことは大変でした。小生も結局はある業者から山林を買い、あとで色々問題が生じました。

いろいろ問題の多い趣味です。失敗談のご紹介で終わるかもしれませんが子供さんがまだ小さい世代のご参考になれば幸いとも思い書いています。

それにしてもコメント2回も頂き深く感謝しています。有難う御座いました。藤山杜人

コメント

小金井公園の東京たてもの館の様子、興味深く拝見しました。近くに未だ行ったことのない良い所があるものですね。一度訪ねてみようと思いました。未だにゴルフなぞ続けている故、近くまでは行くのですが、そちらまでは足が向いていません。
 山荘の話し、確かに都会で忙しく働く人間にとっての息抜きの場としてとの見方、全く同感ですが、果たしてそうした望みが、現役世代に実現できるだけのゆとりのある人が、どれだけいるのだろうかと思わざるをえません。かといってリタイアしてからでは、維持・管理を含めかなりシンドイかなと思ったりして、機会を失しているのだと思いますが。それにしても貴殿の山荘、写真で見る限り、随分立派に見えますが。


山林の中に小屋を作る方法(2)

2007年12月19日 | うんちく・小ネタ

@山林の値段と買う時の注意事項

前回の(1)では山梨の相川さんに案内して貰い、山林や別荘の大凡のご報告をしました。

坪1万円くらいならいくらでも有ります。また、未整地の雑木林なら坪4000円から5000円が相場のようです。従って100万円の予算があれば100坪くらいは買えるわけです。ただ注意すべきことは、坪1万円で100坪といっても半分は大きい石がゴロゴロしていて宅地にはならないとか、半分が急傾斜で平地は半分ということが多いのです。しかし宅地に使えない部分は自分好みの庭に出来ます。これが小屋作りの半分の楽しみになる場合が多いのです。

未整地の雑木林が坪4000円という場合は1000坪、2000坪とまとめて売っています。交渉で200坪でも売ってくれるようにしなければ総額100万円をこします。

都会地で宅地を売り出すときは、土地は区画され4隅には境界石が入れてあります。しかし山林ではそんなものは有りません。都会の宅地とは異なる独特の問題が山積しています。今回は以下に問題になる項目のみを列挙します。各項目の詳しい説明は次回とします。

@山林購入時の注意事項

(1)山林、雑木林の真の所有者を探すこと、(これが分からないことが少なくありません)

(2)市役所や村役場へ行き購入後、山小屋を建てて良いか否か相談する、

  (法務局出張所へ所有者変更の登記をして地目を山林から宅地へ変更して良いか?)

(3)建てた後、不動産税は幾らになるか関係役所で調べておく、

(4)購入予定地まで車が入れる公道が有るか否か?

   (一年の半分は車通行不可能でも公道である必要がある)

(5)周りの山林の持ち主から人間だけ通うれる道を作る許可をとっておく、

  (車の入れない季節は徒歩で小屋まで行くので)

(6)山林の下の里の人々へ色々聞いてみる、

 (従来、村人はその山林をどのように使ってきたか?山崩れや鉄砲水が有ったか否か?)

(7)購入する山林の4隅へ売主合意の上で境界石を入れる。

  (境界が分からず小屋を建てあとで自分の土地でないことに気がつく)

兎にも角にも山林を買うことは大いなるアドベンチャーです。運不運も関係します。少なくとも下記の写真のような荒々しい雑木林が好きでなければ止めた方が良いです。(続く)

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懐かしき昭和初期の商店、居酒屋、銭湯のフオトアルバム

2007年12月18日 | 写真

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ここで飲んでいた人々は何処に行ってしまったのでしょう?昭和初期の店、居酒屋、銭湯を再現した一角が小金井公園のなかに有ります。そのころの商店や居酒屋、銭湯で活き活きとしていた人々はもう居ません。あれから支那事変が始まり満州事変、太平洋戦争、そして敗戦と目まぐるしく歴史がめぐりました。出征して死んだ人、戦災で死んだ人、苦難の歴史でした。これらの商店、居酒屋や銭湯を支えていた家族達は何処に住んでいるのでしょう?

子孫達が小金井公園を訪れ、この一角へ足を伸ばすことを祈ります。あなた達の父母や祖父母が築いた建物が立派に再現している様子をご覧になってください。


囲炉裏のある風景のフオトアルバム

2007年12月18日 | 写真

小金井公園の江戸東京たてもの園にある数軒の昔の農家では毎週火曜日に囲炉裏やカマドに薪を燃やして観覧客を歓迎してくれます。今日は火曜日、カメラを持って遊びに行きました。

小金井公園の桜で作った桜湯をサービスしてくれました。囲炉裏番のおじさんが炎を見ると人は寛ぐね、と言います。写真をブログに出しますよ、と四方山話が弾みました。

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山林の中に小屋を作る方法(1)

2007年12月18日 | うんちく・小ネタ

@なぜ山林の中に小屋を作るのか?

人間関係に疲れて独りになりたいと思う時がありませんか?そんな時は帰りに一杯飲むのも良いでしょう。音楽会へ行くのも良いでしょう。好きな絵のある美術館へ行って一人で見てまわるのも良いでしょう。それでまた働く元気がでて仕事へ出て行きます。でもあまり遠方でない山林のなかに小屋を作り週末には独りで泊まりに行く。そんな人生もあっても良いかも知れません。

それには手ごろな金額の山林を100坪ほど買いましょう。

軽井沢や富士五湖周辺に別荘を購入する。そんな大げさなものではありません。子供の教育費のあまりで、少しずつ作って行く。始めは電気ガス水道など無くとも良い。東京から2、3時間で気軽に行けるところが良い。

そんな考えで1973年に甲州の駒ケ岳山麓の山林の中に小屋を作りました。

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そんな小屋の様子を先日発表のフオトアルバム「山林の中の小屋」にしました。

30年以上、週末にはよく通ったものです。そこに泊まって白樺湖へスキーやスケートへ行ったり、諏訪湖や奈良井の宿場町へ観光に行きました。甲斐駒、八ヶ岳、鳳凰三山へも登りました。

老境に入った今、こんな趣味の小屋を若い人へも薦めてみたいと思う。そこで昨日、現地の相川光雄さんを訪ねてみました。

「小屋を作るに良い山林で坪1万円くらいの物件がありますか?」「勿論有りますよ。時間があったらご案内しましょう」ここに2枚の写真を示します。

この写真の付近の山林なら坪1万円でいくらでも有るそうです。二枚目の写真は一例として建物だけで290万円くらいの別荘だそうです。山林の場所の選びか方は次回に書く予定です。

相川さんは八ヶ岳、南アルプスなどの別荘の開発を30年してこられました。

(株)里山ライフと検索すると楽しそうな、そして小生にとってはいささか高価な別荘の広告も多数でています。

相川さんは都会の人々に引っ越してこちらに住み着き農作業をして土地の人々と交流して貰いたいと情熱的に話します。私は「そうじゃないです。人間関係に疲かれた人が静かに山林に泊まる、そんな小屋です。別荘とは違います。農作業は嫌い。土地の人と付き合う元気も無い。そんな人も居ると思いますよ」しばらくして相川さんは小生の言うことを分かってくれた。

この相川さんは非常に興味深い個性を持っているようなので今後もこのブログでご紹介したいと思う。今回は坪1万円くらいの山林はいくらでも有りますという情報提供で終わりとします。(続く)

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外国体験のいろいろ(24)

2007年12月18日 | 旅行記

◎自己紹介の国アメリカ

1960年、フルブライト留学生としてアメリカの土を踏んだ。敗戦で疲弊しきった日本から行くと、当時のアメリカはハイウエイを大型乗用車が走り、広大なスーパーマッケットにはぜいたくな食品があふれんばかりに並んでいる。当時、日本には高速道路もスーパーマーケットもファミリーレストランも無かった。

オハイオのコロンバス市に住み、最低の貧乏生活。車を買うまで家内はスーパーへ歩いて行った。帰りに大きな紙袋を抱えて歩いていると、アメリカ人がスウーと車を寄せ荷物ごと家まで送ってくれる。道ですれ違うときには、見知らぬ人でも微笑んで「ハーイ!」とあいさつをする。ベトナム戦争前のアメリカは、社会全体が礼儀正しく親切で、この世の天国のようだった。

アメリカ人は初対面ですぐに自己紹介する。「私をジョージと呼んでくれ」とか「私はメアリーです」とか。先に自己紹介した方が礼儀正しい。

@自己紹介を嫌うヨーロッパ

一方で自己紹介を忌み嫌う国もある。自己宣伝になるから嫌われるのではない。伝統的な文化を破壊するので嫌がられる。人と人が信頼できる関係を築くには立派な紹介者が必要であり、安直な自己紹介から始めてはいけないという文化を有する国である。

1969年、フンボルト研究留学制度でドイツに行った。航空会社の都合で急にパリ空港に寄り、二時間後にドイツに向けに出発するという。空港ビルのレストランで皆が相席で昼食を取ることになった。回りを囲んで座ったのは背広姿の中年のフランス人4人。

フランス語でしきりにしゃべっている。私の存在を完全に無視している。自己紹介をしなければと、「東京から来たフジヤマという者です」。4人はぴたりと話を止め、冷たい視線でチラと見て何を言わない。あとは最後までそっぽを向いて仲間同士でしゃべり合う。こちらを見ないように、視線の動かし方に苦心している。

ドイツでも同じ目に会う。列車の一等コンパートメントへ乗ったら、黒っぽい上等な背広を着た白髪の紳士が座っている。慇懃(いんぎん)に「東京から来た者です。フジヤマと申します」と自己紹介するが、一瞬こちらを見るだけで返事をしない。握手をしようと差し出した自分の手が宙に浮く。彼は窓の方を凝視して微動だにしない。

こんな場面で日本ではどうか。アメリカの習慣でつい自己紹介をする。相手はニッコリしてくれるが、名乗らない。名乗るほどの者ではありません。名乗ると後々煩わしいことになる。名乗るのは、日本の伝統では合戦で切り合う場合など特殊な場合のみである。その他の場合は紹介者が必要である。

          @名刺が主流―日本

最近、異業種交流会などで立食パーテーがあるが、その場合は自己紹介が歓迎される。インターネットのチャタリングでは自己紹介のような情報が交換されている。会社で働いている人々は名刺交換が必須で、自己紹介の代わりをしている。それでもアメリカ流の自己紹介は今でもなじまない。

その逆もある。アメリカから来るビジネスマンは日本語の名刺を二箱も持って来る。帰るころになって「名刺をいっぱい持ってきたが、一枚も使えなかった。出すタイミングが難しい。始めに早く出すのが日本の礼儀と聞いて、会社に着いたときいきなり日本語の名刺を出したら、すごく冷たい目で見られ震え上がった」。

彼はそれ以来名刺恐怖症になり、一枚も出せなくなった。たかが名刺といえども、出すタイミングとしぐさ、添える言葉の調和がないと、日本人は冷たい視線になるらしい。洋の東西を問わず、自己紹介は難しい。

仕損じると背筋の凍る思いをするものである。


中古クルーザーヨットの買い方(11)

2007年12月17日 | うんちく・小ネタ

@外側の部品をチェックする。

まず船体(ハルという)の全体を見てひどくぶつけた跡が有るか否かや塗装の汚れをチェックします。特に船首が係留中に岸を叩いて擦れ穴が有るのは避けます。まあ大体綺麗なら前に示したヨットの部品類を順にチェックして行きます。ヘッドステイとバックステイがピンと張ってあるか?サイドステイ(図ではシュラウドと示してある)も同じくらいの張力で張ってあるか?ライフラインはキッチリ張り巡らせてあるか?それは2段になっているのか?1段になっている設計なのか?ラダー(舵)とテイラー(舵棒)の連結がしっかりしていてガタガタでないか?バウとスターンの手摺(パルピット)は外れそうでないか?スピン・ポールは甲板の上に金具で固定保管してあるか?自動操舵装置がきちんとテイラーに固定できるか?などをチェックします。もし緩んでいたり欠損している場合は購入前に修理を完了するように頼みましょう。不完全な箇所の修理は素人には難しいものです。

特に注意すべき箇所は前後左右のステイが同じ位の強さでピンと張っているか?ライフラインは張り巡らせてあるか?の2箇所です。

他に外側でチェックするものには航海灯とマストてっぺんにある停泊灯です。バウ灯は進行方向に向かって右側が緑の灯火で左側が赤の灯火をつけます。他は無色の灯火です。特にマスト先端の停泊灯の点滅は昼間は見えないので夜にチェックしましょう。

@ジブ、メインセール、スピンを上げて見よう!

中古艇を見に行く日は風の弱い日にします。風が弱ければ係留してあるままセイルを上げてチェック出来ます。メインセールを上げてハリヤードやメインシートがしっかりしているかチェックします。ついでにセールそのものの汚れや破損の状態が分かります。チェックが終わればメインを降ろして、ジブを上げます。ジブがヘッドステイに巻き付けてある形式ではジブフアーラーの回転がスムーズかをチェックできます。ジブシートもチェックできますし、ジブセイルの破損の有無もチェックできます。それが終わればジブを降ろしてスピンを上げます。するとスピン・ポールの具合も分かります。長いスピンシートの有無も判明します。

以上のように係留したままセールを順々に揚げ降ろしする場合にはメインシートもジブシートも緩く遊ばせておき、急に風が来てもヨットが大きく傾かないようにすることが重要です。揚げ降ろしは中古艇の持ち主にして貰うのが鉄則です。(続く)


中古クルーザーヨットの買い方(10)

2007年12月17日 | うんちく・小ネタ

@ヨットの部品の名称を10ケ覚えよう!

例えば野球の場合ピッチャー、バッター、キャッチャーという具合に外来のスポーツではカタカナの名称が使われます。ヨットも外来の趣味なので部品の名前や帆走に関する言葉にはカタカナ呼称がそのまま使われます。この特別な名称がヨットを始めるとき大きな抵抗になります。中古艇を買う場合も部品名を少し覚えていると話がしやすい。筆者は1987年頃に江ノ島で「レッツゴーセイリング」といういささか、しごきすぎるデインギースクールでヨットを習い、1989年にアメリカのエリー湖そばのサンダスキーという町でクルーザースクールへ通いました。下にそのとき使ったテキストのなかの図面を示します。

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出典はGary Jobson著AmericanSailing Association監修「SailingFundamentals」出版社Simon & Shuster Inc.1987年版です。

中古艇を買うために覚えたほうが良い部品名を10個に限定してみます。(1)マスト、(2)ヘッドステイ、(3)バックステイ、(4)ブーム、(5)ライフライン、(6)テイラー、(7)バウ、(8)スターン、(9)ジブとシブハリヤード、(10)メインセールとメインハリヤード。

これらの(1)から(8)までは上の図に示してあります。ステイは前後からマストを立てるために引っ張る鋼鉄製のワイヤーです。ライフラインは船から人が落水しないようにグルリと張り巡らせた鋼鉄製のワイヤーです。テイラーとは舵棒ですがどういう訳か舵棒と言わずに必ずテイラーと言います。バウは船首、スターンは船尾です。ジブはヘッドステイとマストの間に張る三角形の帆で、それを上に引き上げる鋼鉄製のワイヤーをジブ・ハリヤードと言います。

メインセールはマストと下のブームと言う水平の棒で固定する三角形の帆です。メインセールをマストにつけて引っ張りあげるワイヤーをメインハリヤードと言います。

@ヨットの部品の特殊性

特殊な名称が多くて最初は困ります。まず鋼鉄製のワイヤー類や合成繊維製のロープ類はそれぞれ特殊な名前があり船上では絶対にワイヤーとかロープという一般名称を使いません。それぞれハリヤードやシートと言います。ロープと言って良いのは係留に使う舫いロープとかアンカーロープという具合に船の外側で使う場合に限られます。メインセールの下についていてセールを左右に動かすためのロープはメインシートと言い、ジブの下後ろ端についているロープはジブシートと言います。

中古艇を買う場合にチェックすべき部品は次回説明しますが、スピネーカーとスピン・ポールは覚えておいたほうが良いです。スピネーカーは上の図のヘッドステイの右外へ大きな半球状に風で膨らませるセールで、その下端とマスト下部を繋ぐ棒をスピン・ポールといいます。

昔から帆船を岸につけるときは原則として左側を岸に舫います。それで船の左をポートサイドと言います。右はスターボードと言います。この言葉は是非覚えて頂きたいと思います。

余談ながら飛行機で大型旅客機は例外なく、左側のみに出入口があり、こちら側からのみ乗り降りします。これは昔からの西洋の帆船のころからの習慣です。(続く)


シリーズ「山林の中に小屋を作る方法」のためのフオトアルバム

2007年12月16日 | 写真

1973年、甲斐駒ケ岳の山麓の山林の中に小屋を作りました。それに関するシリーズ記事を掲載する予定です。まず昨日撮影してきた写真のアルバムを作りましたのでご笑覧下さい。

清流の水面に雑木林が映し出されています。

落葉した雑木林は陽が根元まで射し込んで一気に明るくなりました。八ヶ岳や南アルプスの山並みが雪をいただき蒼穹に輝いていました。

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山林に小屋を作る方法の予備調査

2007年12月15日 | うんちく・小ネタ

山林の中に小屋を作り、週末に泊まりに行けるようにするのも趣味の一つではありませんか?小屋を作るには山林を買わねばなりません。今日は八ヶ岳、甲斐駒、南アルプスの別荘開発をしているある会社の社長に案内してもらい、あちこちの土地や別荘を見せてもたいました。一坪1万円の土地から土地付き別荘で290万円のものの写真をいろいろ撮ってきました。

掲載記事の準備には数日かかりますが乞うご期待!晴天でしたが八ヶ岳、甲斐駒、地蔵、薬師、観音には雪雲が張り付いていました。寒い一日でした。


zebra1192様コメント有難う御座います。

2007年12月14日 | 旅行記

下記のコメントをzebra1192様から頂きました。

コメントを頂くと勇気が出てより一層質の高い情報を送りたいと思います。

コメントのご支援で良いブログにして行きたいと思いますので今後も宜しく

御願い申し上げます。  藤山杜人

コメント

毎日ブログ作成されている様で、楽しみが一つ増えた様で何よりです。でも毎日となると話題に事欠くのではと思い勝ちですが、貴殿の場合流石ですね、好奇心の旺盛さもあり、海外を含め話題に事欠きそうにありませんね、拝見する側にとっては楽しみです。ところで今回冒頭の紹介である、貴殿の山荘の風景が出ていませんでしたが。でも山あり海(湖含む)あり、グルメありとバラエティーにも富み、人生を存分楽しんでおられる様子良く解ります。
 小生も先日あることで上海を訪れました。7年振りでしたが、街中を歩く若い女性を見ても、随分と垢抜けして来た様に見受け、東京ともあまり変わらぬのではと思いました。ただ人口と車の数は大幅に増加し、車の渋滞たるや、東京の比ではなく、と言って移動手段が車主体故、二日も移動するといやになりました。まあそれでも、相変わらずの活気であり
やはり、BRICSの一員としての、将来を感じさせます。まだまだ印象・話題もありますが、またの機会へ。


外国体験のいろいろ(23)の挿絵の写真

2007年12月13日 | 写真

日本人は宗教的戒律によって食生活をしている民族を忘れがちです。この外国体験記では、中国の回族と、アメリカに住んでいるインド人の戒律と食べ物の関係を簡略に書きました。インド人に限らずアメリカ人にもベジタリアンは多いです。宗教の戒律とは関係なく健康上の理由です。でも注意深く話を聞くとヒンズー教や仏教の影響を受けている人が多いのも事実です。他民族には宗教的戒律の範囲で食生活をしている。これを忘れないことが重要ではないでしょうか? その上で美味な料理を探求しましょう。戒律のない日本へ感謝しながら!

下の写真は先日、本まぐろの美味さに感動した回転寿司の写真です。江ノ島入り口にあるこの建物の2階の「三浦三崎港の回転寿司」です。三崎港を謳い文句にした回転寿司はたくさんあります。何度かガッカリした後なので感動も大きいのです。地魚のカワハギ、ヤガラ、ハッカク、キンメ、アジなども新鮮で美味ですが、なんと言っても本マグロの赤身が圧巻です。中トロも勿論ですが赤身こそマグロの魅力だと教えてくれます。

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外国体験のいろいろ(23)

2007年12月13日 | 旅行記

◎中国の回族と食習慣

日本ではグルメブームで食物の話題がよく出るが、他民族の食習慣と比較するのも面白い。北京の大学へ行ったのは1981年から数年。観光客の行かない学生食堂で学生と一緒によく食事をした。中国の大学は原則として全員寮生活で、朝昼晩の三食は大きな学生食堂で取る。料理は品数は少ないが北京料理だ。食器は自分が寮から持ってくる琺瑯引きの鉄製のドンブリである。食べ終わったらまた寮へ持ち帰り自分で洗う。

よく見ると、隣にもう一つ広大な学生食堂がある。回族学生専用の食堂である。回族は豚肉を一切食べない。ラードでいためた料理もいけない。回教の定めに従った方法で殺した羊を食べる。一方、豚肉抜きの北京料理は考えられないから、異なるメニューの学生食堂が二つ必要になる。

北京の街には回族食堂という看板を掲げた店が多い。白い布で髪の毛を隠した女や丸い帽子をかぶった男の回教徒が大勢歩いている。あるとき、中心街に近い大通りを埋め尽くして羊の群れが悠々と流れていた。独特の帽子をかぶった回族の羊飼いを、だれも非難がましく見ない。ある季節になると羊の市が立つという。羊の群れは北京の風物詩でもある。高層ビルが林立する現在では見られない中国の風景であった。

こんな風景に刺激されて、街の回族食堂に入ってみた。串に刺して焼いた羊肉は香料が効き、肉は柔らかで美味である。肉質がよいのか、北海道の羊の焼肉より数段うまい。彼らの食習慣は回教の戒律に従っているから、豚肉を使う料理は一切食べない。

宗教的戒律のない漢民族は、北京料理に飽きると回族食堂にはいる。漢族は羊に違和感を持たない。北京料理にも羊肉のシャブシャブがある。真ん中に炎抜きの煙突がついた火鍋を用いた卓上鍋料理である。

共産党独裁の中国でも回族はその伝統的食習慣を守りながら悠々と生きている。(もちろん宗教活動はしないという建前で) 

他民族の混じっている中国では食習慣が民族のアイデンティティーになっている。

   @ベジタリアン

アメリカのベジタリアンはインド人が持ち込んだに違いない。日本の寿司同様、ダイエットによいという理由で全米に広がった。

ファミリーレストランでもベジタリアン・メニューがある。頼んでみる。最初に出て来る野菜サラダが素晴らしい。レタス、赤ピーマン、セロリと種類が多いだけでなく、ドレッシングに各種の香料を惜しみなく使い、普通メニューのサラダより味も一段と冴えている。

メインデイッシュは種々の豆類をシチュー風に煮てカレー風味で仕上げたものである。デザートは数種の果物を氷とともに砕いて新鮮なジェラード風にしたものが何種類もメニューに載っている。

料理は作る人の愛情と誠意がこもっていないとおいしくないというが、アメリカのベジタリアン・メニューは普通のメニューのものより誠意がこもっている。

あるとき、日本でインド人のお客さんを少し高級なレストランへ招待した。当然ベジタリアン・メニューがあると信じていたが、ない。アメリカでのメニューの概略を説明し、急ぎ作ってもらった。お客は礼儀上おいしいと言って食べてくれたが、顔は「まずい」と言っている。少し分けてもらい味見したが、誠意がない味付けである。

日本人は明治維新までは仏教の影響でベジタリアンに近い食文化を持っていた。お釈迦様が殺生を禁止したからである。現在の日本のグルメブームには思想や信念がない。食習慣と人生の豊かさとの関係はどう考えるのがよいのであろうか。


清瀬、柳瀬川の金山緑地公園のフオトアルバム

2007年12月12日 | 写真

西武線清瀬駅から市役所前を通りぬけて北進し柳瀬川へ下ると金山緑地公園が東西に広がっています。駅から公園までは2Km以上でしょうか、道の周りには畑が広がり気持ちの良い散策ルートです。(道は分かりにくいので付近の地図持参が望ましいです。)

清瀬といえば戦前、戦中、戦後を通うして多くの結核療養病棟が散在していたところ。清瀬に来るとかつてお世話になり、今は亡き恩人達、とくに結核から生還した恩人達のことを思い出す。現在も国立病院やハンセン氏病院が静かに広がっていて淋しいところです。公園は湿地帯に集まる野鳥をテーマにしていて、その写真を撮る人々が無言で根気良くレンズを覗いています。人声のしない静かな公園です。ここに22枚の写真を掲載したフオトアルバムを作りました。好きな公園の一つでよく行きますが、いつも何か寂寥感に捉われる場所です。

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