後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ミレーの落ち穂拾い、その落ち穂を落として置いた人の話

2009年10月22日 | インポート

793pxjeanfranc3a7ois_millet_28ii29_

上に示したのはミレーの「落ち穂拾い」という絵で、誰でも知っています。「晩鐘」と「種まく人」の3枚は特に有名で、「種まく人」は山梨県立美術館にあるので原画も見ることが出来ます。

この「落ち穂拾い」の内容について私は73歳になる今まですっかり間違った理解をしていました。勤勉で節約を美徳とする農民が畑に落ちた麦の一粒まで大切に拾い集めている図と思い込んで居たのです。そうではないのです。小作人は落ち穂を拾い食べることを地主から許さられていたのです。全収穫量の1割以下の落ち穂なら小作人が食べても良いことになっていたようです。こんな哀れ小作人へ同情して隣の自作農がわざと落ち穂をそのままにして小作人へ与えていた場合もありました。昨日の読売新聞の10ページ目の「時代の証言」に、ヨゼフ・ピタウさんの幼少の頃のことが書いてあります。ピタウさんはイタリヤの農家に生まれました。父は信仰が厚く、周囲の貧しい人々のために自分の畑の落ち穂をそのままにして置いたそうです。さらに実った小麦の一部を刈り取らずに貧しい人々へ与えていました。母もお菓子を作ると必ず病人やお年寄りへ届けたのです。届ける役はペタウ少年とその一人の姉と5人の弟の役目でした。

ピタウ少年はそのような家庭に育ち、7歳の時から村の教会の神父さんのお手伝いを始めます。そして9歳のとき神父になる決心をしたのです。1928年生まれの彼が宣教のために日本の土を踏んだのは1952年、24歳の時でした。彼はイタリヤの農村の地主と哀れな小作人の関係を見て暮していました。日本へ来ても封建制を歴史に持つ日本人の考えがよく分かります。彼の宣教活動を支えて居たのは貧者に優しい父の思い出、母の無限の優しさ、そして村の神父さんの愛情だったのかも知れません。ピタウさんの昨日の談話録には、幼少の頃を話す時の楽しさが行間に溢れています。決してカトリックは良い宗派ですよ、などという言葉が一言半句も出て来ません。

ピタウ少年の父のように優しい人が貧しい小作人の為に落ち穂をそのままにして置く。それを拾い集める小作人の様子を描いた絵が「落ち穂拾い」なのかも知れません。

ミレーの「晩鐘」は貧しい農民の信仰の厚さを描いた美しい情景画です。ピタウ少年の育ったイタリアの農村もそのような場所だったのでしょう。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 藤山杜人


大宮司弘昌著、「初めてのロシア沿海州昆虫エコツアー」その三

2009年10月22日 | インポート

Russia3

7月14日(採集初日)

 7時、夜明けである。天気は良さそうだ。周囲を探索してみる。このバンガローは原生林の中の1軒家で、見える範囲の人工物は前の広場と昨夜村から登ってきたダート道のみである。原生林は多様な広葉樹の間にチョウセンゴヨウマツやトドマツのような針葉樹が混じった混交林である。地形は東西の緩い傾斜地で、前方(東)には右から稜線が張り出し、日の出を遮っている。

<shapetype id="_x0000_t75" coordsize="21600,21600" o:spt="75" o:preferrelative="t" filled="f" stroked="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe"><stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f></formulas><path o:extrusionok="f" gradientshapeok="t" o:connecttype="rect"></path><lock v:ext="edit" aspectratio="t"></lock></shapetype><shape id="図_x0020_2" o:spid="_x0000_s1026" type="#_x0000_t75" alt="russia-3" style="MARGIN-TOP: 100.75pt; Z-INDEX: 1; VISIBILITY: visible; MARGIN-LEFT: 160.8pt; WIDTH: 245.3pt; POSITION: absolute; HEIGHT: 187.6pt; mso-wrap-style: square; mso-wrap-distance-left: 9pt; mso-wrap-distance-top: 0; mso-wrap-distance-right: 9pt; mso-wrap-distance-bottom: 0; mso-position-horizontal: absolute; mso-position-horizontal-relative: text; mso-position-vertical: absolute; mso-position-vertical-relative: text"><imagedata src="file:///C:DOCUME~1gotouLOCALS~1Tempmsohtmlclip11clip_image001.jpg" o:title="russia-3"></imagedata><wrap type="square"></wrap></shape> 9時、日が射し始める頃には、気温はすでに高く、待ちかねたように蝶が飛び出す。広場やバンガロー周辺で、是非採りたいと思っていたシロモンコムラサキ、ベニホシイチモンジ、オオキイロミスジなどが、それこそ朝飯前に採れてしまった。これらは日本にはいない極東の特産種で、もちろん私も初めての採集で感激である。特にベニホシイチモンジの幼虫は松類を食べる変わり者で、またある文献では珍品扱いになっており、採りたい候補No.1であったが、ここバンガロー周辺では普通種のように飛んでいる。 

 9時半、屋外で朝食が始まった。するとベニホシイチモンジをはじめとする各種の蝶が食卓の回りを飛び回り、時には食卓に止まったりして、まさにエコツアー満喫である。

 このままこの付近で日がな一日いてもいいと思ったが、U氏が場所を変えればまた違うものが採れるというので、私と友人の蝶組はU氏の案内で移動する。ノルウェー人夫妻は別行動で深い森を目指したようであった。我々の車は、ダート道を30分ほど下り、昨夜は分らなかったが橋のない川を渡渉し、まもなく売店のあるふもとの村に。さらに10分ほど走り、再度川を渡渉すると荒地と林が交互に現れる農道があり、この農道沿いがポイントである。

 さっそく私としては初物のシロジャノメが採れた。いや採れたなんてものじゃない。見える範囲どこまでもキャベツ畠のモンシロチョウのように無数に舞っている。

 さらにチョウセンキボシセセリとチョウセンジャノメも、どこにでも溢れている。これらの両種はヨーロッパまで分布しているのに、対岸の日本にはいない。アジア大陸と日本列島は約1万5千年前の氷河期には陸続きで、日本と極東地区には共通種が多い。しかしこの両種のように、大陸にいて日本にいないのは、氷河期が終わり日本列島が大陸から分離した後に土着したという説明になるのだろう。いつどこから来たかはさておき、蝶の密度は日本の何倍~10倍である。人口密度が低く(沿海州全体で12)自然度が高いということであろう。この付近は気温が高く、雨も多いので、ヨモギが背の丈に達している。しかしこの平らな荒地は何だろうか。整地したように平で、溝や段がある。手付かずの自然ではない。かつての牧場か農地が、使われなくなり、自然に還ったものである。そういう目で見ると、この辺にはそのような荒地が多い。

 道にできた水溜り周辺には蝶の吸水集団ができている。そんな中に1頭だけ違うのがいる。初めて見るハマベシジミである。こんな内陸にいるのだから、「ハマベ」には違和感があるが、ハマベシジミとはいかにもロマンチックな名前ではないか。命名者に敬意を表したい。

 あれほどいた蝶が、2時を過ぎると急に少なくなる。帰りの迎えの車は4時にやってきた。そしてダート道の途中で降ろしてもらい、日が傾きかけた中を5kmほど徒歩で採集しながらバンガローを目指す。午後の5~6時はまた蝶が多く、特産種のスジグロミスジなどを採集。(続く)


メキシコの帆船をご紹介します

2009年10月22日 | インポート

昨日、ジェット機の写真をご提供下さった、葉山町のOY子さんが、今度はメキシコの帆船の美しい写真を2枚ご提供して下さいました。ヨットのお好きな方はお楽しみ頂けると思います。この帆船は「クワウテモック」号といい、メキシコから日本へ帆走して来ました。横浜開港150年を記念して6月2日に一般公開されました。1981年建造で、名前はアステカ帝国最後の皇帝に由来します。

日本・メキシコ友好400周年記念の一環としてメキシコから3ケ月かけて横浜港へ初入港しました。

初代の帆船日本丸は1930年英国、ラメージ&ファーガソン社製の帆船で4本マストです。クワウテモック号は3本マストで一回り小さいヨットですね。船型からこれもイギリスの設計図を使っていると思います。ご存じの方は教えて下さい。(終わり)

Dsc_0158a Dsc_0154a


第8回、水彩画、「花・華グループ展」のご案内

2009年10月21日 | うんちく・小ネタ

開催日:10月20日から25日、AM10:30からPM6:00まで

JR武蔵小金井駅、南口前の左手の本町ビル地下1階、ギャラリー才雅、電話:042-385-9560; 花・華グループ代表、 松隈 恭子、電話:042-384-0290  美しい花を穏やかな筆遣いで描く水彩画の数々に、しばし心を慰められます。

005

002 003 006 008 009 010


蒼穹の深さと広さを写真に撮る方法

2009年10月21日 | 写真

青い空をそのまま写真に撮っても、その素晴らしい奥行きと広大さが分かりません。空を縦横無尽に動くものを添えて撮影すると蒼穹の深さと広さを写真に撮ることが出来ます。同時に超音速で空気を切り裂いて飛ぶ4機のジェット機の轟音も見る人へ伝えることができます。

そんな写真を2枚、OY子さんがご提供して下さいましたので、ご紹介致します。

OY子さんの自筆の撮影歴を下に示します。お楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

撮影歴は15年、主に全神奈川サロン展・二科会写真部神奈川支部展と
神奈川県展、二科展などに出展しております。
2008年2月、ギャラリー・アートグラフ(銀座2丁目)で「白い大地」写真展
2009年3月、逗子文化プラザギャラリーで 「白い大地」写真展   
学生時代は、油絵を描いておりました。写真は、奥が深い趣味です。(終わり)
Dsc_0027a
Dsc_0033a

大宮司弘昌著、「初めてのロシア沿海州昆虫エコツアー」その二

2009年10月21日 | 旅行記

バンガローで

 バンガローは空港から東に60~70kmの山中、原生林の中にある。 運転手S氏の所有で、3階建て。1階はリビング兼ダイニング、調理場、トイレがあり、2階は寝室(3~4人)、3階も寝室(2人)である。シャワー/サウナは別棟で、ここにも4~5人泊まれる。自家発、自家水道、洗濯機、乾燥室があり、狭いながら一応の機能は整っている。さらにS氏はコックとしても一流で、食材が限られる条件下で結構な食事を提供してくれ<shapetype id="_x0000_t75" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" stroked="f" filled="f" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600">

<stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f></formulas><path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></path><lock aspectratio="t" v:ext="edit"></lock>

</shapetype><shape id="図_x0020_9" alt="russia-2A" type="#_x0000_t75" o:spid="_x0000_s1026" style="MARGIN-TOP: 6.3pt; Z-INDEX: 1; VISIBILITY: visible; MARGIN-LEFT: 0.1pt; WIDTH: 241pt; POSITION: absolute; HEIGHT: 187pt; mso-wrap-style: square; mso-wrap-distance-left: 9pt; mso-wrap-distance-top: 0; mso-wrap-distance-right: 9pt; mso-wrap-distance-bottom: 0; mso-position-horizontal: absolute; mso-position-horizontal-relative: text; mso-position-vertical: absolute; mso-position-vertical-relative: text"><imagedata o:title="russia-2A" src="file:///C:DOCUME~1gotouLOCALS~1Tempmsohtmlclip11clip_image001.jpg"></imagedata><wrap type="square"></wrap></shape>る。町場を離れると食堂はなく、弁当類も入手が難しく、食材を買って何らかの加工をして食べなくてない。S氏は宿の提供、車およびその運転手、コックと3役兼ねており、U氏がパートナーとして組んでいるのが納得できた。

 さて我々日本人2人の寝室は2階と決まり、食事は機内で済ませてあるので、次はシャワーだと気軽に頼んだが、これがそう簡単でないことが直ぐに分った。大体こちらの人は毎日風呂(シャワー)に入る習慣がないようで、我々のように宿に着くなりシャワーなんて言わない。シャワーの湯は薪で沸かすので、手がかかる。S氏は調理で忙しく薪を焚くひまがないので、ガスで大形ヤカンにお湯を作ってくれた。なおここの水道水は雪解け水のように冷たく、お湯がなければ行水も身体を拭くこともできない。

 何とかお湯を使って体を拭き、リビングに入ると全員集合である。あらためてツアーメンバーが紹介された。

U氏  ウラジオストック在住   ツアー企画/ガイド/ロシア語⇔英語通訳

S氏       〃       バンガローオーナー/運転手/コック

ノルウェー人           甲虫学者(専門は木食い微小甲虫)

   〃  奥さん        魚類学者  (彼女は15日に帰国予定)

筆者  日本在住         狙いは蝶、カミキリ、タマムシ

友人    〃          狙いは蝶、甲虫全般

A氏  モスクワ在住       狙いは蝶、蛾 (専門は細菌学、15日に到着予定) 

 各自の目的は多少違うが、虫を含む自然が身近にあれば満足で、多少の不便・不快は気にならない連中である。われわれ日本人2人もこのようなツアーには慣れている方だが、ロシア人とノルウェー人夫妻の逞しさには脱帽であった。

 ビールで乾杯。ビール1缶=17.5R、ウォッカ1ビン=63R、1(ルーブル)=4.7円からおよその物価が想像できよう。ではここで現地費用について記しておく。

 U氏のツアー企画費および管理間接費的なものは、すでに日本からツアー企画代として銀行口座に振り込み済みである。現地の支払は食材代、調理代、車使用料、ガソリン代、宿泊費、ガイド料などの実費である。1~2日毎にタイミングをみて、領収書+計算メモにより請求される。多少煩わしいが明瞭、正確で、合理的な方法である。具体的には、例えば調理代は32$÷4人=8$/日・人、車使用料は100$÷4人=25$/日・人、といった具合である。従ってツアーメンバーが少ないと1人当たりの調理代や車使用料の負担が重くなる。一方メンバーが多過ぎれば何かとサービスが悪くなり、採集では各人の希望通りとはいかなくなる。参加メンバー4人は、U氏がこれらを考慮してのアレンジであった。(続く)

Russia2a


秋深く、ネット上のマイフレンドの事をあれこれ想う日々

2009年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム

秋になるともの思う日々が多くなります。日射しが日に日に弱くなり、秋風が寒く感じます。草花が枯れ、雑木林も落葉し何かさびしくなります。世の儚さが身に迫ります。

過去の世界に色々交流のあった人々を思いだす季節です。特にブログや色々なネット上のクラブで知り合った人々のことが鮮明に思い出されます。実際にお会いしたことが無く、純粋な心の交流だけだったので一層印象が深いのです。その上、私はネット上で知り合った方々の文章作品や絵画、写真を自分のブログでご紹介しています。そういうことをするのはその方々を心に刻んで忘れないようにする為です。こうしてキーボードを叩いていながらも、色々な文章作品や絵画・写真が走馬灯のように脳裏を流れて行きます。そして朗読の声さえ耳に響いています。

今年は特に感動的な体験をしました。8月に前立腺ガンになり臓器を全部取り除く手術をしました。お会いしたこともないマイフレンドが、手術を恐れながら入院する私へ心のこもった励ましのメッセージを送ってくれました。恐怖が少なくなりました。

退院、回復後は私の為に喜んでくれました。ヴァーチャルなネット社会が自分の骨肉の一部になってしまいました。

それなのに不誠実な私は、そのようなマイフレンドの方々へお礼のメッセージも送らないでいます。ただ一人一人を思い出しながら老いの秋の日を過ごしています。申し訳ないと思いながらですが。どうぞこんな私をお許し下さい。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。  藤山杜人


年間第29主日、「世界宣教の日」について、そしてヨゼフ・ピタウさんのこと

2009年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

先日の10月18日はカトリックの年間第29主日で「世界宣教の日」でした。カトリック小金井教会の山本量太郎主任司祭さまの説教も「世界宣教の日」に関する話でした。小金井市には宗派の違うキリスト教会が11くらいあります。山本司祭さまの呼び掛けで教会の牧師さん達が集まって色々な相談をしました。そして今年のクリスマスには小金井市の市民が気軽に近所の教会へ行ってお祈り出来るように準備をしているそうです。教会の住所やクリスマス礼拝の時間を書面でお知らせすることになったそうです。信者でない人々がクリスマスパーティの前に手近な教会に行き、家族の平安をお祈りする。そして帰って家族が揃ってクリスマスの御馳走を楽しむ。

家族が揃って、あるいは若いカップルが気楽に教会へ寄る。よく聞くクリスマスソングを楽しみます。それからクリスマスパーティをする。こんな流れも楽しいと思います。信者である必要はありません。

この小金井市の11の教会の新しい試みは、「宗派にとらわれない開かれた教会」をめざしています。そして信者でない人々にもキリスト教に親しんで貰おうという目的があります。宣教活動の一つです。

キリスト教の信者は誰でも「宣教の義務」を持っています。信者一人一人が自分で良く考えて宣教活動をしています。しかし宣教師という言葉から、「押しつけがましい」とか「しつっこく勝手に喋る」などという事を連想する人も多いと思います。これは宣教の失敗の結果、人々にそういう印象を植え付けてしまったのです。

宣教は絶対に押し付けてはいけません。このブログでも私はキリスト教の宣伝をしています。何度もしました。ただし読者に不快感を与えないように細心の注意を払って来ました。

例えば、この記事の前にヨゼフ・ピタウさんのことを紹介しました。イタリア人ですが引退後は日本へ帰国しました。この地に骨を埋めるつもりです。ある外国人が日本が好きになり、そこに終の棲家を持つ。その国の土になる。この事実は全ての日本人が嬉しいことです。そのことを私は重大だと思います。彼が有名大学の学長をしたとか、バチカン本部で大臣のような役職にあった、などという経歴は全く重要でないのです。

「彼がどれだけ深く、強く日本人を愛しているか?」、これだけが一番重要なのです。彼が宣教師として信頼出来るか否かは、その日本人への愛によって判明します。私は確信しています。ピタウさんは恥ずかしくない本物の宣教師なのです。

いい加減な生活をしている私がキリスト教の説明をしても誰も信用してくれません。そこで私は本物の宣教師を時々ご紹介しています。先日ご紹介した、ペトロ岐部さんもそのつもりでご紹介しました。カトリック小金井教会の山本量太郎神父様も本物です。

私は仏教徒も無宗教の方々もほんの少しでもご興味を持って頂けるように書いています。カトリク信者から見ても、偉い人はやっぱり偉いと思います。このブログでよく取り上げる玄奘三蔵法師などはその例です。鑑真もそうです。弘法大師も私は尊敬しています。

皆様が、少し、そうですホンの少しでもこのブログの宗教関係の記事を読んで頂ければ非常にうれしく思います。どうぞこれからも宜しくお願い申し上げます。(終わり)


ヨゼフ・ピタウさんのこと、

2009年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログでは硬軟とりまじえ色々な記事が出て来ます。支離滅裂な編集になっています。読者の方々が気軽にご興味のある記事だけ読めるようにと、そうしているつもりです。写真もお好みのものだけをご覧ください。

 今日の読売新聞の10ページの「時代の証言者」シリーズでヨゼフ・ピタウさんの話が始まりました。カトリックの偉い人でバチカン本部で24年間活躍していました。1928年イタリア生まれなので余生はやっぱりイタリアで、と私は勝手に思いこんでいました。ところが日本に帰ってきて、余生を送り、日本の土になるつもりだそうです。

カトリックの人々はヨゼフ・ピタウさんを優しい父親のように親しく思っています。私もお会いしたことはありませんが、本を読んでいます。気安いお人柄のようでいつもニコニコ笑った写真が出ています。

今日から始まった読売新聞の「時代の証言者」ヨゼフ・ピタウのシリーズを是非お読み下さい。

1952、戦後の荒廃した日本へ宣教の為に来ました。山口県の多くの町を回って、ピタウさんが吃驚するのです。アメリカ空軍の爆撃で焼け野原になった町を復興している最中でした。ところが何処でも立派な建物は学校だったのです。運動場やプールまで整備されていたのです。ヨゼフ・ピタウさんが言います、「国を建て直すのに、まず教育に力を入れる日本に驚きました。そして日本へ深い関心と尊敬を持つようになりました。愛情さえ感じました。日本はすごい国になるのでは、と肌で感じました」、、、、、

宣教をしようとしたらまず相手を好きになり愛さなければできないのです。ピタウさんは日本到着早々日本人の優秀性を見抜き、愛情を持ったのです。その人が余生を送るために日本へ帰国してきたのです。ヨゼフ・ピタウさんのことを少しでも多くの人に知っていただきたくて筆を取りました。(続く)


オペラのCDを聴きながら秋の夕暮れの水面の写真を撮る

2009年10月20日 | 写真

012

今日は曇り日。ゆっくり家を出て、ヨットの掃除や整備をした。終わったときは夕方近くなっていた。CDプレイヤーでオペラの名曲を聴きながら船を静かに動かして水面の写真を撮ってまわった。晩秋の寂しさを写真に写し取ったつもりですが、いかがでしょうか?霞ヶ浦の曇り日の夕方です。

005 011


お宝鑑定団へのちょっとしたコメント

2009年10月20日 | うんちく・小ネタ

古い焼き物の本物と偽物を判定する、「開運何でも鑑定団」というテレビ番組がある。奥深い内容の良い番組である。

しかし物事は白黒を判断するばかりでは現実的ではありません。灰色の芸術作品がたくさんあります。柿右衛門、仁清 、乾山と焼いてあっても色々な事情があります。弟子が師匠の許可を受けてそのように焼き込んだ場合。その弟子の子が父の仕方を踏襲した場合。一流の焼き物師が勉強の為に模作した場合。金儲けの為に古物商が一流の陶工に焼かせた場合。これら全部は「偽物」とは言いません。それらの作品にはそれ相応の値段がついています。

本物だから500万円。偽物だから5000円という結果がよくテレビにあります。「開運何でも鑑定団」というテレビ番組では番組を面白くさせるために500万円と5000円の対比を強調する焼き物や骨董品が出てきます。しかし世の中の実態はそれ程単純ではありません。

安物の偽物を高価に買うのは基本的には買う人の鑑定眼の問題であります。善良な売人は決して「これは本物!」、とは言わないのです。「本物と保証はできませんが、かなり本物のような気もします。あなたはどう判断されるでしょうか?」という台詞を繰り返して言います。

古い芸術作品を買う人は本物と偽物の間に色々な灰色品物があります。灰色には色々なレベルの灰色としての適性な値段があります。レベルの違う灰色の適正な値段を知らないで古い焼き物や骨董を買うのは危険な行為です。全てを知っている父が死ぬとき息子に、「これはヒョットして貴重な焼き物かも」と言って申し送ります。息子は骨董の世界を知らないで単純に本物と信じます。父子の愛情の迷いです。そんな作品が時々テレビ番組に出てきます。しかし悪い人はこの世に居ないと思って貰いたいのです。そのほうがこの番組を一層楽しめませんか?


大宮司弘昌著、「初めてのロシア沿海州昆虫エコツアー」その一

2009年10月20日 | インポート

このブログでは色々な方々の文章作品や絵画や写真を広くご紹介してきました。今回は大学時代からの友人の大宮司弘昌さんのロシアのウラジオストックを中心とした蝶々と昆虫採集の旅日記を連載でご紹介いたします。大宮司さんは学生時代から蝶々の採集が趣味で引退後もますます熱心にしています。

これから連載する旅日記は蝶々や昆虫の興味を持っている方々は勿論ですが、人間そのものに興味を持っている方々にもお楽しみ頂かる内容です。これからの数回の連載をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

今日は特に添付掲載した地図と採集コースをまず丁寧にご覧下さい。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 藤山杜人

======大宮司さんの話の始まり=========

 2008年7月縁あって極東ロシア沿海州で昆虫エコツアーの機会に恵まれた。一般にこの地はビサやガイドの手配などの関係で、だれでも気軽に行ける地域ではないが、自然が豊かで昆虫は種類、数とも多く、今後さらに注目されるように思う。これからこの地を初めて訪れる方には何らかの参考になると思い、写真をまじえ体験談風に紹介する。

ウラジオストックヘ

  2007年秋、突然ウラジオストックからメールが入った。

「ウラジオストックを基点にサハリン、千島、カムチャッカ、アムール地方などでエコツアーの企画、ガイドをやっている。興味があれば、詳しい資料を送る。」

後で判ったことだが、彼(以後U氏とする)は、米国の蝶・蛾学会名簿で私の名前を見て、メールを出したとのこと。

 私はこれまでロシアでのエコツアーは、手掛かりがなく諦めていたが、U氏の送ってきた資料には、ウスリー地方の動植物、気候、ツアー計画、費用、VISAの取得法などが書いてあり、実現に大きな障害はなさそうであった。この種の個人旅行で一番のポイントは、信頼できる現地ガイドの確保である。地理勘のない山の中に連れて行ってもらうのは、財布も命も預けるようなものである。U氏とは面識はなかったが、メールの往復により彼はこの地の昆虫に詳しく、同時に信頼できると判断した。あとは運を天に任せることにして、同好の士1名を誘い、年末には7月10~20日というスケジュールを先方に伝え、U氏の年間スケジュールに入れてもらった。

 次いでこのスケジュールに合わせて、新潟⇔ウラジオストック直行便を仮予約した。東京在住者にとって新潟発は時間・費用の点で不便だが、成田発便がないので選択の余地はない。この予約が確定するのは4月1日なので、この日11時に電話をすると、すでに7月10日(木)のエコノミーは団体が入って満席とのこと。仮予約とは何なのか不満であったが、止む無くU氏に再度連絡し、7月13日(日)~24(木)という新スケジュールが確定した。日程と行動をFig-1に示す。 価格はサーチャージ込み約 \85,00、近距離の割りに高いのは夏季料金として止むをえないのだろう。

 VISAの取得は厄介であった。そのプロセスは、①フライト予約確定、②U氏へInvitation作成に必要なデータ送付、③約1.5ヶ月後Invitation受領、④エージェントに書類(Invitation+パスポート)提出、⑤2週間後VISA受領 であった。今回は不慣れもあり実際にVISAを受領したのは出発の2日前である。何か一つでも不具合があればツアー中止というきわどい流れであった。もっと簡単に取得できないか調べたが、今回はそのような方法は見出せなかった。

 7月13日、いよいよである。朝9時に自宅を出発、上越新幹線経由で新潟空港へ。新潟発15:50⇒ウラジオストック着19:30 は時差が2時間あり、実飛行時間は約1時間半である。到着ロビーでU氏と初対面の握手を交わし、ついにロシアに来たのを実感する。空港前広場で今回のツアーの足となるワゴン車(三菱デリカ)と運転手S氏を紹介される。 そしてただちに今宵の宿であるバンガローへ向かった。ここウラジオストック近郊の20:00はまだ明るく、約2時間の快適なドライブで暮れかかった小村に到着、村の只1軒の売店でビール、ウォッカ、食料などを仕入れ、暗くなった山道を更に30~40分走って10:30頃バンガローに到着した。(続く)

08pt_2


飛行船と帆船の豪華な写真をお送りします

2009年10月19日 | 写真

このブログでは色々な方の絵画や写真、あるいは文章作品をご紹介してきました。今回は昔の大学時代の同級生の奥さんの本格的な写真を1枚ご紹介します。OY子さんの作品です。15年くらい前から撮影へ出かて数多くの作品を作っています。撮影歴、展覧会への出品歴などはいずれご紹介しますが、取りあえず1枚ご紹介いたします。

Dsc_0059a


秋の日の平林寺

2009年10月19日 | 写真

033 059_2 062 034 041

江戸幕府が出来て早々、川越城の主は幕府の重臣、松平氏になった。そして川越から江戸へ行く川越街道の中ほど、新座市の野火止に松平家の菩提寺として平林寺が岩槻から移築された。現在も広大な雑木林に囲まれた寺には修行僧が全国から集まってくる。広い雑木林は国指定の天然記念物になって、散策路が整備・公開されている。秋の日の散歩にちょうど良いので家内と一回りしてきた。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。