後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

秋、季節のうつろいの早さ

2009年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

秋になると蚊が居なくなる。気持ちよく庭の仕事が出来るようになる。ムクゲを短く剪定し、アジサイも刈り込んでしまう。雑草も枯れてくる。小さな畑のキューリとナスも終わった。長い間新鮮なナスとキューリを与えてくれた小さな畑。裏のキンモクセイの花も散ってしまった。良い匂いもアッという間に終わってしまった。庭が急に明るくなる。

今年の夏は短かった。冷房装置を夜通しつけたことが無かった。今年は時の流れが速いような気がする。いろいろな事があったがみな過去という世界へ流れ込んでしまった。先日散策した湿地公園ではススキの穂が、ガマの穂が秋深いことを告げている。(下に写真を掲載しました)。

散歩の時は何も考えないことにしている。自然をジッと見て季節の流れの不思議さを想う。無我の境地とはそのようなものと思う。

他人と議論をしたり、難しい理屈を書いたりすることが何か無駄なことのように想う。

そんな悠々とした気持ちで秋の日々を過ごす幸せを噛みしめて居る。

現役を引退した皆様もきっと同じように悠然と老後を過ごしていると信じています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。  藤山杜人

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古い焼き物のお好きな方へ送る写真

2009年10月18日 | 写真

今日までの3日間、東京美術倶楽部で恒例の東美アートフェア 「古美術・茶道具・工芸 展」がありました。

国立駅南口そばの孤董館の主が義弟なので見に行きました。東京美術倶楽部ビルの3階と4階に94の骨董・古美術店がブースを出ていて、選りすぐりの名品を展示・販売していました。

孤董館のブースには大きい古伊万里の壺が数個並んでました。大きな壺は売れてしまったので写真は遠慮しました。下にそれ以外の古伊万里、柿右衛門、その他の焼き物の写真を掲載致します。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

ご興味のある方は孤董館のHP(http://www.kotoukan.com/index.html )をご覧下さい。

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日本が世界へ誇れる大旅行家のご紹介

2009年10月18日 | 日記・エッセイ・コラム

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明治維新前の日本人の大旅行と言えば遣隋使、遣唐使、東南アジアで活躍した山田長政、そして天正の少年使節のローマへの旅くらいである。学校で習う歴史の教科書に出てくるので誰でも知っている。

ところが江戸時代初期にマカオ、ゴア、そして単身、紅海を北上し、中近東の砂漠を通ってイエルサレムへ参り、更に長馳、ローマまで往復した男がいた。帰国後は日本国内を司祭として回り、最後は岩手県の水沢で捕縛され、三代将軍、家光の膝元の江戸で殉教している。その男の名はペトロ岐部。2008年11月24日に長崎の列福式でローマ法王によって福者として認められた。遠藤周作の著作には詳しく紹介されているが、多くの日本人は彼のことを知らない。

マカオを出たのが1617年、ローマに着いたのが1620年である。3年間の長旅である。特に中近東はイスラム教の地域である。従者も居ない一人旅である。それでも中近東の地を安全に歩くことが出来た。砂漠の異民族のの助けがなければ旅は続けられない筈である。そのことをあれこれ想像してみる。岐部には異民族へ好意を持たせる人格的な力が溢れていたに違いない。話しは飛ぶが、唐の都からインドへ往復の17年間の旅をした玄奘三蔵法師のことを思い出す。途中の国々で手厚く迎えられたという。

岐部にも三蔵法師と同じような圧倒的な人徳がそなわっていたのだろう。そしてこの人徳は宗教とは無関係に異教徒をも感動させるのだろう。大旅行家や冒険家に必要なものは体力だけではない。

ローマに着いたのが1620年の6月、そして5ケ月後には司祭になってしまう。異例の早さである。そして、2年間、ローマの修道院で修行の後、彼は帰国の旅にでる。帰路は海路をとったが、特にルバング島からは漁船で密かに日本へ潜入して来た。キリシタン弾圧が一層厳しさを増していた1630年と言われている。1639年についに捕まり処刑された。52歳であった。以上が、日本が世界に誇れる大旅行家としての岐部の紹介である。

以下は殉教したペトロ岐部司祭の宗教人としての紹介である。

1620年から1622年までローマの修道院で司祭として活動していたが、その間にイエズス会を創立したイグナチオ・ロヨラと、日本へキリスト教を初めて伝えたザビエルの列聖式に参列する幸運に恵まれている。

ペトロ岐部司祭は大分県に1587年に生まれ、長崎の神学校を卒業し、1614年に徳川家康によって国外追放される。徳川の時代も三代将軍、家光になり、キリシタンの迫害や殉教が一層熾烈になってきた。その時にペトロ岐部司祭は隠れキリシタンの希望と慰めを与えるために日本へ潜入したのだ。

潜入後、9 年間も日本各地を司祭として巡回し、ついに水沢で捕まる。江戸で処刑されるが処刑したときの記録が残っている。「ころびもうさらずので しょけいした」という意味の文言が見える。1639年、52歳の時である。

彼の生き方はすべての日本人にも「誇り」となるだけの迫力を持っている。それがほとんど知られてない。ご参考になれば幸せです。(終わり)

引用文献:http://blogs.dion.ne.jp/mrgoodnews/archives/1822791.html?reload=2008-12-29T20:20:03

(上の挿絵は昨年、長崎でのペトロ岐部ら187名の日本人の列福式のときの会場の背景画です。)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。  藤山杜人


曇り日の湿地公園

2009年10月17日 | 写真

国立市の西端に青柳緑地公園があります。多摩川の支流の矢川が広がって湿地帯になっています。一年中水鳥が住み、雑木林の梢には色々な鳥が囀っています。曇り日の水面に映る木々の影を写真に撮ろうと家内と行ってみました。静かで素晴らしい湿地の公園ですが、写真にはその素晴らしさが写せません。下手な写真ですが、ご想像頂ければ嬉しく思います。

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日本に軍備が必要です。問題はその内容と規模です。

2009年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム

航空自衛隊に11年勤務していた、私のネット上の友人が下記のコメントをくれました。まず、ご一読下さい。

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藤山杜人 様

歴史の真実は教科書に載っていない事が沢山ございますね。
藤山 様のブログを拝見致し『戦争を知らない』僕らの世代も
歴史の真実を学び後世に伝える義務があると強く思います。
戦後、我が国から消えた最大のことは『愛国心』と思います。
私が子供の頃は祭日や正月等は日の丸の旗が一般家庭でも上がって
おりましたし祖母から戦争について話を聞かされたものです(祖母が満州から
ひき上げた話で、私の母は一歩間違えれば残留弧児だったのです)
現在はそういう光景を目にしませんし話さえ聞きませんです。
段々、過去は忘れさられていると思います。

自衛隊もそうなのですが、昭和の時代から平成に変わり
自衛官も完全に変わりました。
公務員なので入隊する。安定しているから部隊に定年まで在籍する。
『国を守る』という意識が私が在籍した11年間で部隊内でも確実に薄れました。

自衛隊でも『文民統制』を教育されますが、ここ20年間で薄れていってる
と思います。昭和の時代の自衛隊は『中隊長からの精神教育』が
一番大事な科目でした。教えは『愛国心、平和、文民統制』。私の頭の中には
除隊して10年になりますが鮮明に記憶しています。
現在は意識が違うから悲しいです。

しかし一人一人の国民が戦争の真実を勉強し、後世に伝える事が
社会人の再教育で重要な事ではないかと考えます。
自衛隊が何故必要か?歴史を知る事で解ると思います。
伝えないから解らない、知ろうとしないから解らない。
過去の事、人ごと、になるのではと考えます。
そういう社会であってはいけないと思います。

敬具、     ゆき

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人類の歴史を見ると軍備無き国家は存続出来ませんでした。戦後、日本では反戦運動や絶対平和運動で再軍備反対や自衛隊無用論を主張する人々が居ました。強大なアメリカ軍が日本を占領し、外国の日本侵略を阻止していたのです。それで再軍備は必要無いと主張出来たのです。この事実を正しく認識し、自衛隊のことをもっと真剣に考えるべきと思います。

日本が独立国家になるためには軍備を整え、自衛の決心をする必要があったのです。自民党政権は国民に充分な情報公開をしないで、毎年、自衛隊の整備、強化を進めてきたのです。

ここで重大な問題は自衛隊の軍備の内容と経費を充分に公表して来なかった事です。軍備のコストに対する戦争抑止効果の比較を公表すべきでした。

民主党の防衛大臣がこの情報公開をすべきです。それを期待して私は民主党へ投票しました。軍備は軍事秘密だから情報公開出来ないという発想は根本的に間違っています。作戦や戦略は軍事秘密ですが、軍備は公表したほうが戦争抑止効果があるのです。

国土交通省ですらあれだけ莫大なムダ使いがあるのですから防衛省にも有る筈です。

平和を願う人々は自衛体の廃止を主張しますが、それはアメリカ軍の基地があるから主張出来る論理なのです。

平和を願う人は自衛隊に関心がありません。この態度こそ巨額の無駄な防衛費の原因になるのです。

皆様のご意見をお聞きしたいと思います。コメントをお待ちしています。(続く)


「根回し」重視の暗さー恥ずかしい日本文化ーそして前原大臣のすがすがしさ

2009年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム

「根回し」とは個人的に物事を説明し、情にに訴えて相手の了承を得る行為です。問題によっては数十人の人を個別に訪問し、秘密めかしげにコソコソ説得しなければなりません。「根回し」の反対語は「公開討論による合意」です。日本のマスコミは根回しが大好きで、それをしない人々をあからさまに非難します。私はこのような問題の解決方法が大嫌いです。あなたが「根回し」を好きなタイプの人間ならこの先は読むと不快になりますから、ここで読むのを止めて下さい。

最近、自由民主党が政権を民主党に明け渡してから毎日が明るい気分になりました。特に岡田外相が外務省の根回しもしないでいきなりアフガニスタンやパキスタンの紛争地を訪問し実態を調べています。

前原国土交通大臣は官僚の根回しをせずに八ツ場ダムの建設中止を宣言し、残り48ケ所のダム建設続行の一時中止をしました。その上、大阪へ行き、伊丹空港の不必要性を大阪府知事と話し合ってきます。そのあとで地方にある赤字空港の無駄を指摘し、成田でなく、羽田空港のハブ空港としての拡張を発表します。海外に行く多くの人々が成田が遠くて困っていました。羽田は東京駅から30分位で行けるのです。

羽田空港のハブ化は鳩山首相と充分相談しないで発表したのです。根回しをしないで自分の考えを発表する。それが非常に重要な考え方であれば多くの人々が支持し、官僚の反対があってもいずれは実現します。このような政治スタイルは欧米的で明るい青空のような感じがします。密室政治の暗さが一気に消滅したようです。

前原さんの提案が100%実行出来るか?それは未定ですが、少なくとも下のような事実を国民が初めて認識したのです。

(1)ダム建設は八ツ場ダムの他に48ケ所もあり、巨額の税金が消費されている現実の認識。

(2)日本全国に不必要な空港を多数建設し、維持管理費を含めて、巨額の出費をしてきたという事実の認識、そしてそれは特別会計という不明朗な運用をしてきたのです。

(3)日本航空(JAL)の経営危機は地方の空港へ赤字でも航空機を飛ばす規則のおあかげでもあります。自民党の指導で赤字体質になったという認識。

率直に言って、皆様は上に書いたような事実を今までご存じでしたか?少なくとも私は知りませんでした。吃驚しています。

国土交通省一つでもこの調子です。農林水産省や防衛省には何か巨額の無駄な出費が有りそうです。民主党の大臣がみな前原さんのように根回し無しの、自己責任で重要な問題を明らかにしてくれるのを期待しています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。   藤山杜人


マッカーサー司令官の突然の解任に驚く日本人、その教訓は戦争反対の為に永久に忘れない

2009年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の最高権力者のマッカーサー元帥が突然トルーマン大統領によって首を切られた。1951年4月ことである。彼を神のように崇めていた日本人は吃驚仰天した。

終戦直後の8月26日厚木飛行場に到着した。彼は丸腰でコーンパイプを咥えて悠然と飛行機のタラップの上に立った。その彼の度胸の良さにまず驚いた。なにせ厚木飛行場では特攻戦闘機が30機以上健在で徹底抗戦を叫ぶ部隊が8月20日過ぎまで反乱をおこしていたのだ。しかしその後、厚木は完全に鎮圧されアメリカの先遣部隊が布陣した後にマッカーサー機が到着したのだ。その事は新聞では発表されない。

その上マッカーサーの日本統治は国民に人気が高く、次第に神のように崇められて行く。その彼がトルーマン大統領によって簡単に首になったのだ。

今月の「文芸春秋」11月号の260ページにデイヴィット・ハルバースタムというジャーナリストが書いた「朝鮮戦争、マッカーサー神話の嘘」という記事が掲載してある。

記事の内容をどのように読むかは読者の勝手だ。そこで私の理解した範囲で要約を書く。内容は2つに要約される。マッカーサーが如何に小心翼翼とした小物で、そのくせ傲岸不遜な最低の人間性を持っていたという事。もうひとつは朝鮮戦争で半島奥深くへ奇襲上陸し北朝鮮軍を粉砕した話と、それに続く中国領への爆撃と、原爆の投下を主張したために解任された経緯。

人は他人の悪口は好んで読む。そしてそれで全てと思ったらこの文芸春秋11月号の記事の半分しか読んだに過ぎない。マッカーサーの人間性が悪いか良いかは重要でない。もっと心して読むべきことは、トルーマン大統領が第二次大戦の英雄としてアメリカ人に人気絶大だった彼を解任した時の勇気と、慎重なことの運び方である。年月が過ぎるにしたがってトルーマンが歴史上高く評価される大統領になって行く。そのアメリカ社会の現象を分かりやすく書いている。

文民統制とはアメリカでさえこんなに大変なのだ。マッカーサーは朝鮮戦争の余波をかって台湾の蒋介石軍と協力して中国大陸を占領しようと主張していたのだ。しかしトルーマン一派の政治家はそうすれば絶対にスターリン軍が中国へ攻め込んで来る。ヨーロッパでも戦端を開く。第三次世界大戦が起きると予測してマッカーサーを解任したのだ。軍人は狭い視野で自分の担当した地域の戦術しか考えない。世界の惨劇がもう一度起きる引き金になりそうな戦術でも実行すると暴言を吐く。

軍人の独走は日本の関東軍だけでは無いのです。日本人が永久に戦争反対ならトルーマンのような決断力のある首相を選び続けなければならいないという教訓です。

広島や長崎で平和の祈りをするのも重要ですが、我々は自衛隊の文民統制をもっと厳密に真剣に考え、永久にそれを堅持しなければなりません。政権を失った元の防衛大臣の石破氏はこの文民統制の重要性を熱心に説明していたことを忘れないようにしましょう。皆様のご意見はいかがでしょうか?(終わり)


女性らしい美しい写真をお送りします

2009年10月16日 | 写真

サンフランシスコ郊外に住んでいらっしゃるShionさんの写真を3枚ご紹介いたします。BYOOLというSNSの私の友達です。趣味は音楽、特にクラシック音楽が大好きだそうです。シンフォニーやオペラなどのコンサートに出かけるそうです。またピアノを弾かれるようです。私が感心するのは彼女のブログです。
http://yoshieyw.exblog.jp/
およびhttp://raffinee.exblog.jp/の2つです。

ブログの中からサンフランシスコの街角での写真と日本へ里帰りしたおりの山手線の電車の写真です。何気なく撮った写真のようですが、心を静かにさせる風景です。ブログには季節の移ろいを感じさせる風景写真があります。

月日が静かに美しく流れて行くようすが写っているのです。写真を撮っている人の心を写しだしています。是非、ブログの写真もお楽しみ下さい。(終わり) F0205794_81117341 F0205794_123546351_2F0205794_948771


ネット上の男女のトラブルの特徴と解決法

2009年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム

インターネット技術が多くの人々に日常的に使われている。10年前にこのような日常的な普及を予測した人々は決して多くはない。

しかしネット社会は実社会と違う特徴がある。その特徴を活用すると我々の住んでいる世界が広がり、心豊かな生活を楽しむことが出来る。私もブログを初めて満2年になり現実の社会では体験できないことにいろいろ遭遇してきた。大きな喜びもあった。しかし数は非常に少ないが実に不愉快なコメントを貰ったこともある。

そんな体験からネットの有する特徴を活用して、もっと善いことに利用することを考えている。その為の提案を考えてみたい。

その前に、今回はまずネット社会特有の男女のトラブルを考えて、その賢明な防止法を提案したいと思う。

女性のブロガーやSNS会員がストーカー行為にあってネット社会から離れて行くケースが多い。実社会でもストーカー行為はあり、警察へ相談すれば対策を取ってくれる。

今回の話題は警察のお世話にならない範囲のネット特有のトラブルについてのみに限定する。トラブルの賢明な防止法は以下の諸点に男女が注意することが肝要と思う。

(1)男性はネット社会で知り合った女性に実際に会うことをしないことを原則とする。実際に会おうとすると女性の美醜を考えてしまう。女性が、自分が美しいという暗示を書いていても信じてはいけない。信じると男性が付き纏いたくなる。

(2)女性はブログに自分の肉体的な魅力を少しでも書きたい気持ちを持っている。しかし少しでも書くと、其の事だけに異常な興味を持つ男性がストーカーになってしまう可能性がある。実社会でのストーカーは女性を実際に見ている。お互いに姿の見えないネット社会では異常な妄想になって一層ストーカー行為が多発する。

(3)男性はネット社会で知り合った女性はすべて美女と仮定してネット上でのみ付き合う。そうするとネット社会が一層楽しくなる。絶対に実際に会って見るという愚かな考えを持ってはいけない。

(4)ネット社会で、男性が女性に惹かれるのは女性の精神的な美しさである。女性らしい優しさ、柔らかな感性で撮影した風景写真、全てを犠牲にしそうな勢いの母性本能、男性や子供へ対する崇高なまでの神秘的は愛情。このような女性特有の性格が男性を引き付けるのです。決して外見の魅力だけでは無いのです。

ネット社会で女性が何かを書くときは精神的美に限定すべきです。そうすればストーカー行為に遭遇しないのです。

ネット社会の犯罪へも警視庁は大きな努力をしています。(警視庁ネット犯罪化課として検索すると情報が得られる)。危険を感じたら警察のネット専門の窓口と相談するのも良いと思います。

ところで皆様はどのようなご意見でしょうか?コメントとして頂ければ幸いです。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。  藤山杜人


そして悠々たるセーリング、10月15日午前

2009年10月15日 | 写真

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昨日は福島から来たHSさんと葉山から来たOAさんと3人でセーリング後のキャビンの中でシャンパンを飲みました。セーリングの後はシャンパンを飲むと決めているHSさんが保冷袋に入れてフランスの高級シャンパンを毎回持って来ます。シャンパングラスも、いつも人数分を冷やして持ってきます。

私は家内が作ってくれた料理を大鍋ごとヨットに持ち込みます。チキンをマシュルームと共に仕上げたホワイトシチュウです。夕食の時温めなおして供します。シャンパンに合うように塩味控え目の上品な味です。お客さんが徒歩5分のJR土浦駅へ帰っていったのは午後8時ころでした。私はヨットに泊り、次の日は1人でセーリングをして帰ってきました。今日は昨日と違って青い空が広がり風も穏やかで呑気なセーリングを楽しんできました。(終わり)


現役の間に必ず貯金と趣味への投資をしておくーすると、老後が輝きだす

2009年10月14日 | うんちく・小ネタ

よく老後の為にと貯金している人が多いものです。なにせ年金制度が次第に崩壊すると新聞に出ているのですから。それでつい貯金だけに夢中になっている人を見かけます。しかし現役時代には趣味へも投資しておくべきです。時間とお金を投資しておきます。そうすると引退後がすごく楽しくなるのです。実際自分は引退後は現役の頃始めた2つの趣味を楽しんでいます。

誰でも現役のころは仕事が忙しく、趣味どころではありません。しかし老後を大いに楽しむためには趣味を2つ、3つ現役の間に持っていることが肝要です。

現役のころは時間がないかわりお金があります。贅沢をしないで、生活費を切り詰めてでもお金を趣味に投資して置くのです。

例えば別荘用の土地を少し買って置く。趣味の為の電動工具を一式買って置く。中古のヨットやモーターボートを買って置く。釣り道具と釣り用の小舟を買って置く。趣味の山歩きの為の小屋を大きな山の麓に作って置く。スポーツ、ダンスを習う。絵画や音楽など趣味のために良い先生について習って置く。お花や茶道の師匠について習って置く。外国語、日本の古典文学(万葉集や源氏物語など)先生について本格的に勉強して置く。どれでもお金と時間を多くかけた方が、一般的には引退後が一層楽しくなります。

引退後は仕事仲間が居ません。しかし趣味を通じての知人・友人が沢山出来ます。狭い分野の仕事だけの仲間は非常に特殊な視野の方々です。ことの良し悪しは別にして仕事仲間とはそういうものでしょう。引退後は時間が豊富にあり、趣味を楽しむ時間は拡大します。自然に趣味を通しての知人・友人が増えます。視野や生活環境が非常に違う方々です。人間の営みの多種多様さとその華やかさに吃驚します。そのお陰で、自分の生活の巾や視野が広がり、豊かになります。引退後が人生で一番幸せな時代になります。

筆者の趣味は37歳の時に始めた山林の中の小屋と、48歳で始めたクルーザーヨットです。そしてこのブログです。ブログは山林の中で知り合った鬼家雅雄さんに薦められ、手取り足取りコンピューターの使い方を教えて貰ったお陰で楽しんでいます。

上に掲載した写真は1973年に山林の中の80坪の土地の中を流れている小川の様子です。80万円で買いましたがその後小屋を建て、この小川に上ってくるヤマメや岩魚と36年間遊んでいます。そこから車で少し走ると八ヶ岳で、もう一枚の写真のように美しい杜があります。

ブログをしていると誰にでも気軽に声をかけることが出来ます。「田舎暮らしですか?私も小屋を持ってますよ。」とか話かけます。

ヨットのある現場では、「美しいヨットですね。チョット見せてくれませんか?」と言います。それでキャビンの中へ招じて貰えれば友人になれます。

最後に実に恥ずかしい話をして終わりにします。若い頃、欧米の研究者と競いあっていました。ところが彼等はみな別荘やヨット・モーターボートの趣味を持っています。何がなんでも彼等に遅れをとっては口惜しい!どうしてでも勝ってやりたい。趣味の世界でも。こんな浅はかな競争心と見栄で始めたのが山林の中の小屋とヨットの趣味です。決して引退後を楽しむために始めたわけではありません。現在も軽佻浮薄な人間ですが、若いときの軽佻浮薄ぶりのお陰で引退後の生活が人生で一番楽しいものになりました。皆様はいかがでしょうか?(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。   藤山杜人

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