後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

清楚なお寺、海岸禅寺に静かに咲く梅の花

2020年02月02日 | 日記・エッセイ・コラム
小金井市の五日市街道の北側にある臨済宗妙心寺派の瑞雲山海岸禅寺は毎年、梅の花の写真を撮りに行くところです。住職様が何時も庭を掃き清めていてし清々しい気分になります。
誰でも自由に散歩してよいように山門がいつも開いています。
墓地を売り出しているとか駐車場を貸していたりしてません。金銭慾の無い清楚なお寺です。

庭には枝を低く垂れた見事な松の大木があります。睡蓮の花が咲いている池もあります。勝手に庭へ入っても、暖かく歓迎されているような雰囲気です。
本堂の外廊下に坐って静かに庭に咲いた梅の花を眺めます。訪れる人もいない静かな時がゆったりと流れて行きました。
寺の前には広い駐車場があり見事な白梅が咲いています。昨日訪れたらまだ三分咲きでした。
そこで去年の2月17日に撮った満開の写真をお送り致します。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。









ついでに妙心寺派の教えと、海岸寺の概要と、妙心寺の紹介をお送り致します。
(1)妙心寺派の教え
生活信条
一日一度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう
人間の尊さにめざめ 自分の生活も他人の生活も大切にしましょう
生かされている自分を感謝し 報恩の行を積みましょう
信心のことば
わが身をこのまま空なりと観じて、静かに坐りましょう
衆生は本来仏なりと信じて、拝んでゆきましょう
社会を心の花園と念じて、和やかに生きましょう

(2)海岸寺の概要、https://tesshow.jp/tama/kodaira/temple_miyuki_kaigan.html
臨済宗妙心寺派寺院の海岸寺は、瑞雲山と号します。海岸寺の創建年代等は不詳ながら、秩父郡三峰山境内にあったといいます。江戸時代、当地が南泉寺の抱地だったことから宝林庵という庵室があったといい、この庵室を一寺にしたいとの要望により、海岸寺を元文元年(1736)当地へ引寺したといいます。堂宇を建立できなかったことから、元文4年(1739)江戸済松寺の末寺となり、済松寺6世石慧堅禅師を中興開山としたといいます。

(3)妙心寺について、http://www.myoshinji.or.jp/about/index.html
正法山妙心寺は臨済宗妙心寺派の大本山です。
インドの達磨大師さまから中国の臨済禅師さまを経て、妙心寺開山無相大師さまへと受け嗣がれてきた一流の禅を宗旨・教義としています。
1337年、95代の花園法皇さまの勅願によって創建された妙心寺の開山、無相大師さまの法流は四派に分かれ、全国3400ヵ寺に広がっています。
お釈迦さまを大恩教主と尊崇し、その教えを心にいただく禅の安心を求めます。
開山無相大師さまの最期の教え「請う、其の本を務めよ」と開基花園法皇さまの「報恩謝徳」の聖旨による仏法興隆を実践します。
自身仏を信じて坐禅に励み、足下を照顧しながら生かされている自分を感謝して、社会を心の花園と念じ和やかな人生を目指します。

「この奇妙な儀式、他人の肉体を食べる」

2020年02月02日 | 日記
カトリックでは毎週のミサのなかでイエス様の肉体を少し食べます。信者でない人々にとっては驚きの行為です。何か原始宗教の儀式の一場面のようなものです。
これはイエス様が最後の晩餐でパンを取り、「これは私の体」と言って割いて弟子たちへ食べさせたことに由来しています。そして葡萄酒の杯を取って、「これは私の血」と言って弟子たちに飲ませました。
この奇妙な行為と同じことをカトリック教会ではミサのたびに再現しているのです。

1番目の写真はイエス様を囲んで12人の弟子が夕ご飯を食べている光景です。この後、イエス様は反対派の訴えでローマ兵に逮捕され、十字架につけられ処刑されます。この絵はビセンテ・フアン・マシップ作の「最後の晩餐」でです。
イエス様はこの食事が、弟子たちととる最後の食事だと知っていたのです。
イエス様も弟子たちに教えたいことがたくさんあったのですが、時間は限られています。そんな状況で、言うべきことを精一杯込めた言葉が「このパンとワインは私の肉と血である」という言葉です。「私がたとえ死んでいなくなっても、私はあなた方と共にある」ということを伝えたかったのです。
カトリックではミサの終わりごろに神父さんが下の写真のような白い小さなパンを取り、神に祈ってそれをイエスの肉体に聖変化させた後で、信者一人一人へ渡すのです。

2番目の写真はイエスの肉体に聖変化させる素焼きの煎餅のような聖餅です。
このパン片をカトリックでは一番重要視します。一方プロテスタント派ではあまり重要視しません。
不思議なことや神秘的なことはなるべく少なくしようとしたのが宗教改革と言えば言い過ぎでしょうか。
しかし宗教には不思議なことや神秘的なことは非常に重要なのです。

3番目の写真はカトリックの長崎、大浦教会でのミサの風景です。
世界には13億人のカトリック信者がいます。日本には44万人です。これら信者は毎週、イエス様の肉体を少し食べているのです。
それを忘れてカトリック信者も時々悪事を働きます。困ったものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「早春の花、福寿草の写真です」

2020年02月02日 | 写真
2月になると早春の花、福寿草が咲きます。
雑木林の樹木の下をよく見ると福寿草が華やかに咲いていることがあります。近所の農家の人が植えたのでしょう。その心を想像すると嬉しくなります。そして、嗚呼、春が来たと心が弾みます。
早春の花、福寿草の写真をお送りいたします。





「今日の日記、愛について文章を書いて、スーパーに買い物に行く」

2020年02月01日 | 日記
今日は午前中、「愛は欧米の言葉、本物の日本男子は使わない!」という文章を書き、ネット上に投稿しました。
趣旨は欧米では「愛」という言葉は男女の絆だけでなくもっと広い種類の絆に使われる重要な言葉だというものです。キリスト教文化の西洋諸国の柱になっているような言葉なのです。
キリスト教では神が人間を愛し、人間が神を愛する宗教なのです。
ですから「愛」という言葉は欧米文化の柱になっているのです。
しかしそれにも拘わらず、欧米人は絶えず戦争をしているのです。それは人間の悲しい、悲しい性(さが)なのです。こんな趣旨の一文でした。

午後は梅の花の写真を撮ろうと公園に向かいました。ところが写真機を忘れたのです。仕方なく少しドライブをしてからヤオコーという名のスーパーで寒ブリの切り身を買って来ました。先週も寒ブリを買いましたが活きが良く大変美味でした。
今日から2月です。東京の2月は晴れの日が多くて文字通り「光の春」です。光だけは春のようですが寒風が吹く季節です。今日もそんな日です。間もなく節分です。
季節が足早に流れ行きます。1月に撮った花の写真をお送りいたします。










愛は欧米の言葉、本物の日本男子は使わない!

2020年02月01日 | 日記・エッセイ・コラム
日本には独自の伝統文化があります。それなのに明治維新以来、奔流のように欧米文化が流れ込んで来ました。
維新からもう150年もたっていますが、私はなるべく欧米文化と日本の伝統文化を分けて考えています。そして欧米起源の言葉はなるべく使わないようにしています。欧米起源の言葉を使う時は欧米での本来の意味を説明してから使うようにしています。
例えば愛という言葉は日本では男女の絆の場面でよく使われます。しかし、そのような使い方は日本の伝統文化には無かったのです。
ですから古風な本物の日本男子は使わない言葉です。
欧米では「愛」という言葉は男女の絆だけでなくもっと広い種類の絆に使われる重要な言葉です。欧米文化の柱になっているような言葉なのです。

今日は欧米で「愛」という言葉をどういう場面でどのような意味で使われるか説明したいと思います。
説明を分かり易くするためにスコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス-』という映画 を利用いたします。
この映画の何処が面白いかというと、行方不明の昔の先生を2人の弟子が波濤万里、日本まで探しに来てついに発見するというサスペンスに満ちた物語の展開が面白いのです。しかし昔尊敬していた恩師は変わり果てていたのです。
このような筋書きの展開がドラマチックで見る人の心を最後まで引き寄せて行きます。
しかしこの映画の面白さは筋書きのダイナミックな展開だけではありません。
そこには人間同士の美しい絆、すなわち愛が描かれています。そして人間の醜さも赤裸々に描いてあるのです。
そこで今日は人間同士の3種の愛を描いた3つの場面をご紹介いたします。

しかしその前に粗筋だけでも書かせて下さい。
島原の乱も終り、江戸幕府のキリシタン弾圧がほぼ終了した時代に、2人のポルトガル人神父が行方不明の昔の恩師を探しに無謀にも九州へ潜入して来たのです。ロドリゴ神父とガルペ神父です。
かつて2人の指導者だったフェレイラ神父を探すためにキリシタン弾圧下の九州に秘かに上陸して来たのです。
潜入したロドリゴ神父とガルペ神父は信者にかくまわれながらフェレイラ神父を探しまわります。
しかし2人とも捕まってしまい棄教を迫られます。
ガルペ神父は海に落とされた日本人の信者を助けようとして飛び込み、自分も役人に海に沈められて絶命します。
一方、ロドリゴ神父は紆余曲折の末にフェレイラ神父についに会うことが出来ました。
しかしかつて尊敬していた恩師、フェレイラ神父はあまりにも変わり果てていました。棄教して沢野忠庵と言う日本人になっていたのです。
そしてロドリゴ神父にも棄教を迫ります。苦悩の末についにロドリゴ神父も棄教しました。
その後は幕府から日本名を貰い、処刑された日本人の妻女を妻としてあてがわれます。そして死ぬまで幕府側のキリシタン取り締まりに協力します。
それでは映画の中に出てくる3種の人間同士の愛を描いた場面をご紹介致します。

(1)「異国人同士の愛」(ポルトガル人ロドリゴと日本人信者の間の愛の絆の温かさ)

荒波の吠える喜望峰を回り苦難の帆船の旅に耐え、ロドリゴとガルペは遂に人気の無い九州のある海岸に上陸します。
隠れているところを村人に発見され温かい食べ物を貰い保護されます。この時のロドリゴとガルぺと村人が愛し合うのです。
異国人同士の愛です。そのが美しいのです。
初めて会った人間同士が強く結ばれお互いから勇気と希望を貰うのです。
弾圧で外国人のパードレは死に絶え、神は沈黙するだけでした。島原の乱も鎮圧され日本にはもう二度とパードレは来ないと思われていたのです。そこに2人のパードレが現れたのです。村おさが「神は沈黙の代わりに2人のパードレを送ってくれた」と喜びます。

1番目の写真はロドリゴと村民の姿の写真です。
皆汚い着物を着ていますがロドリゴの顔や村人の顔が美しく輝いています。
この映画では感動的な映画音楽は一切流れません。蝉の声と遠方の波の音が時々流れるだけです。

(2)「異国の師弟の愛」(ロドリゴと日本人キチジロウの強い絆と愛の物語)
厦門(アモイ)からロドリゴたちを日本へ連れた来たのが意志薄弱な日本人のキチジロウでした。
何度もロドリゴを裏切り、終いにはロドリゴを官憲に渡します。
その度にロドリゴに告解を聞いて貰い神の赦しを得ます。そんなキチジウをロドリゴは軽蔑を感じながも愛そうと努力します。

2番目の写真はキチジロウがまだロドリゴを官憲に売り渡す前の写真です。
キチジロウはロドリゴに告解を聴いて罪を許してくれと頼んでいる場面です。
ロドリゴはもう何度も告解を聴いているのでいささか辟易しています。
そんなキチジロウに最後はロドリゴが救われるのです。
棄教し岡田三右衛門という日本人になってしまったロドリゴは江戸のキリシタン屋敷にあてがわれて妻と余生を暮らします。
その折に下男のように世話をし続けたのがキチジロウでした。
誰もがロドリゴを岡田三右衛門と呼び彼がパードレだったことをおくびにも出しません。
しかしキチジロウだけは2人だけの時はパードレと呼ぶのです。ロドリゴはよせと言いますが、心の奥では嬉しかったに違いありません。
しかしキチジロウも終いにはキリシタンと疑われてロドリゴから引き離されます。彼等はその後二度と会うことはありませんでした。

(3)「西洋人同士の師弟の愛」(昔の恩師、フェレイラとロドリゴは同じ西洋人でした)
いろいろな事件のあとロドリゴは昔の恩師、フェレイラに遂に会います。お寺の中で高僧に連れられたフェレイラがロドリゴの前に現れます。対座したロドリゴの目から涙が流れ落ちます。
長い長い航海と弾圧下の日本で味わった苦難の日々を思い出して感慨無量です。しばらくフェレイラを見つめていたロドリゴが言います。「フェレイラ神父、何か仰って下さい」
「このような場面で何を言ったら良いのですか。あなたも知っている通り、私は今は沢野忠庵と言い、仏教徒になっているのです」
「あなたは若い私共にキリストへの献身を説いたではありませんか。そのあなたが仏教徒とは」とロドリゴが絶句します。
しかし昔の師弟の絆は強く美しかったのです。ロドリゴは沢野忠庵の薦めで棄教し、踏み絵を踏んだのです。
それはロドリゴが棄教すれば眼前で行われている数名のキリシタンの穴吊りの拷問を即刻止めると言われたからでもあります。

3番目の写真は雲仙地獄での拷問を見ているフェレイラの写真です。

さて上に書いた3つの愛の場面は如何でしょうか?
宗教に関心の無い方々にも充分理解出来る感動的な人間同士の絆ではないでしょうか?そこには夫婦愛や親子の愛とは違うもう一つの愛が美しく描きだされているのです。
この種類の愛はキリスト教文化圏にある愛です。
キリスト教は神が人間を愛し、人間が神を愛する宗教なのです。
上で「愛」という言葉は欧米文化の柱になっていると書きましたが、その理由をご理解頂けたと思います。
そして「愛」が欧米文化の柱になのに戦争が絶えないのは人間の悲しい、悲しい性(さが)なのです。嗚呼。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)