後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本の共産主義(2)日本共産党の独特な特徴

2020年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム
共産主義はキリスト教が生んだ鬼っ子です。この意味を理解するにはキリスト教の限界を理解する必要があります。この問題は先に回して今日の連載では「日本共産党の独特な特徴」を簡明に書きたいと思います。
利用する資料は「日本共産党」、https://ja.wikipedia.org/wiki/日本共産党 です。
この資料は詳し過ぎるので省略や抜粋をし編集し直して分かりやすく書き下しました。

まずはじめによく使われる言葉、「コミンテルン」と「ボリシェヴィキ」の意味をご説明しておきます。
「コミンテルン」とはモスクワにあった国際共産主義運動の指導組織、国際共産党のことです。
「ボリシェヴィキ」はロシア社会民主労働党が分裂して形成された、レーニンが率いた左派の一派のことです。この一派がソ連体制を作り、日本共産党に大きな影響を与えたのです。
ついでに言えば、ブルジョアは資本家階級でありプロレタリアートは労働者階級を意味します。

さて日本共産党の独特な3つの特徴とは次のように私は考えています。
(1)長いその歴史にもかかわらず一度も政権党になったことが無い。
(2)現存する日本の政党としては最古の歴史を持つ政党である。
(3)現在約28万人の党員を抱え、西側諸国で最大規模の共産党となっている。
国会議員数は、衆議院議員12名、参議院議員13名です。また、約2800人の地方議員を抱え、日本共産党が与党の自治体は2018年12月現在62あります。
要するに日本共産党は国政では弱体だが、地方の市町村では重要な政治勢力なのです。

日本共産党の歴史:

1922年7月15日、堺利彦、山川均、近藤栄蔵ら8人が、極秘のうちに渋谷の高瀬清の間借り部屋に集まって日本共産党を設立しました。設立時の幹部には野坂参三、徳田球一、佐野学、鍋山貞親、赤松克麿らがいます。モスクアでコミンテルンで活動していた片山潜の援助も結成をうながしたそうです。
11月にはコミンテルンに加盟し、コミンテルン日本支部、日本共産党となったのです。
これが日本共産党の全ての始まりになりました。
「綱領草案」では、天皇制の廃止、貴族院の廃止、18歳以上のすべての男女の普通選挙権、団結、出版、集会 、ストライキの自由、当時の軍隊、警察、憲兵、秘密警察の廃止などを求めていました。
さらに、外国にたいするあらゆる干渉の中止、朝鮮、中国、台湾、樺太からの日本軍の完全撤退を求めたのです。
当時としては驚くべき活動方針でした。
当然、創設当初から治安警察法などの治安立法により非合法活動という形を取って行動せざるを得なかったのです。
そして日本共産党は一斉検挙前に中心人物が中国へ亡命したり、主要幹部が起訴されるなどにより、運動が困難となったのです。
その結果1924年に共産党はいったん解散します。

1926年、かつて解党に反対していた荒畑寒村により共産党は再結党されます。
中国侵略と戦争準備に反対する闘争を党の緊切焦眉の義務と位置づけたのです。

1927年の第16回衆議院議員総選挙では徳田球一ら初めての「日本共産党系の国会議員」が誕生します。
しかし、1928年に治安維持法により1600人にのぼる党員と支持者が一斉検挙され、1929年には約1000人が検挙されて、日本共産党は多数の活動家を失ったのです。

1932年5月、コミンテルンにて「32年綱領」が決定され、戦前における活動方針が決定されます。
そして日本の革命の主要任務を、天皇制の打倒、寄生的土地所有の廃止、7時間労働制の実現と規定したのです。つまり、「帝国主義戦争および警察的天皇制反対、米と土地と自由化、労働者農民の政府のための人民革命の実施」を主張したのです。

戦時下の活動
1936年のフランスやスペインで「人民戦線」とよばれる統一戦線政府が成立し、コミンテルン第7回大会(1935年)が人民戦線戦術を決議すると、野坂参三らは「日本の共産主義者へのてがみ」を発表して日本における人民戦線運動を呼び掛けたが、党組織は壊滅しており現実の運動とはならなかったのです。
日中戦争に際しては、戦争反対とともに、出征兵士の家族の生活保障や国防献金徴収反対などの闘争を企図しました。
その後も1938年にかけて労農派に治安維持法が適用され、930人が検挙されます。また、国外に亡命していた野坂は、延安で日本軍捕虜の教育活動をします。また宮本顕治は、裁判の中で日本において日本共産党の活動が生まれるのは必然的なものだと主張するなど、法廷や裁判で獄中闘争を続けていました。

あまり長くなるので今日は此処までとします。
以上要約すると戦前、戦争中に日本共産党は戦争反対を貫き通したのです。
しかしソ連の国際共産党運動にあまりにも忠実だったために日本文化の伝統を無視し過ぎた活動方針を取り過ぎたのです。そのために日本人の支持が広がらなかったのです。
日本共産党の弱体化は単に官憲の弾圧のためだけでなかったのです。
これほど強いモスクワのコミンテルン崇拝が日本にあったとは驚きです。

今日の挿し絵代わりの写真は平和な大磯の海岸の風景です。早春の浜部です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)





「今日の日記、多摩湖の写真を撮りに行った」

2020年02月10日 | 日記
午前中は「日本の共産主義(1)若者は何故共産主義に魅せられた?」という記事を書きました。
戦前、戦後の日本人が何故共産主義に魅せられたか2つのケースとして宮本百合子と日本共産党本部で働いていた私の友人の場合をご紹介しました。
金持ちの家に1899年に生まれた宮本百合子は30歳の頃、共産主義に魅せられた理由は3つです。
彼女のソビエト時代の変化の理由は三つあったそうです。
一番目はソビエト・ロシアにおいて女性の生活と社会での役割が非常に尊重されていたこと。
二番目は宮本百合子に精神的な影響があった実弟の1928年の自殺によって日本社会には将来がないと感じたこと。
三番目はソビエト・ロシアと比較して資本主義制度はすぐなくなるという信仰を深めた1929年の西欧の旅。

私の友人が共産党に興味を持ったのは終戦が近い北海道帝国大学の学生の時でした。教授が強制的に学生に軍隊が使う飛行場を作らせたからです。飛行場作りの過酷な労働が連日続いたそうです。それが嫌になって共産党に入ることにしたそうです。
戦時下の日本で軍国主義に反対して自由にものが言えるのは共産党のなかだけだったのです。その人は共産主義よりも自由主義にあこがれて入党を決意したそうです。共産主義の何たるかを深く考えませんでした。

さて午後は多摩湖と呼ばれている村山貯水池の写真を撮りに行きました。それは東京都の水道水の水源の一つです。
冬の多摩湖は水が深い碧色で美しい風景になります。
湖の向こうに見る白いドームは西武球場の屋根です。白い丸い屋根の右の森には西武遊園地が広がっています。
遠方にかすんでいる山並みは奥多摩の山々です。
広々した自然の風景を見て幸せな気分になりました。
老境のある日の午後でした。写真をお送りいたします。





日本の共産主義(1)若者は何故共産主義に魅せられた?

2020年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム
2020年02月07日に「今日の日記、歯医者に行って、小平墓地の写真を撮りに行く」という記事を書きました。その中で宮本百合子の墓をご紹介して、彼女の有名な小説の『伸子』1928年、『播州平野』1947年、『風知草』1947年などの傑作に言及しました。
この記事の中では言及しませんでしたが、彼女は熱心な共産主義者でした。日本の共産党の書記長、宮本顕治の妻でした。
そこで戦前、戦後の日本人が何故共産主義に魅せられたか2つのケースを書いてみたいと思います。
2つのケースとは宮本百合子と日本共産党本部で働いていた私の友人の場合です。

さて宮本百合子が共産主義になったのはソ連への滞在がきっかけになりました。そして1931年に秘密裡に共産党員になりました。
しかし表向きにはプロレタリア文学運動のメンバーとして合法的に活躍しました。戦前の日本では共産主義者は特高や公安警察の厳しい弾圧が続いたのです。
金持ちの家に1899年に生まれた百合子は30歳の頃、何故共産主義に魅せられたのでしょうか?
彼女のソビエト時代の変化の理由は三つあったそうです。
一番目はソビエト・ロシアにおいて女性の生活と社会での役割が非常に尊重されていたこと。
二番目は宮本百合子に精神的な影響があった実弟の1928年の自殺によって日本社会には将来がないと感じたこと。
三番目はソビエト・ロシアと比較して資本主義制度はすぐなくなるという信仰を深めた1929年の西欧の旅。
以上は宮本賢治、『宮本百合子の世界』1963年、新日本出版社に書いてある理由です。
以上の理由は戦前の日本の政治が軍事御独裁政治で若者が求めていた自由と平等が皆無だった時代に必然的に生まれた理由でした。

さて次に共産主義のある友人の話をご紹介いたします。
彼とは甲斐駒岳の麓の私の小屋の庭で知り合いました。近くの別荘に独りで住んでいた老人でした。日本共産党の本部で生涯働いていたそうです。
彼は散歩が好きで私の小屋の前をよく通っていました。明るい性格の気さくな人でした。お茶を飲みながら家内と三人で話をしました。
ここで3枚の写真をお送りします。





3枚の写真は順々に1私の小屋から見上げた甲斐駒岳、2森の中の私の小屋、3彼と何度も談笑したテーブルの脇を流れる小川です。

彼が共産党に興味を持ったのは終戦が近い北海道帝国大学の学生の時でした。教授が強制的に学生を集合させて軍隊が本土防衛のために使う飛行場を作ることになったと言い放ったのです。そして飛行場作りの過酷な労働が連日続いたそうです。それが嫌になって共産党に入ることにしたそうです。
戦時下の日本で軍国主義に反対して自由にものが言えるのは共産党のなかだけだったのです。その人は共産主義よりも自由主義にあこがれて入党を決意したそうです。共産主義の何たるかを深く考えませんでした。
終戦直後に東京の共産党本部へ行き、入党の意思を述べたそうです。当時は帝国大学の卒業生は貴重な人材でした。即入党が許され本部で働き始めました。
ところが終戦後でも警察の調べと嫌がらせが親類まで執拗に行われました。彼は札幌の下宿の娘さんと恋愛結婚していましたが、公安警察の取り調べと嫌がらせはその奥さんの親類まで徹底的に行われたのです。新婚の家庭にまで公安警察が何度も来て、荒っぽい言葉で共産主義の悪口を言います。それが原因で結局は離婚してしまったそうです。
そして共産党本部へは何度も警察の捜索が入り、その度に逮捕されそうになりました。しかし彼は一回も逮捕されませんでした。警察が襲って来る数日前から予想出来たので雲を霞と逃げてしまったそうです。
そして二度目の結婚をしました。奥さんは気丈で有能な職業婦人でした。山梨に彼の為に別荘を建ててくれました。彼とはそこで知り合ったのです。

さて何故、日本の警察は終戦後も共産党を弾圧したのでしょうか。その理由は冷戦構造にあったのです。アメリカに敵対するソ連と中国は共産党独裁の国です。資本主義を敵視するのが当時の共産主義だったのです。そんな情勢の中で日本はアメリカと安保条約を結んだ同盟国です。日本に共産主義が蔓延すればアメリカにとっては不利になります。
それを防ぐために日本は共産主義を弾圧しなければなりません。公安警察がこの国策に従うのは当然です。
最後に当時も共産党員だった彼に公安警察に対する感想を聞きました。彼は残雪に輝く甲斐駒岳を見上げて、しばし沈黙していました。
そして言ったのです。「すべては時代が悪かったのです」と。
この彼ももう別荘にはいません。空き家になった別荘が白樺林のなかにポツリと建っているだけです。
上に書いた様子は共産党が政権を取れなかった日本の特殊な様子です。
しかし共産党が政権を取ったソ連、東欧諸国、中国、北朝鮮、ベトナム、カンボジア、ラオス、そしてキューバなどの中南米の国などでした。これらの国々では大きな悲劇が続いたのです。
カール・マルクスの主張した共産主義思想はキリスト教ヨーロッパ文化の鬼っ子でした。それは輝かしい西洋文化の陰です。悪魔のような思想だと言う人もいます。
しかし何故多くの国でその思想が風靡したのでしょうか?それは人類史の謎です。
そこで「日本の共産主義」と題する連載で日本における共産主義の功罪を少し考えて行きたいと思います。
誤解なさらないで下さい。私自身は共産主義思想は間違った考えで20世紀の人類に大きな不幸をもたらしたと考えています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「今日の日記、キリエとグロリアの簡単な説明」

2020年02月09日 | 日記
午前中はカトリック小金井教会のミサに行きました。
ミサではイエスさまの語った言葉、福音書の朗読を聞いて神父さまの説教があり、その後でパン片をイエスの体として頂いて終わります。毎回同じで十年一日のようです。
今日はミサの冒頭で歌うキリエとグロリアの簡単な説明をしたいと思います。

キリエは罪深い私を憐れんで下さいという祈りの文句を唄います。

先唱
主よ、あわれみたまえ。
会衆
主よ、あわれみたまえ。
先唱
キリスト、あわれみたまえ。
会衆
キリスト、あわれみたまえ。
先唱
主よ、あわれみたまえ。
会衆
主よ、あわれみたまえ。


グロリアは神の栄光を讃える祈りです。
つぎの歌詞を唄います。
「天のいと高きところには神に栄光。
地には善意の人に平和あれ。
われら主をほめ、主をたたえ、主をおがみ、主をあがめ、主の大いなる栄光のゆえに感謝したてまつる。
神なる主、天の王、全能の父なる神よ。
主なる御ひとり子、イエス・キリストよ。
神なる主、神の小羊、父のみ子よ。
世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ。
世の罪を除きたもう主よ、われらの願いを聞き入れたまえ。
父の右に座したもう主よ、われらをあわれみたまえ。
主のみ 聖なり、主のみ 王なり、
主のみ いと高し、イエス・キリストよ。
聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに。
アーメン。」

上記のキリエとグロリアはミサ用の短いものですが神の助けを求めるキリエと神の栄光を讃えるグロリアは昔からいろいろな歌詞がありました。
現在の市販のレコードの歌唱にも、キリエとグロリアは取り入れられて数々のヒット曲があります。
キリエとグロリアは西洋人の心にある基底低音です。日本人にはあまり見えない西洋の魂なのです。

それはそれとして今日の聖書朗読は小松史彦さんがしました。Face Bookによく興味深い記事を掲載されている方です。知っている方が出席しているとミサも楽しくなります。
写真は今日のカトリック小金井教会の風景です。





「キリスト教の根本は『愛』、他人の信仰を知る方法」

2020年02月09日 | 日記
キリスト教の根本は、『愛』です。
愛という言葉は多くの女性が好きです。この言葉は文明開化の折に、Loveという言葉が輸入され、愛と翻訳され広がりました。
昔の日本では、愛する人を「好きな人」や「いとしい人」『恋しい人」と言いました。愛というとなにか胡散臭く、嘘っぽい感じが否めません。しかし、キリスト教の根本は愛とよく言われます。何か胡散臭い感じがします。
この言葉につまずいてキリスト教を避ける人が多いと思います。少なくとも以前の私がそうでした。「愛」なんてバタ臭くて口に合いませんでした。
しかし「愛」を「好き」と置き換えると全てが自然に納得できます。
天におられる神様は地上にいる全ての人間が好きなのです。本物の神父様は近づいて来る全ての人々が大好きなのです。宗派も洗礼にも関係なく大好きなのです。ですから私はそのような神父様が大好きです。その上にいるローマ法王も、その上にいる神様も大好きです。これがカトリックの信仰というものです。
自分の通っている教会の神父様は時々変わります。しかし私は全ての神父さまが好きです。
神父様は人々を分け隔てなく大好きな様子です。本物の神父様は洗礼の有無に関係なく全ての人々に優しく、親切です。
洗礼を受けてない人々を差別する神父さんが居たら、それは本物ではありません。
信者は神父様の知識の広さは問題にしません。神父様が初対面の人をどれだけ大切にしているかを注意深く見ています。初対面の人をどれだけ好きになっているかを見ています。それだけが信仰の深さの尺度なのです。
この原則は全ての他人の信仰の深さを評価するためにも使われます。他人の信仰の深さを判定する方法なのです。
皆様は、マザーテレサがインドの都会の街路で孤独に死にそうな人々を屋内へ運びこんで優しく看取ってあげていたことをご存じと思います。その崇高な働きはヒンズー教徒からも支援されて来ました。ノーベル平和賞も受賞しました。
マザーテレサはインドの貧民をも大好きなのです。好きでなければ出来ないことです。

いきなりお釈迦様の話に飛んで済みませんが、仏教の根本も「慈悲の心」です。欧米の言葉で言えば「愛」に対応します。お釈迦さまは一切の衆生が大好きだったのです。大好きだったので救ってくれたのです。ですから人々がお釈迦様が大好きなのです。
もう少し分かりやすい一例をあげます。弘法大師は全国をめぐり歩き、井戸を掘ったり、農耕の為に溜め池を作ったり、温泉を見つけたりしました。全ての人々が大好きなので助けようとしたのです。大師様の「慈悲の心」を我々は忘れません。
ですから宗教の根本は全ての人々がお互いに大好きになることなのです。少なくとも私はそのようにしたいと思います。出来る出来ないは別にして。

今日の挿し絵代わりの写真は昨日、薬用植物園で撮ってきた福寿草と水仙と温室の中のブーゲンビリアの花です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)





「今日の日記、歯医者に行き、薬草植物園の花を見る」

2020年02月08日 | 日記
朝は「散歩の趣味とドイツ人の誇りのシュパチーレンの趣味」という記事を書きました。
昔ドイツに住んでいたとき驚きの光景を見ました。ドイツ人は襟の小さい背広にネクタイを締めた姿で森の中を真面目な顔をして歩くのです。これをドイツ語でシュパチーレンと言ってドイツ人が誇りに思っている趣味なのです。郊外の森や葡萄畑の中にシュパチーレン専用の道が続いています。正装した男たちや夫婦が無言で歩くので静かです。

10時過ぎに家を出て歯医者に行きました。上の歯の入歯が壊れたのでもう一度、型を取り、作り直しています。あと3度ほど歯医者さんへ通うことになりそうです。
午後は立川の園芸店で買い物をして花々の写真を撮らせて貰いました。
そこから足を伸ばして小平市にある都立薬草植物園の花を見に行きました。
薬草植物園は明るく陽が射して光の春でしたが、花はまだ少ししか咲いていませんでした。
立川の園芸店で撮った写真をお送り致します。





「今日の日記、歯医者に行って、小平墓地の写真を撮りに行く」

2020年02月07日 | 日記
朝に「何故、外国人が日本を好きになるのか?」という記事を書きました。
今日は何故日本の評判が良いかの理由を虚心坦懐、客観的に考えてみました。
その結果、次の5つの理由によって日本の評判が良いと考えました。
(1)いろいろな差別が消え、完全に平等な国
(2)幼少時から好きだったアニメ番組を作った国
(3)人々が親切で何処へ行っても安全な国
(4)清潔で世界一豊かな食生活が楽しめる国
(5)75年間、平和が続いた平穏で風光明媚な四季のある国

記事を書いた後、家内と私は別々の歯医者さんへ行きました。
歯医者さんでは少し辛い思いをしました。
午後に家内と一緒に小平墓地の写真を撮りに行きました。静かに散策していたら薄紅色の梅の木を家内が見つけました。走って行って写真を撮ろうとしましたら、宮本百合子という文字が見えて驚いたそうです。簡素な美しいお墓でした。
宮本 百合子は有名な小説家で『伸子』1928年、『播州平野』1947年、『風知草』1947年などの傑作を出版しました。1899年生れで1951年に51歳で亡くなりました。
共産主義者で、宮本顕治の妻でした。
宮本 百合子の墓を偶然見つけたので昭和の時代のいろいろな出来事を想い出しました。
小平墓地の写真を撮ったあとで何時ものヤオコースーパーに寄り食料品を少し買いました。
墓地の写真をお送りします。

1番目と2番目の写真は小平墓地の風景です。



3番目の写真は宮本 百合子の墓です。分骨して他の二カ所にも墓があります。

4番目の写真は都立小平墓地にある児童養護施設で幼くして此の世を去った子供たちの慰霊碑です。昭和26年3月に東京都が建てたと書いてある石碑も傍に立っています。

5番目の写真は都立多摩墓地にある都内の無縁仏の合葬墓です。都立の「養育院」で亡くなった身寄りの無い人の墓です。養育院は窮民救済を目的とした施設で、江戸時代の基金である七分積金を引き継いだ東京都の組織です。

何故、外国人が日本を好きになるのか?

2020年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム
世界にはいろいろな国々があります。人もいろいろです。日本という国が好きな人、嫌いな人、日本に関心が無い人。いろいろですね。
しかし最近テレビを見ていると外国から来た観光客にインタビューして日本の感想を聞く番組が多いことに気がつきました。そのような番組では彼等は日本を褒めているのです。絶賛している人もいます。
戦前生れ、戦後育ちの高齢者の私にとっては信じられない褒め方です。絶賛ぶりです。
私は戦前、戦後の食糧難を体験し戦災で焼き尽きされた街々の光景が脳裏に焼き付いています。到底、日本がそんなに良い国だとは思えません。人々の気持もすさんでいました。
しかし私は最近考えが変わりました。時代が変わったのです。その時代の変化に老人がついて行けなかっただけだったのです。
自分の頑迷さに愕然としました。
そこで今日は何故日本の評判が良いかの理由を虚心坦懐、客観的に考えてみました。

その結果、次の5つの理由によって日本の評判が良いと考えました。
(1)いろいろな差別が消え、完全に平等な国
(2)幼少時から好きだったアニメ番組を作った国
(3)人々が親切で何処へ行っても安全な国
(4)清潔で世界一豊かな食生活が楽しめる国
(5)75年間、平和が続いた平穏で風光明媚な四季のある国

さて上の5つの理由を日本といろいろな外国と比較しながら考えてみましょう。
外人観光客の6割、7割は台湾、中国、韓国などの東アジアから来ます。欧米人は遠方なのでアジア人よりも少なくなります。
従って上の5項目の評価は自国の台湾、中国、韓国、フィリピン、インドネシア、シンガポール、マレーシアなどの国と日本を無意識的に比較して評価しています。すなわち無意識のうちに比較文化人類学的な視点で考えているのです。
共産党独裁の中国の社会と日本を比較して中国人観光客はインタビューに答えているのです。
台湾や韓国の民主国も同様に自国の社会と日本を無意識的に比較し、評価しているのです。
このようないろいろな国の社会問題をここで取り上げることは止めます。

それよりも外国人観光客の評判が良い一番本質的な理由は何でしょうか?
それは、「(1)差別が消え、完全に平等な国」だと私は思います。もう少し詳しく説明します。
昔はアジアからの観光客は欧米人より大切にされなかったのです。昔は外人と言えば欧米人を意味していました。
しかし現在は日本人の差別感が無くなったので、外人と言えば、欧米人、中国人、韓国人、インドネシア人、全てを意味するようになったのです。
アジアから来る観光客はこのことに敏感です。かつて欧米の植民地だっただけに一層敏感です。
テレビのインタビューではこのような深層の大切な理由は言えません。人が親切だったと差しさわりの無い表現で答えます。
このように日本から差別が消え、個人が平等になったのは一朝一夕でなったのではありません。
それには敗戦後の苦しみに満ちた歴史があったのです。

敗戦の後でマッカーサーが乗り込んできて、「日本を民主化し、アメリカのように自由で平等な社会にする」と言って、大きな改革を命じたのです。
日本政府は唯々諾々と命令に従い民主化のための種々の制度改革をしました。そして学校では民主化教育をします。個人の自由と平等の重要性を強く教えました。私も先生方が何度も自由と平等が大切だと言っていたことを忘れていません。女性の権利も確立されました。
しかしそれが本当に分かり身に着くのに「戦後75年」もかかったと言えば嘘になるでしょうか。
江戸時代から続く封建制度が身に沁みていた人々は、生まれた家の格式や自分の身分を無意識のうちに考えていたのです。
その上、明治維新以後の軍隊の強化で軍隊内の階級制度が世の中全体に深い影響を与えていたのです。

放浪画家で有名な山下清さんは戦後ずいぶんたってからも全ての人を、「兵隊の位でいうとどの位の人」と言っていました。
そして民間会社の中でも重役は将官、部長は佐官、課長は尉官、平社員は兵隊のような処遇を受けていたのです。要するに社会のいろいろな組織の中では役職や階級による差別が当然として受け入れらていたのです。少なくとも経済の高度成長期までは。
組織の中で働いていた人々は上役の理不尽な職務命令で、時々、悲しい思いをしたのです。
このような精神的風土の社会では学歴差別、職業差別、男女差別、そして身体障害者への差別は当然のようにあったのです。
私自身も間違いなくいろいろな差別をしていました。恥ずかしい限りですがそんな時代だったのです。
このいろいろな差別が消えたのは経済の高度成長期の終り頃から、それに続くバブル経済の崩壊の時代と考えられます。
それまでは大会社が多くの子会社を隷属し、独裁的に振舞っていたのです。その経済界の差別体制が一挙に崩壊したのです。子会社は親会社から独立し自由になったのです。平等になったのです。もう子会社だからといって差別されなくなったのです。

そしてその頃、アメリカから「差別用語廃絶の思想」が日本へ上陸して来たのです。
この頃から日本の社会からいろいろな差別が急速に消えて行ったのです。
人々は差別が消えると幸せな気分になることに気がついたのです。
差別されない社会。差別しない自分。これこそが本当の幸福だと日本人が信じるようになったのです。
ですから観光客が何処の国から来たかによって日本人は差別しません。何処の国から来ても平等に接したのです。
外国からの観光客が日本に来て居心良く、楽しく日本の各地へ旅が出来るのは差別されないで大切にされるからです。平等に愛されるからです。この理由が一番重要な理由ではないでしょうか?

上に二番目の理由として、「(2)幼少時から好きだったアニメ番組を作った国」を書きました。このことに高齢者は違和感を感じるでしょう。しかし日本のアニメ番組は世界中の国々のテレビで放映されているのです。世界の子供達の人気番組なのです。上の二番目の理由は当然なのです。
皆様は世界の国々の人が「良い国だ」と言う日本に住んでいるのです。その一方、他国を褒める人は幸せな人です。尊敬すべき人です。もっと多くの観光客が外国から来るように願っております。

今日の挿し絵代わりお写真は近所の園芸店で撮った花の写真です。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)










「今日の日記、郵便局に行き、高幡不動の写真を撮りに行く」

2020年02月06日 | 日記
朝に「トランプ大統領の政策の特徴の早分かり 」という記事を書きました。
午前中は時間ガ余ったので郵便局ヘ行ってカトリック小金井教会の維持費を6ケ月分を送金しました。カトリックでは信者が払う維持費(会費)の金額はまったく自由で誰も何も言いません。
そこが私がカトリックの良い点だと思っています。
郵便局からの帰りにスーパーとガソリンスタンドに寄りました。
午前中は忙しかったです。
午後は高幡不動の写真を撮りに行きました。
写真は高幡不動の五重塔です。

トランプ大統領の政策の特徴の早分かり

2020年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム
毎日、美味しいものを食べ家族が仲良く暮らしていればそれで良い。政治のことなど関心が無い。このような考えで幸せに暮らすのも良いものです。
しかし民主主義を守り日本をより良い国にするには常に政治のことを考え自分の投票へ反映させるべきです。世界の政治にも関心を持たねばならない。私はそのように学校で教わりました。

そこで今日はトランプ大統領の政策の特徴を簡単に理解するために昨日の一般教書を要約したいと思います。
内容はいろいろ多岐にわたっていますが、今日は3つの特徴だけを取り上げたいと存じます。
その前に彼が全体的に強調した「偉大なアメリカの再起」という根幹部分をご紹介します。
トランプ大統領は「3年前、偉大なアメリカの再起に向けた政策を立ち上げた。雇用と所得は増え、貧困と犯罪は減っている。自信がわいている。私たちの国は繁栄し、再び尊敬されるようになった。・・・われわれの国が他国からいいように使われ、軽蔑される日々は、過去のものとなった。・・・この国の富や権力、名声が喪失していることへの言い訳も過去のものとなった。われわれはたった3年間でアメリカの衰退を打ち砕き、少し前には想像できなかった速度で前進している。・・・以下省略」

つまりトランプ大統領はたった3年間でアメリカを再び世界一の偉大な国家にし、他国から尊敬される国家にしたと主張しているのです。
前大統領のオバマさんはアメリカは世界一の偉大な国家だとは言いませんでした。
これがトランプ大統領の全てです。
しかし具体的な施策はどうなるのでしょうか?
以下に3つの分野だけを取り上げてみます。

(1)アメリカは火星にアメリカ人を送る
今回の一般教書ではトランプ大統領は月へ男女のアメリカ人を送ると言いました。そしてアメリカ人は火星に立つ最初の人類になるだろうと言いました。
これは1962年のケネディ大統領の月へアメリカ人を送ると言明した有名な演説に似ています。私はそれを思い出しました。アメリカ人もケネディ大統領の演説に感動したことを思い出したに違いありません。
しかしトランプ大統領の言い方は決意に欠けています。単に大衆の受けを狙ったようで軽率な発言のように見えます。

(2)記録的な軍備拡大

トランプ大統領は「アメリカの自由を守るために、私たちは米軍に2.2兆ドルという記録的な投資をして、最高の航空機やミサイルなどあらゆる軍事装備を購入した。これらはすべてアメリカ製だ」と主張しました。
トランプ大統領が記録的な軍備拡大をしたのは事実でしょう。
また「同盟国に公平な分担を支払わせ、NATOのメンバーから4000億ドル以上の貢献を引き出して、最低限の義務を果たす同盟国は倍以上になった」と主張しました。
その上、米国は潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)に比較的小型の核弾頭を配備したのです。
これは米国の防衛姿勢の重大な変化を示すもので、この動きにより、核戦争の危機が高まるとの懸念が強まっています。
さらに「宇宙軍という新たな組織を創設した」と述べて、成果として強調しました。
ようするにトランプ大統領はアメリカの軍備を拡大する政策をとっているのです。

(3)不法移民排除の政策
トランプ大統領の言い方です。
「不法移民が無料で医療サービスを無制限に受けられることが公平なことだというのであれば極左の側につけばいい。しかし、アメリカの患者や高齢者を守るべきだと思うのであれば、不法移民のための無料の医療サービスを禁止する法案を通すために私とともに闘おう」
「南部の国境沿いの壁の建設はすでに160キロ分以上が完成し、来年の早い時期までに全長800キロにおよぶ壁の建設が完成する」
「私が大統領になる以前は、アメリカに不法に入国しようとする外国人が拘束されても、すぐに釈放されていたが、もうこのようなことは許されない。今後は、ルールを守り、経済的に自立していて、この国の価値観を尊重する人々を受け入れるために、無秩序になってしまった古い移民法を改正する」

この考え方は最近EUを脱退したイギリスの移民に対する考え方と同じです。世界の国々が自由な移民を制限する方向に変わることに拍車をかける政策です。オバマ前大統領とは反対です。
要するにトランプ大統領の政策の特徴はアメリカだけが良くなる「アメリカ第一主義」なのです。この政策でアメリカを世界一の偉大な国家にしようとしています。
アメリカの大衆は支持するでしょう。その上対抗馬の候補を出す民主党がだらしないのです。
これではトランプ大統領の再選は確実です。
私自身は昔から民主党が好きでトランプ大統領の共和党は嫌いです。残念です。しかしこれがこの世の政治の風景として受け入れられています。

1番目の写真は下院で演説するトランプ大統領です。

2番目の写真は演説の直後、民主党のペロシ下院議長がトランプ大統領の後ろで演説の原稿を破り捨てる場面です。ペロシ下院議長がトランプ大統領に握手を断わられた腹いせに破り捨てたのです。両方とも大人気無い場面です。傍でペンス副大統領高が拍手をしています。

3番目の写真はトランプ大統領が陸軍の兵士を視察している場面です。

トランプ大統領の政策は日本にも甚大な影響を与えています。長くなるのでその問題は別稿で取り上げます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「今日の日記、多摩の横山の美しい雑木林を眺めに行く」

2020年02月05日 | 日記
午前中は、「人々の心を 静かにさせる水力発電所のある風景」という記事を書きました。そうして岡鹿之助の油彩画の「雪の発電所」を紹介し、続けてつぎの5つの水力発電所の写真を紹介しました。
山梨県にある八つ沢水力発電所
福島県の磐梯熱海にある発電所
愛知県の揖斐川にあるイビデン東横山水力発電
山梨県企業局所有の柚ノ木水力発電所
高知県にある四国電力、伊尾木川水力発電所
水力発電所のある風景は人の心を静かにします。人の心を豊かにします。幸せな気分にします。
今日は皆様も幸せな気分になるようにと祈りつつ水力発電所のある風景の写真をお送りいたしました。

午後は多摩の横山の美しい雑木林を眺めに行きました。
多摩の横山とは府中市の多摩川から西方向に走る小高い尾根です。府中市、稲城市、多摩市、八王子市、町田市を東西に横断している尾根です。
尾根の上に多摩横山幹線道路という景色の良い道があります。
今日は町田市の小山田まで行って美しい雑木林の風景を飽かずに眺め、浩然の気をやしなって来ました。
その美しい雑木林の写真をお送りいたします。









人々の心を 静かにさせる水力発電所のある風景

2020年02月05日 | 日記・エッセイ・コラム
自然の美しい風景を無心に眺めていると幸せになります。自分の身体もその静かな自然に溶け込んでしまいます。無我の境地になります。
その自然の風景に水田や茅葺の農家などが見えると自然の美しさが一層強く感じられます。遠くに水車が音も無く回っています。
私はそんな風景を時々想像しては楽しい気分になります。
水車小屋の中では穀類を粉に挽く石臼がゆっくり回っています。
この想像から私は自然の風景に溶け込んだような水力発電所のある風景を連想します。緑の山にある白い導管を水が流れ下り水車を回して電気を作っているのです。人間の美しい智慧を感じさせます。
水力発電は煙も出さずただ静かに発電のための水車が回っているだけです。それは自然のいとなみです。
水力発電所のある風景は人の心を静かにします。人の心を豊かにします。幸せな気分にします。

今日は皆様も幸せな気分になるようにと祈りつつ水力発電所のある風景の写真をお送りいたします。

1番目の写真は岡鹿之助の「雪の発電所」です。出典は:http://www.us-vocal-school.com/weblog/music_life/archives/images/2012/01/120108_snow.jpg です。
画家も同じように水力発電所にロマンを感じるらしく、その風景を描いています。

2番目の写真は山梨県にある八つ沢水力発電所の水の導管です。ここには何度も行き飽かずに風景を眺めました。この写真はそんな折に自分が撮ったものです。この導管の下に立派な建物があり発電機が4基入っています。はるばるフランスから運んで来た発電機です。発電に使う水は富士山の山中湖から流れ下る桂川の水です。

3番目の写真は福島県の磐梯熱海にある発電所の写真です。
この写真の出典は、http://blog.goo.ne.jp/i_haruo/e/70b0386d0dabe9e4217685ec7a8660b7 です。
猪苗代湖の水を通し発電しています。大正10年に建設され、当時は大峰発電所と呼ばれていました。

4番目の写真は愛知県の揖斐川にあるイビデン東横山水力発電所です。
写真の出典は、http://www.ibiden.co.jp/company/facility/higashiyokoyama.html です。

5番目の写真は山梨県企業局所有の柚ノ木水力発電所です。
出典は、ttp://www.suiryoku.com/gallery/yamanasi/yunoki/yunoki.html です。

6番目の写真は高知県にある四国電力、伊尾木川水力発電所です。
出典は、http://www.suiryoku.com/gallery/kouchi/iokigawa/iokigawa.html です。

日本は山紫水明で美しい風景に恵まれています。山々に多量の雨が降るのです。ですから全国に2000ケ所近くの水力発電所がありります。
日本全国の水力発電所のことをもう少し詳し知りたい方々のために、その一覧表や発電の方式などを末尾に掲載しました.ご興味のある方はご覧下さい。

今日は人々の心を 静かにさせる水力発電所のある風景写真をお送りいたしました。
皆様の心が豊かになり、幸せな気分になれば嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
==========参考資料=================
水力発電所の総数といろいろなランキング
さて総数はエレクトリカル・ジャパンのHP(http://agora.ex.nii.ac.jp/earthquake/201103-eastjapan/energy/electrical-japan/type/4.html.ja)に1973カ所まで明記してあります。
しかしこの1973ケ所の発電所には昭和電工や揖斐川電工のような民間会社の所有する水力発電所は含まれていません。ですからそれらを含めると2000近くなると思えます。
戦前からカーバイト製造や溶融アルミ電解製錬や高温合成化学などの製造をしていた民間会社は自分で水力発電所を持っていたのです。現在でも多くの民間会社が水力発電所を所有していると思われますので1973カ所より数百ケ所多いと考えるのが適切と思います。
さてそれはそれとして、水力発電所には水路式発電所とダム発電があります。
発電所の最大出力のランキングは以下のようになります。
最大出力の左は完成当時のもので、右のは現在の最大出力です。右の数字の出典は、http://agora.ex.nii.ac.jp/earthquake/201103-eastjapan/energy/electrical-japan/type/4.html.jaです。
1位、田子倉           38万Kw   40万Kw
2位、奥只見           36万Kw   56万Kw
3位、佐久間           35万Kw   40万Kw
4位、黒4             33万Kw   33万Kw
5位、有峰第一(成願寺川)  26万Kw   26万Kw
上の5つはダム式です。
上の最大出力の40万Kwや50万Kwという値は普通一個の火力発電所の出力が120万Kwという値に比べるとかなり小さな値です。
水力発電が日本の全電力の10%以下しか発電していないのはこの小さな最大出力能力のせいなのです。

さて最大出力が大きい発電所でも水がすぐに枯渇するようなところは頼りになりません。
そこで各発電所の年間総発電量のランキングを見る必要があります。
1位、佐久間    年間発電量:143万MWh
2位、信濃川    年間発電量:119万MWh
3位、黒4      年間発電量:93万MWh
4位、新小千谷   年間発電量:85万MWh
5位、千手      年間発電量:72万MWh
・・・・・・
9位、奥只見     年間発電量:61万MWh
10位、田子倉    年間発電量:59万MKh
上のランキングを見るとJR東日本の所有する新小千谷発電所や千手発電所が良い発電効率を上げていることに驚きます。
ダム式水力発電所には上でご紹介した水力発電所の他に揚水式水力発電所が沢山あるのです。

電力の要らない夜間に火力発電が余るのでその電力でダムの下から上へ水を上げて置くのです。そして夏場の昼間の電力不足が起きそうな時にドッと上の水を流し、大電力を得るのです。
ダムの上流からの水の補給が無い場合には、夜間に使う電力より昼間の発電量が少なくなります。上流からの水の供給が無ければ揚水式水力発電所は正味の発電量がマイナスになります。ですから揚水式発電所は厳密な意味で発電所ではありません。
しかし巨大な蓄電池の役割をするので電力危機を救う重要な役目があるのです。その最大出力ランキングは以下のようになります。
1位、奥多々良木        193万Kw
2位、奥清津第二        160万Kw
3位、奥美濃           150万Kw
4位、新高瀬川          128万Kw
5位、大河内            120万Kw
以下省略、詳しくは、http://www.enecho.meti.go.jp/hydraulic/kid/learning/top.htmlにあります。

「今年も灰の水曜日、四旬節、復活祭、そして櫻も咲きます」

2020年02月04日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は節分で今日は立春です。春が少し近づきました。この季節になると南米ではカーニバルに出場する山車の準備が忙しくなります。いろいろなチームが華やかな山車を作りパレードに参加して競い合うのです。青森の「ねぶた祭り」と同じような運営です。
その賑やかな南米のカーニバルは「灰の水曜日」の前日にピタリと止め、静かな節制の四旬節が始まります。
今年の灰の水曜日は2月26日の水曜日で復活祭は4月12日の日曜日です。
それでは南米ではカーニバルの写真をお楽しみ下さい。
特に1番はじめの写真は遥々日本から参加した五所川原市が寄贈した、高さ15mの「たちねぷた」です。
2015年2月14日にサンパウロで行われたサンバカーニバルに出場しました。
この写真の出典は、http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG14H3G_U5A210C1CR8000/ です。
この「たちねぷた」は、40フィートコンテナ15台に分割された状態で1ヶ月半かけて船で運ばれ、1月にブラジルに到着した時から、現地で大きな話題となっていたそうです。サンバカーニバルに他国の祭事がそのまま持ち込まれるのは異例です。山車の一つとしてねぷたが登場した際には、大きな歓声とともに迎えられたと言います。





南米のカーニバルが新聞やテレビに出てくるようになると、ああ 春が近づいたと感じます。
そしてそれが終ると「灰の水曜日」があり四旬節が続いて、最後に復活祭がきます。
それは春先の季節の変化を示す歳時記のようなものです。
西洋の祝祭日のクリスマスやカーニバルや復活祭も日本の俳句の季語になっていることは面白いと思います。

さて今日はカーニバル、灰の水曜日、四旬節、復活祭の意味とお互いの関係を簡単にご説明したいと思います。
カーニバルでは山車の飾りつけを競います。そして女性の踊りも山車を引き立てます。毎年、四旬節の前に行われるお祭りです。
南米でのお祭りさわぎはヨーロッパではしません。南ヨーロッパでは仮装を中心にした宴を開きます。謝肉祭の宴です。
ドイツなどの北ヨーロッパではカーニバルのお祭り騒ぎを一切しません。
ところがサンバ踊りは日本各地の「サンバ祭り」として夏祭りの一つとして導入されています。日本のサンバ祭りは四旬節に関係なく夏に行われますので宗教行事ではありません。そしてこれも夏の歳時記になっています。

さてそれはそれとして、これらの宗教的な行事の意味を簡略に説明しておきます。
イエス・キリストは、ローマ提督、ピラトによって十字架刑にされました。2000年程前の出来事です。しかし3日後に復活して生き返りました。そして弟子達と会い、話をして、天国へ登り、神の右の座に着きました。
このイエス様の復活を祝うのが復活祭です。春先の大きなお祭りです。今年は4月12日(日曜日)です。
その前の40日間が四旬節として歌舞音楽を控え、断食や節食をしてイエス様の処刑を悼みます。
カトリック圏では騒がしい音楽やお笑いがテレビやラジオから消えます。静かな番組になります。禁欲的な生活を送る40日間なのです。
その四旬節の始めの日が、「灰の水曜日」です。灰の水曜日とはその日に神父さまが信者一人、一人の頭に灰をつけてくれるのです。この世の全てのものは土から生まれ、土へ還るということを忘れないように信者の頭に灰をつけるのです。今年は2月26日の水曜日です。
そしてこの日から禁欲の40日(四旬節)が始まります。
この禁欲的な40日間の前に大いに肉を食べ、ワインを飲み、馬鹿騒ぎをして断食や節食の期間へ突入する準備をします。それがカーニバル、あるいは謝肉祭と呼ばれるお祭りなのです。
ですからこの飽食や馬鹿騒ぎは「灰の水曜日」の前日にピタリと止めます。大規模な南米のカーニバルも2月25日(火)に終わり、世の中は水を打ったように静謐になります。
この謝肉祭が行われるのはカトリックの国々です。特にスペインやポルトガルの植民地だった南米では大きなお祭りとして毎年行われます。
しかし、イエス様は飽食や、欲望のままに酒を飲むのを喜ぶでしょうか?「汝、肉慾に生きるな」と教えました。ですから馬鹿騒ぎのカーニバルはキリスト教とは関係の無いお祭りだと私個人は理解しています。

「灰の水曜日」はカトリックの重要な儀式で、今年は2月26日で、この日から復活祭の四旬節が始まります。
なお復活祭の日付は毎年変わります。「春分の日の後の最初の満月から数えて最初の日曜日が復活祭」と定められているからです。これは、紀元325年に開かれたニカイア公会議という世界教会会議で定められました。その年によっては最大一ヶ月ほど、つまり月の周期プラス数日のずれが生じるのです。年ごとの日付は、http://www.calvin.org/misato/easter/easter04.htm をご覧下さい。
このような歴史的事情と関係の無いのが日本の夏の「サンバ祭り」です。
しかし日本に定着しているクリスマスと同じようにサンバ祭りも良いものです。とにかくどんな祭りでも楽しいものです。
戦争よりは祭りが絶対に良いのです。今年も南米のカーニバルの映像がテレビに流れるのを楽しみにしております。
日本のお祭りの雛祭りも来て、やがて白いモクレンも咲き桜が咲き誇る春がやって来るのです。
この季節は希望に満ちた季節です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「今日の日記、確定申告、梅の写真、恵方巻、節分」

2020年02月03日 | 日記
今日は忙しい一日です。
午前中に「少年の頃の思い出、消えてしまった沼と亜炭の煙」という記事を書きました。昭和11年生れの私は戦前、戦後に仙台市で少年時代を過ごしました。昔、釣りをしていた三つの沼と燃料にしていた亜炭という不思議な燃料が跡形も無く消えてしまったという話です。これは小さな出来事ですが私にとっては大きなショックでした。老人の昔話です。
午前にまだ時間があったので確定申告の書類を作りました。税金の納入不足分は6300円と出ました。それをビザカードで送金するのに手間取って苦労しました。昼食をはさんで午後2時までかかりました。
それから海岸禅寺の梅の花の写真を撮りに行きました。1月30日の清瀬市で撮った紅梅の写真と組み合わせてここに掲載します。
海岸禅寺の帰りにスーパーに寄り食料品を少し買いました。
今日の夜ご飯は恵方巻です。隣に住んでいる孫一家の分も作るので家内が朝から忙しく働いています。
夕方に節分の豆撒きをします。あれやこれやで忙しい一日です。
紅梅と白梅の写真をお送りいたします。