後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「カトリック小金井教会のミサにあずかりました」

2020年11月15日 | 日記・エッセイ・コラム
カトリック小金井教会での年間第33主日のミサに出ました。
今日の司式はイエズス会の竹内修一神父がなさいました。
竹内神父の説教はいつも知的で、しかも分かり易いのです。
昔、竹内修一神父が広島のイエズス会の修道院にいた頃、あるイタリア人の神父に指導を受けていたそうです。松江や米子などに教会を作った神父だったそうです。
そのイタリア人の神父は年老いるに従って、美しく透明になって行ったそうです。そしてその神父の向こうにイエス様がはっきり見えたそうです。神も見えました。竹内神父も自我を無くし透明になりたいそうです。
私はかねがね、良い神父は信者をイエス様に会わせてくれると思っていました。信者にイエスや神の愛を実感させてくれる神父が良い神父なのです。
その為には神父は我欲を徹底的に捨て去り、透明な水のようにならなければならないのです。信者はその美しい透明性の向こうにイエス様を見るのです。神を見るのです。するとイエス様の愛が実感できるのです。神の愛が実感出来るのです。
写真の祭壇中央が竹内神父さまです。

「今年も小金井公園の皇帝ダリアが咲きました」

2020年11月14日 | 写真
今年も南米原産の皇帝ダリアが咲きました
毎年、11月の中旬になると小金井公園の皇帝ダリアが咲きます。丈が3mから4mの高い茎の上に掌より大きな花が咲きます。いかにも南米の大草原に咲いているような雰囲気があります。そして気品もあります。大勢の家族連れの人たちが秋の日を楽しんでいます。
今日の午後の写真です。かたわらのケヤキとユリノキの黄葉も撮りました。お楽しみ下さい。









「昭和時代を考える(2)GHQによる日本の根本的な改革」

2020年11月14日 | 日記・エッセイ・コラム
昭和時代の一番大きな出来事は太平洋戦争で日本が徹底的に負け、全国がアメリカに占領されたことです。それは日本の歴史開闢以来の大事件でした。アメリカの連合国は東京にマッカーサー指揮による総司令部(GHQ)を設置して日本の根本的な改革を実行したのです。
改革の柱は1945年10月に発表された「五大改革政策」でした。
まずGHQは1945年10月4日に治安維持法の廃止、政治犯釈放、天皇批判の自由などを内容とする自由制限撤廃指令を東久邇宮稔彦内閣につきつけます。しかし東久邇宮内閣は実行不能として総辞職してしまったのです。
そこでGHQは10月11日に次の幣原喜重郎首相に「五大改革政策」の推進を命令したのです。
この日,GHQはポツダム宣言に基づき日本国民は今後「思想の自由,言論の自由及び宗教の自由を抑圧するあらゆる統制から解放されねばならない。」という見解を表明したのです。

GHQが命令した五大改革の内容は次の5つでした。
①婦人への選挙権賦与による日本婦人の解放。
②労働者を搾取と酷使より保護するため労働組合の結成を推進する。
③旧学校制度によるエリート教育を一切廃止し、新教育制度で教育の大衆化と自由化をする。
④特高や秘密検察など国民を恐怖に曝す諸制度の撤廃と司法の民主化。
⑤農地改革による小作農の解放と財閥解体による経済の民主化。
この指令は戦後改革の出発点となり、これに従って日本の非軍事化と民主化の政策が急速に実行されていったのです。
以上5つの改革を現在もう一度見てみると戦前の日本には自由と民主主義が無く実に暗い社会だっと思いだされます。
ここで旧学校制度の廃止と小作農の解放に関して私が直接体験したことを書きます。
終戦の時私は国民学校の3年生でした。しばらくして天皇陛下と皇后陛下の写真への敬礼が廃止になりました。教育勅語を祀って保管している奉安殿が取り壊されました。教科書の軍事教育的な文章が多数墨で黒々と消されてました。国民学校の看板が小学校に変わりました。
小学校を卒業して出来たばかりの新制中学へ入学しました。制度が出来ましたが校舎がありません。隣町の大きな小学校の空いた教室に間借りしました。机も椅子も無くミカン箱を机にして板の床に座って授業を受けました。
1年後に新校舎が完成し引っ越した時は本当に嬉しかったものです。
さて次に小作農に関して直接見たことを書きます。家内の祖父は地主でした。あれは1960年代で戦後から15年も経っている頃でした。昔の小作農の人が作った野菜を持って家内の祖父のところへ農地を貰ったお礼に毎年来ます。何気無く見ていると昔の小作農の人が庭に跪いているのです。昔の地主は縁側の上に座って昔の小作農の人を見下ろしているのです。こんな光景を何度か見ました。私は地主と小作の身分の違いに衝撃をうけました。同時に優しかった地主を慕う小作の人の心の美しさに感銘を受けました。
このようにGHQが命令した五大改革は個人の生活へも直接影響を与えたのです。
それにしてもマッカ-サーは明治維新以来の日本の富国強兵政策を徹底的に壊滅したものです。

写真は以上のGHQが命令した五大改革に関連したものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


1番目の写真は1945年(昭和20年)9月27日の昭和天皇とダグラス・マッカーサーの会見の時の写真です。

2番目の写真は1945年(昭和20年)9月2日の降伏文書に正式に調印した時の写真です。
日本政府代表は東京湾の横須賀沖に浮かぶ戦艦ミズーリの船上で、イギリス、オーストラリア、アメリカ、オランダ、中華民国、ソ連ら連合国との間で降伏文書に正式に調印したのです。

3番目の写真は戦後日本に権力をふるったGHQが入った第一生命相互ビルです。昭和26年、東京の日比谷で撮ったものです。

「奈良の長谷寺、春日大社、奈良公園などの紅葉」

2020年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は京都の一休寺、南禅寺、東福寺、金戒光明寺の紅葉の写真をご紹介しました。今日はいにしえの都、奈良の紅葉をご紹介いたします。京都の紅葉は人間が作った紅葉ですが奈良の紅葉は優しい自然の紅葉のように見えます。京都と奈良の文化の違いでしょうか。
長谷寺、春日大社、奈良公園、當麻寺、正暦寺の紅葉風景をお楽しみ下さい。

1番目の写真は奈良の長谷寺の紅葉です。長谷寺は奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山の寺です。寺伝によれば天武朝の朱鳥元年(686年)に僧の道明が初瀬山に三重塔を建立したのが開基と言われています。

2番目の写真は春日大社の紅葉です。春日大社は奈良県奈良市春日野町にある神社です。奈良時代の神護景雲2年(768年)に平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建されました。中臣氏と藤原氏の氏神を祀っています。全国に約1000社ある春日神社の総本社です。

3番目の写真は奈良公園の紅葉です。太政官布達により明治13年(1880年)2月14日開園しました。総面積は502ヘクタールですが周辺の興福寺、東大寺、春日大社、奈良国立博物館、なども含めると総面積はおよそ660ヘクタールになります。東西約4キロメートル、南北約2キロメートルです。通常はこの周辺社寺を含めたエリアを"奈良公園"と呼んでいます。

4番目の写真は當麻寺の紅葉です。當麻寺(たいまでら)は、奈良県葛城市にある寺です。宗派は真言宗と浄土宗の並立となっています。開基は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされ推古天皇20年(612年)に開基されたと言われています。

5番目の写真は正暦寺の紅葉です。正暦寺は奈良市菩提山町にある寺です。菩提山真言宗の大本山(単立)です。正暦3年(992年)に一条天皇の発願により、関白藤原兼家の子兼俊僧正が創建しました。往時には報恩院以下86坊の堂塔伽藍が建ち並ぶ大寺院でした。しかし治承4年(1180年)に平重衡による南都焼き討ちによって焼失してしまいました。現在の正暦寺は後の世に再建されたものです。
ここに示した5枚の写真の出典は、http://www.imamiya.jp/haruhanakyoko/nara/colored/narako.htm です。

それにしても日本人は紅葉が好きですね。庭や公園に秋になると美しく紅葉する樹々を熱心に植えます。欧米人も紅葉は好きですが自分の家の庭に植えることはありません。その代わり欧米の公園ではプラタナスやユリノキが紅葉して見事な景観を作ります。紅葉は人を感動させ心をなごませてくれます。秋は楽しみの多い季節です。
今日は奈良の長谷寺、春日大社、奈良公園、當麻寺、正暦寺の紅葉風景をご紹介しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「京都の一休寺、南禅寺、東福寺、金戒光明寺の紅葉の写真」

2020年11月11日 | 日記・エッセイ・コラム
京都には紅葉が美しいお寺が沢山あります。その紅葉の写真も沢山あって選ぶのが難しいのです。
感動したものは月刊「茶の間」編集部員の玉井雄大さんが厳選した写真家、水野克比古氏と息子の秀比古さんの作品です。
そこで今日はその京都の紅葉の写真をご紹介いたします。

1番目の写真は酬恩庵一休寺の紅葉です。このお寺は京田辺市という京都府南部にあるお茶処にひっそりと佇んでいます。あの「一休さん」で有名な一休禅師(ぜんじ)が晩年を過ごした地として知られる禅寺です。一休寺本堂の門から、写真手前に向かってのびているのが石畳の参道です。苔の緑と散り落ちた紅葉が美しいです。(写真/水野秀比古)

2番目の写真は嵯峨野の竹林です。近くには世界遺産の天龍寺などがあります。嵐山の渡月橋の北側に広がるのが嵯峨野と呼ばれ竹林が点在しています。(写真/水野克比古)

3番目の写真は南禅寺塔頭の天授庵の紅葉です。池泉回遊式庭園の紅葉です。1339 年に僧の虎関師錬が建立した天授庵です。近くの永観堂とともに紅葉の美しい所です。(写真/水野秀比古)

4番目の写真は東福寺塔頭の即宗院の紅葉です。薩摩藩島津家の菩提寺です。(写真/水野秀比古)

5番目の写真は金戒光明寺の塔頭の西雲院紅葉です。会津藩士のお墓がある寺院です。(写真/水野克比古)

京都のお寺の紅葉は仏教文化の建物と調和した美しい風景です。自然の山々の紅葉の風景とは違った美しさがあります。それも味わいの深いものです。

今日は京都の一休寺、南禅寺、東福寺、金戒光明寺などの紅葉の写真をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「八ヶ岳の紅葉、甲斐駒岳の紅葉をお楽しみ下さい」

2020年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム
山梨県の西の県境には八ヶ岳と甲斐駒岳が聳えています。その麓一帯は北杜市になっています。その北杜市の武川の山林を少しばかり買い小屋を建てたのは1974年でした。それ以来46年間その山林の中の小屋に通っています。若くて元気なころは八ヶ岳や甲斐駒岳に登ったり白樺湖でスケートやスキーを楽しみました。
老境になって小さな小屋に泊まにるのが辛くなってからは、八ヶ岳ロイヤルホテルやホテル・スパシオや清里の清泉寮に泊まるようになりました。
今日は懐かしい八ヶ岳の紅葉、甲斐駒岳の紅葉の写真をお送りいたします。
八ヶ岳の紅葉の写真の出典は、https://photokiti.exblog.jp/29810140/ で甲斐駒ヶ岳の紅葉の写真の出典は、https://www.travel.co.jp/guide/article/39898/ です。

1番目の写真は八ヶ岳の八千穂高原の白樺の群生地です。白樺林は黄から赤の紅葉で美しものです。

2番目の写真は八ヶ岳の山腹に立っていた白樺の大木です。実に堂々としています。

3番目の写真は山腹の白樺の黄葉 した樹林帯です。山の斜面には場所によっては葉が残っており紅葉の美しい樹林帯が見られます。

4番目の写真は八千穂レイクです。白樺の葉が落ちて白い幹が美しく見えます。左端には唐松の黄葉があります。
なお1番目から4番目の写真は2018年10月23日に撮影された写真です。

5番目の写真は甲斐駒岳の頂上付近の紅葉です。頂上付近は白い御影石で覆われています。その鋭い岩稜と紅葉とのコントラストが美しい風景になっています。

さて何故私は北杜市に小屋を作ったのでしょうか?その原因を書きます。
それは1973年の夏のことでした。ストックホルムへ私を招待してくれたエケトルプ先生が小屋を作ると人生が楽しくなると教えてくれたのです。そして私を海岸にある彼の小屋につれて行ってくれたのです。それは粗末な木造の小屋でした。
海に突き出た岬にある小屋の周囲には人家も無く荒涼とした岩山の上にポツンと建っています。はっきり言えば掘っ立て小屋です。潮風に吹き倒されそうに少し傾いています。
小屋に着くと先生夫妻は小屋の掃除や、周囲の雑草を取りをして忙しそうに働いています。私も手伝いました。
労働でお腹が空いたころ庭先のテーブルの上でランチです。周囲の海を眺めながらフライドチキンと生のキューリをかじるだけの食事でした。
北欧の暗い海は夏になると碧く輝くことを発見しました。大きなカモメが時々鳴きながら飛んで行きます。
エケトルプ先生はこの小屋に来てボンヤリ海を眺めたり小屋が倒れないように修理をするのが趣味だと言います。何も無い自然の中で時を過ごすだけで楽しいのですと言います。もう何年もこの小屋に通っているそうです。
夏だけでなく厳寒の冬にも来るそうです。昼前に着いて薪ストーブを焚いて昼食を食べ、そして夕方帰るのです。
帰りの車の中で、私はこの自然の中の小屋に通うエケトルプ先生の趣味を日本で始めることを決心したのです。
海ではなく山林の中に粗末な小屋を建てる決心をしたのです。そして1974年の晩秋に山梨県の甲斐駒岳の麓に小屋を建てました。
大工さんが小川の傍で深い森の中は湿気がひどいので木造ではすぐに腐りますと言います。そこで4畳と6畳とトイレの鉄筋コンクリートの小屋を建てて貰いました。その小屋は46年たっても腐らずに建てたままの姿です。
長い間その山林の中の小屋へ通って来ました。
この小屋が好きな理由はその庭を小川が何時も美しい音を立てて流れていることです。冬になっても豊かに清い水が流れているのです。
この様にしてエケトルプ先生のお陰で私の人生は楽しくなりました。豊かな人生になりました。
エケトルプ先生は10年以上前に亡くなりました。小さな可憐な花を集めた花束を作って届けるようにとストックホルムの花屋さんに頼みました。
エケトルプ先生は家の裏庭に、可憐な小さな花々を一面に咲かせていたのです。白夜のほの明るい中で高山のお花畑のように輝いていた裏庭の光景を忘れません。スウェーデンの初夏の夜でした。

今日は懐かしい八ヶ岳の紅葉、甲斐駒岳の紅葉の写真をお送りいたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「今年の紅葉(6)箱根の芦ノ湖、強羅、湖尻園地など」

2020年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム
関東地方の紅葉の名所はいろいろ沢山ありますが箱根もその一つです。箱根には旧東海道の杉並木や復元された関所の建物もあります。芸術的な彫刻の森もあります。ルネ・ラリック美術館やガラスの森美術館やポーラ美術館もあります。仙石原には湿生植物園もあります。
そのような興味深いところを訪ねて箱根へは何度も遊びに行きました。宮ノ下の冨士屋ホテルや芦ノ湖の山のホテルは印象深いホテルでした。もう無くなってしまいましたが、絵画が沢山掛かっていた強羅ホテルも思い出深いホテルです。箱根は四季折々、何時行っても楽しい所ですが、11月の紅葉の頃が一番素晴らしいと思います。
今日はそんな箱根の芦ノ湖、湖尻園地、強羅公園、箱根美術館、山のホテルの紅葉の写真をお送りいたします。

1番目の写真は芦ノ湖の紅葉です。湖の向こうに小さく富士山が見えています。
芦ノ湖は箱根で最も早く紅葉が始まります。湖のほとりには恩賜箱根公園があります。遊覧船からも紅葉が楽しめます。箱根神社や箱根 駒ヶ岳ロープウェーなどもあり楽しいところです。

2番目の写真は芦ノ湖の北岸の湖尻園地の紅葉です。強羅からの箱根ロープウェイで「桃源台駅」を下りると芦ノ湖遊覧船の乗り場がある湖尻に着きます。湖尻園地はすぐ傍にあります。湖畔に吹く秋の風を受け、湖尻園地の散策路を歩くと紅葉が楽しめます。

3番目の写真は箱根強羅公園です。大正時代に開園された日本初のフランス式整型庭園です。噴水より上の木々には落葉樹が多く秋のモミジは鮮やかな美しい赤に染まります。敷地内のレストラン「一色堂茶廊」ではランチやティータイムなどが楽しめます。

4番目の写真は強羅にある箱根美術館の庭です。箱根美術館の庭園には約130種類の苔と真っ赤に紅葉する200本のモミジがあります。景観の美しさを見ながら茶室で抹茶を楽しめます。

5番目の写真は箱根神社のそばにある「山のホテル」です。
明治時代の岩崎小彌太男爵の別荘の敷地でした。山のホテルの大庭園は春のツツジの花と秋の紅葉の名所として有名です。「山のホテル」は1948年に開業しました。
この「山のホテル」に私は特別な思い出があるのです。
あれはアメリカ留学から帰ってきたばかりの1962年の翌年の春でした。箱根で初めて泊まったホテルが山のホテルだったのです。
当時はまだ木造で昔のヨーロッパ風の小さなホテルでした。
私共の泊まった頃も庭園には色とりどりのツツジが咲いていました。まだ妻も若々しい新婚時代に泊まったホテルが懐かしく、その後も毎年5月になると恒例のように山のホテルに行きツツジを楽しみました。その他の季節でも箱根に行く度に寄ってはランチを食べたりコーヒーを飲んでいました。
当時の木造の小さなホテルもその後、小田急の経営になり建物も立派にに建て替えられました。5番目の写真は建て替えられたホテルの写真です。

今日は箱根の芦ノ湖、湖尻園地、強羅公園、箱根美術館、山のホテルの紅葉の写真をお送りいたしました。なお1番目から4番目までの写真の出典は、
【2020】箱根の紅葉名所、https://travel.rakuten.co.jp/mytrip/trend/kouyou-hakone/ です。5番目の写真の出典は、https://www.hakonenavi.jp/spot/1384 です。

箱根の紅葉の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「久しぶりにカトリック小金井教会でのミサに出ました」

2020年11月08日 | 日記・エッセイ・コラム
コロナのせいで3月から出席出来なかったカトリック小金井教会でのミサに久しぶりに出ました。
今までは関口教会からの菊地功大司教のミサ動画配信で自宅で主日のミサにあずかって来ました。
やはり教会でのミサは感銘深いものです。今日のミサの写真をお送りいたします。





「美しいカトリック下井草教会の写真」

2020年11月08日 | 写真
今日は日曜日です。日曜日には宗教に関する記事を掲載することにしています。今日はマンテガッツア神父のお陰で出来たイタリア風の美しいカトリック下井草教会の写真をお送りします。主日ごとに高い鐘楼から鳴り響く3個の鐘と、パイプオルガン、聖堂前の無原罪の聖母像、大理石の正面祭壇等はマンテガッツア神父の出身地カルダノの教会からの寄贈によるものです。ステンドグラスはイタリアの職人が作ったそうです。





写真の出典は、https://gramho.com/explore-hashtag/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E4%B8%8B%E4%BA%95%E8%8D%89%E6%95%99%E4%BC%9A です。

カトリック下井草教会のホームページから、
「戦後間もない1948年、時の東京教区長・土井大司教は下井草の地に教会建設を依頼され、サレジオ会に対し3000ドルを寄贈されました。そこでサレジオ会はマンテガッツア神父を主任司祭に任命し、新聖堂の建設に着手することにしました。戦後は育英学院付属の小さな聖堂を使用していた経緯もあって、翌1949年4月17日の復活祭には、東京教区第18番目の教会として認可されました。下井草教会は、この日をもって教会創立の日と定めています。マンテガッツア神父が夢に抱いていた願いどおり、新聖堂は「扶助者聖母マリア」に捧げられ、神父は募金のために一路母国イタリアへと飛び立ちました。その建設資金の大部分は神父の働きとサレジオ会によるもので、7年余の歳月をかけて1956年10月21日、再び土井大司教をお迎えして新聖堂祝別式となって花開きました。・・・中略・・・1969年には支援してくれたカルダノ教会との間に姉妹教会としての締結がなされています。マンテガッツア神父の主任司祭としての任期は通算34年にも及び、創立当初72名だった信者は今や2300人を数えるに至りました。最近の主日のミサの参加者は平均600人を越えています。・・・省略します。

今日は美しいカトリック下井草教会をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「今日の日記、近所にハワイ風の喫茶店が出来たので行きました」

2020年11月05日 | 日記
近所にハワイ風の喫茶店が最近出来ました。行ったら内装も飾り物もすべてハワイ風でした。何十年も前に家内と生まれたばかりの赤子を連れてオアフ島を車で一周したことを思い出します。家内も懐かしそうにしていました。





「今年の紅葉(3)日光の華厳の滝、中禅寺湖、竜頭の滝などなど」

2020年11月04日 | 写真
日光は何度も訪れた曾遊の地です。よく泊まったところは中禅寺湖の岸にあるレークサイドホテルでした。下のクラシックホテルの金谷ホテルにも泊まりました。
日光と言えば東照宮、華厳の滝、中禅寺湖、龍頭の滝、奥日光の湯の湖、戦場ヶ原、金精峠、日光白根山、丸池などと色々なところを思い出します。スケールの大きい景観の中に滝や湖が散在し神社仏閣もあり独特な魅力を持った場所です。
日光に行くには普通は東北道を宇都宮まで走り、そこで日光に行く高速道路に乗り換えて行きます。しかし群馬県の沼田から丸沼、金精峠を超えて日光へ裏から入るドライブコースも風光明媚なので、何度も行きました。
一般的な普通の観光コースは鉄道で宇都宮駅から日光駅へ入り、輪王寺や東照宮を訪れます。それから「いろは坂」をバスで登り、華厳の滝や中禅寺湖を訪れます。
今日の「今年の紅葉」ではこの普通の観光コースに沿って印象深かったところをご紹介します。そしてあまり有名でない金精峠や丸池もご紹介したいと思います。紅葉の季節の日光への旅のご参考になれば嬉しいです。
1番目の写真から5番目の写真までの出典は、写真の出典は、https://aumo.jp/articles/25374 です。金精峠と丸沼の写真の出典は、https://tripnote.jp/gunma/osusume-koyo-places です。

1番目の写真は中禅寺湖から流れ落ちる華厳の滝です。展望台から見える滝は迫力があり日光で一番観光客が眺めに行くところです。

2番目の写真は中禅寺湖と男体山です。この湖の岸に中禅寺があり、ご本尊は有名な立木観音なのです。よく泊ったレークサイドホテルはこの写真の手前の中禅寺の近くにあったので何度も中禅寺に遊びに行きました。

3番目の写真は中禅寺の北のにあるイタリア大使館の別荘です。中を開放していますので昔の華麗な内装や家具調度を見ることが出来ます。

4番目の写真は中禅寺湖の西北にある私が一番好きな竜頭の滝です。竜頭の滝は20度くらいに傾斜した岩石の間を200m以上も激流が流れ下っているのです。激流が岩を噛み、飛沫を上げているのです。日光の奥深い魅力は竜頭の滝を登り、戦場が原を横切って湯元温泉に到る地域にあります。

5番目の写真は戦場が原です。竜頭の滝を登りきるといきなり広大な戦場が原に出ます。車を駐車場に入れ、しばし散策すると気分爽快になります。

6番目の写真は戦場が原の奥にある金精峠の風景です。この峠越えの自動車道を金精道路と言い、関越高速道路の沼田インターに繋がっています。景色の良い山岳地帯のドライブが楽しめます。

7番目の写真は金精道路の片品村にある「丸池」です。丸池は四季折々いつでも神秘的な雰囲気がある美しいい池です。
さて日光には3代目の将軍になった家光公が作った東照宮があります。東照宮は東照大権現たる徳川家康を祀る神社なのです。
輪王寺は天台宗の門跡寺院です。 明治初年の神仏分離令以後、東照宮という神社、二荒山神社と別れました。 輪王寺と東照宮と二荒山神社は「日光の社寺」として世界遺産に登録されています。
東照宮の隣には家光公廟の輪王寺大猷院もあります。

日光東照宮は流石に豪華絢爛で境内のなかに居ると異国の宮殿のなかへ迷い込んだような錯覚にとらわれます。
この日光東照宮は静岡県の久能山の東照宮がもとになっています。久能山のものはこじんまりした東照宮です。訪れてみると、海を見下ろす小山の上にあります。急な石の階段がはるか下へ伸び海岸通りへ続いています。
久能山の東照宮の建築様式に従って、規模を各段に大きくしたのが日光の東照宮です。

日光の東照宮や輪王寺は中禅寺湖の遥か下の方にあります。鉄道の日光駅の近くにあります。そこから「いろは坂」を延々と登った 所に中禅寺湖が広がっています。戦場が原は更に上の高原にあるのです。
日光の紅葉の美しさは「いろは坂」を登った 中禅寺湖とさらに高い戦場が原付近にあります。

今日は曾遊の地の華厳の滝、中禅寺湖、竜頭の滝、戦場が原、金精峠などの紅葉の風景をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)



「崖のある風景が懐かしくなって写真を撮ってきました」

2020年11月03日 | 写真
昭和11年に生まれ終戦まで住んでいた家の裏には崖がありました。大昔は海だったらし二枚貝の化石が時々出てきました。子供心にも二枚貝の化石は珍しく宝物として大切にしていました。
東京に住むようになってから白い崖は探してもありません。ところが10年位前に大きな白い崖を発見したのです。
南武線の稲城駅の裏側です。
崖のある風景が懐かしくなると眺めに行っては幼少の頃を思い出しています。今日も行って眺めて来ました。
その崖のある風景の写真をお送りいたします。





「今年の紅葉(2)十和田湖、奥入瀬、地獄沼」

2020年11月03日 | 写真

1番目の写真は十和田湖の紅葉です。
十和田湖は約2000年前の火山活動で誕生した世界最大の二重カルデラ湖で、国の特別景勝地に指定されています。10月中旬からブナやカツラ、カエデなどが色づき始め、真っ青な湖面と、赤・黄・緑の木々との美しい競演を楽しめます。

2番目の写真は奥入瀬の紅葉です。
奥入瀬は十和田湖畔の東岸の子ノ口から流れ出て、北東の焼山まで約14kmに渡る渓流です。うっそうと繁る樹木や幾つもの滝、奇岩、苔が魅せる渓流の風景です。例年10月上旬頃から紅葉し始めますが、ベストシーズンは10月下旬です。甘い匂いを放つカツラをはじめ、ブナやカエデ、ヤマモミジなどが渓流を覆うように赤や黄色に色づきます。

3番目の写真は八甲田の地獄沼の紅葉です。
地獄沼は八甲田連峰の主峰・大岳の西麓にある沼です。八甲田の爆裂火口跡に湧き出た温泉水がたまったもので周辺には硫黄を含んだガスや温泉が噴出しています。沼自体からも70~90℃の熱湯が湧き出ています。地獄沼からの眺めは素晴らしく、とくに紅葉のシーズンには、ブナやナラ、カエデ、ダケカンバなどが赤や黄色に、鮮やかに色づきます。モクモクと湯気が立ち込め、紅葉で赤く染まった沼は、とても幻想的です。

3枚の写真の出典は、https://www.hoshinoresorts.com/guide/area/hokkaidotohoku/aomori/aomori-koyo2019 です。

「東京にあった数多くの城(4)立川市のもとになった立川氏館と小山田城」

2020年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム
東京都の地名は江戸時代の以前の城や 館の名前に由来するものが多いのです。今日は現在の立川市のもとになった立川氏館と町田市の小山田緑地が由来するた小山田城をご紹介したいと思います。
立川市は東京駅から電車で約60分の西方にあります。戦前は陸軍の立川飛行場があり戦後は米軍の立川基地になりました。その基地の拡大に反対した「砂川闘争」は規模と期間が長かったので記憶にある方も多いと思います。
さて立川市という名は明治維新の後につけられた名前です。それまでは南半分は柴崎村と呼び、北半分は砂川村と呼んでいました。
それでは、立川という地名はどういう経緯で出来たのでしょうか?
鎌倉時代から1590年の豊臣秀吉の関東平定までの約370年間、この地方は豪族の立川氏に支配されていたのです。立川氏は立河氏とも書かれていました。現在の立川市は1590年まで立川氏の領地だったのです。
その立川氏の館は現在の立川市柴崎町4丁目の普済寺と同じ敷地にあったのです。立川氏が秀吉によって滅ぼされる直前に普済寺が立川氏の館の敷地の中に移築されたのです。
近年行われた発掘調査の結果、この普済寺の土地には西暦1400年代前半から1500年代前半にかけて立川氏の居館があったことが判明したのです。
一方西暦1252年には立川氏の氏神として八幡神社(柴崎町1丁目)が建てられたことも文書に残っています。すなわち立川氏(立河氏)は鎌倉時代の初期から地方豪族として現在の立川市一帯を統治していたのです。
そこで昨日も、この普済寺のある現地に行ってみました。そこは多摩川の支流の根川の北岸の高台の広い場所です。
南側は根川とその向こうの多摩川が敵の侵入を防いでいます。高台なので西に丹沢の山並みから北の奥多摩の山稜が見渡せます。豪族の館を建てるにはふさわしい場所です。その場所に関東では珍しい規模の臨済宗の普済寺が建っています。それでは昨日、撮って来た写真を示します。

1番目の写真は長い参道の奥にあった本堂の前の楼門です。写真の右下に国宝の六面石幢がありますと書いてます。

2番目の写真は堂々とした庫裏の写真です。左の大屋根は本堂です。

3番目の写真は国宝の六面石幢です。緑泥片岩製の石幢で、延文6年(1361年)に作られました。コンクリート製の覆堂内に保存されてます。石幢は六角形で上部には笠石を乗せ、高さは204.5センチもあります。六面石幢は阿吽の仁王像と四天王像を板石に刻んで組み合わせたもので造立年代は、刻文により延文六年(1361年)7月6日と分ります。この六面石幢は江戸時代から広く知られ、大正二年(1913年)国宝に指定され、戦後、改めて新国宝に指定されました。
さて普済寺は現在は臨済宗建長寺派の寺院で本尊は聖観音菩薩です。この寺は、文和年間(1352年 - 1356年)地頭だった立河(立川)宗恒の開基です。
このお寺は、寺伝によると開創は文和二年(1335)と伝えられており、臨済宗建長寺派に属して、大本山巨福山建長興国禅寺の別格地として多摩一円に末寺十八ケ寺を有する同派屈指の名刹です。
開山当時の場所は明らかではありませんが、永禄六年(1563)に立川氏の居住地に移されたと伝えられています。
普濟寺の境内には土塁の一部が今でも残っており、特に本堂前のものは雄大で一端に数百年を経たと思われる大銀杏があり、壊れを防ぐために石垣で補強をしてあります。

立川氏の政治的立場を分りやすくを箇条書きにします。
(1)鎌倉時代も室町時代も現在の立川市一帯の農民を直接支配していたのは豪族の立川氏であった。
(2)立川氏は鎌倉幕府に忠誠を誓いその隷下にあった。
(3)室町時代の後半に北条氏昭が八王子城に君臨すると北条氏昭の配下になり、秀吉の関東平定で1590年に北条氏昭と共に滅んだ。
(5)立川氏の館の跡地に現在は国宝を持っている臨済宗の普済寺が建っているのです。
それにしても明治時代に立川氏の名前を思い出して砂川村と柴崎村を立川市という名にした人の見識に感銘を受けます。

さて町田市の山間にあった小山田城をご紹介します。
このお城は鎌倉時代が始まる前の承安元年(1171年)、小山田有重によって築かれました。現在は小山田城の跡地には大泉寺があります。 小山田氏は桓武平氏で、秩父重弘の次男の有重が小山田荘に住んで小山田氏を名乗ったのです。
その小山田氏一家は相模国二俣川で討死し、元久2年(1205年)に小山田一族は離散したのです。小山田城は34年の短い悲劇の城だったのです。
この小山田城のあった山を所有し城跡を保存しているのが曹洞宗の大泉寺です。東京都町田市の小山田緑地公園の隣にあります。詳しくは、http://www.hb.pei.jp/shiro/musashi/oyamada-jyo/ をご覧下さい。

4番目の写真は大泉寺の大泉寺の本堂です。
小山田城はこの本堂の裏山にありました。本堂の説明版によると寺の裏山を補陀山(ほださん)と言うそうです。

5番目の写真は補陀山の頂上にある二の丸跡です。写真の出典は次の通りです。http://gi001.gokenin.com/tanbou/13_tokyo/06_minami_tama/005_machida/oyamada/oyamada_jou.html 
大泉寺は小山田城の跡地に建てた寺院です。大泉寺は補陀山水月院と号します。小山田城を作った有重が開基となり、小山田有重が居住していた当地に安貞元年(1228)に建てたと言います。そして後に無極和尚が曹洞宗寺院として開山したといいます。江戸時代には寺領8石の御朱印状を拝領していて武相卯歳観音霊場四十八ヶ所11番だったお寺です。
さて鎌倉時代の山にある城は戦いのある時だけ使い、普通は領主は城のある山の下の館に住んでいたのです。その館の下の方には武装した家来たちが住んでいたのです。
ですから現在の小山田緑地あたりには家来の武士たちが住んでいたと考えられます。

今日は現在の立川市のもとになった立川氏館と町田市の小山田緑地が由来する小山田城をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「晩秋の曇り日の青柳緑地の写真を撮ってきました」

2020年11月02日 | 写真
今日は寒い曇り日です。いかにも晩秋らしい寂寥とした雰囲気です。国立市の青柳緑地の写真を撮りに行きました。
憂鬱な景色でした。抜けるような秋晴れの日が待ちどうしいです。