1945年、昭和20年の敗戦により日本人は自信を失い暗い社会になりました。食糧難と相まって人心が荒れ犯罪が多い時代が続きました。
そんな暗い日本へ明るい希望を与えたのが古橋広之進の自由形400m、800m、1500mの泳ぎで世界新記録でした。そしてプロ野球や大相撲も復活し次第に社会の雰囲気が明るくなったのです。その後、日本は経済の高度成長をとげ現在の豊さを手中におさめたのです。
この高度成長のきっかけになったのは1964年の東京オリンピックの開催と東海道新幹線の開通でした。
今日はこの東京オリンピックと東海道新幹線の開通を振り返ってみようと思います。
(1)1964年東京オリンピック
このオリンピックは1964年(昭和39年)10月10日(後の体育の日)から10月24日までの15日間、日本の東京都で開かれたオリンピック競技大会でした。その詳細は、https://ja.wikipedia.org/wiki/1964%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF に掲載されています。
以下にその抜粋を示します。
1940年に日本は東京オリンピックの開催権を返上しました。それが1964年に開催されたのです。アジア地域で初めて開催されたオリンピックでした。アジアやアフリカにおける植民地の独立が相次いだために過去最高の出場国数となったのです。
日本は第二次世界大戦で敗戦したものの、その後急速な復活を遂げ再び国際社会に復帰したのです。
1番目の写真はこのオリンピックの開会式で行進する日本選手団です。
2番目の写真は聖火リレーの最後の走者の坂井義則選手が競技場の聖火台に登る場面です。
このオリンピックでの日本のメダル獲得数はアメリカとソ連についで第3位でした。
1位、 アメリカ合衆国 金36 銀 26 銅28 合計90
2位、ソビエト連邦 金30 銀31 銅35 合計96
3位、日本 金16 銀5 銅8 合計29
4位、ドイツ 以下省略。
印象に残った場面は沢山ありますが例として女子バレーの日紡貝塚チームの活躍がありました。
3番目の写真は日紡貝塚チームの競技中の様子です。
4番目の写真は表彰式で金メダルを受けるは日紡貝塚チームです。
活躍は日紡貝塚チームだけではありませんでした。以下は優勝し金メダルを取った日本人です。
1位 金メダル
桜井孝雄(日本、ボクシングバンタム級)
三宅義信(日本、ウエイトリフティングフェザー級)
市口政光(日本、レスリンググレコローマンバンタム級)
花原勉(日本、レスリンググレコローマンフライ級)
上武洋次郎(日本、レスリングフリースタイルバンタム級)
渡辺長武(日本、レスリングフリースタイルフェザー級)
吉田義勝(日本、レスリングフリースタイルフライ級)
中谷雄英(日本、柔道軽量級)
猪熊功(日本、柔道重量級)
岡野功(日本、柔道中量級)
早田卓次(日本、体操男子つり輪)
山下治広(日本、体操男子跳馬)
遠藤幸雄(日本、体操男子平行棒、体操男子個人総合)
遠藤幸雄・小野喬・鶴見修治・早田卓次・三栗崇・山下治広(日本、体操男子団体総合)
磯辺サダ・河西昌枝・近藤雅子・佐々木節子・篠崎洋子・渋木綾乃・谷田絹子・半田百合子・藤本佑子・松村勝美・松村好子・宮本恵美子(日本、バレーボール女子)
この他に男子陸上マラソンで3位になった円谷幸吉選手のひたむきな走りが忘れられません。
5番目の写真は男子陸上マラソンの表彰式の様子です。表彰台の上の3人の右が円谷幸吉選手です。
東京オリンピックの詳細は割愛して、ここで東京オリンピック開催が日本にもたらした影響を書きます。
東京オリンピック開催を契機に競技施設や日本国内の交通網の整備に多額の建設投資が行なわれました。競技や施設を見る旅行が増えカラー放送のテレビ受像機購入が飛躍的に増加しました。
このため日本経済に「オリンピック景気」といわれる好景気をもたらしたのです。
特に開催地の東京では競技施設だけでなく東京モノレール羽田空港線や首都高速道路やホテルなど様々なインフラストラクチャーの整備が行なわました。
東海道新幹線も開会式9日前の10月1日に開業したのです。
特に首都高速道路の建設は急ピッチで進められ羽田空港から国立競技場までつながり、その先まで次々に完成しました。そして首都高速都心環状線ルートは大会前に完成したのです。
また「ゴミ都市」と呼ばれていた東京にゴミ収集車が250台導入されました。
東京オリンピックで初めてコンピュータによる記録管理が行なわれたことも重要な出来事でした。
そこで以下に東海道新幹線の世界に与えた影響について簡単に言及しておきます。
(2)東海道新幹線の世界に与えた影響https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A
東海道新幹線は1964年(昭和39年)10月1日に東京駅 - 新大阪駅間に開業しました。
6番目の写真は開業当時のコダマ号です。
7番目の写真は現在の新幹線の車両です。
世界初の210 km/h運転を達成した新幹線の成功は欧米各国に大きな影響を及ぼしました。
鉄道先進国のフランスは1967年5月28日よりパリ - トゥールーズ間の列車「ル・キャピトール」を欧州において初めて200 km/hで運転します。
1981年には本格的な超高速列車TGVを開発し営業最高速度260 km/hというスピード世界一を達成し日本の新幹線の記録を抜きました。
その他、ドイツ (ICE) やイタリア(ディレッティシマ)でも高速列車が計画され実現に移されました。イタリアのディレッティシマは欧州初の高速新線であり1970年に工事が始まり、1978年に部分開業を迎え1983年に250 km/h運転を開始したのです。
このように東海道新幹線は世界の鉄道の高速化をしてその技術輸出と車両輸出は日本の高度成長の大きく貢献したのです。
今日は日本経済の高度成長のきっかけになった1964年の東京オリンピックと東海道新幹線の開通を振り返りました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
そんな暗い日本へ明るい希望を与えたのが古橋広之進の自由形400m、800m、1500mの泳ぎで世界新記録でした。そしてプロ野球や大相撲も復活し次第に社会の雰囲気が明るくなったのです。その後、日本は経済の高度成長をとげ現在の豊さを手中におさめたのです。
この高度成長のきっかけになったのは1964年の東京オリンピックの開催と東海道新幹線の開通でした。
今日はこの東京オリンピックと東海道新幹線の開通を振り返ってみようと思います。
(1)1964年東京オリンピック
このオリンピックは1964年(昭和39年)10月10日(後の体育の日)から10月24日までの15日間、日本の東京都で開かれたオリンピック競技大会でした。その詳細は、https://ja.wikipedia.org/wiki/1964%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF に掲載されています。
以下にその抜粋を示します。
1940年に日本は東京オリンピックの開催権を返上しました。それが1964年に開催されたのです。アジア地域で初めて開催されたオリンピックでした。アジアやアフリカにおける植民地の独立が相次いだために過去最高の出場国数となったのです。
日本は第二次世界大戦で敗戦したものの、その後急速な復活を遂げ再び国際社会に復帰したのです。
1番目の写真はこのオリンピックの開会式で行進する日本選手団です。
2番目の写真は聖火リレーの最後の走者の坂井義則選手が競技場の聖火台に登る場面です。
このオリンピックでの日本のメダル獲得数はアメリカとソ連についで第3位でした。
1位、 アメリカ合衆国 金36 銀 26 銅28 合計90
2位、ソビエト連邦 金30 銀31 銅35 合計96
3位、日本 金16 銀5 銅8 合計29
4位、ドイツ 以下省略。
印象に残った場面は沢山ありますが例として女子バレーの日紡貝塚チームの活躍がありました。
3番目の写真は日紡貝塚チームの競技中の様子です。
4番目の写真は表彰式で金メダルを受けるは日紡貝塚チームです。
活躍は日紡貝塚チームだけではありませんでした。以下は優勝し金メダルを取った日本人です。
1位 金メダル
桜井孝雄(日本、ボクシングバンタム級)
三宅義信(日本、ウエイトリフティングフェザー級)
市口政光(日本、レスリンググレコローマンバンタム級)
花原勉(日本、レスリンググレコローマンフライ級)
上武洋次郎(日本、レスリングフリースタイルバンタム級)
渡辺長武(日本、レスリングフリースタイルフェザー級)
吉田義勝(日本、レスリングフリースタイルフライ級)
中谷雄英(日本、柔道軽量級)
猪熊功(日本、柔道重量級)
岡野功(日本、柔道中量級)
早田卓次(日本、体操男子つり輪)
山下治広(日本、体操男子跳馬)
遠藤幸雄(日本、体操男子平行棒、体操男子個人総合)
遠藤幸雄・小野喬・鶴見修治・早田卓次・三栗崇・山下治広(日本、体操男子団体総合)
磯辺サダ・河西昌枝・近藤雅子・佐々木節子・篠崎洋子・渋木綾乃・谷田絹子・半田百合子・藤本佑子・松村勝美・松村好子・宮本恵美子(日本、バレーボール女子)
この他に男子陸上マラソンで3位になった円谷幸吉選手のひたむきな走りが忘れられません。
5番目の写真は男子陸上マラソンの表彰式の様子です。表彰台の上の3人の右が円谷幸吉選手です。
東京オリンピックの詳細は割愛して、ここで東京オリンピック開催が日本にもたらした影響を書きます。
東京オリンピック開催を契機に競技施設や日本国内の交通網の整備に多額の建設投資が行なわれました。競技や施設を見る旅行が増えカラー放送のテレビ受像機購入が飛躍的に増加しました。
このため日本経済に「オリンピック景気」といわれる好景気をもたらしたのです。
特に開催地の東京では競技施設だけでなく東京モノレール羽田空港線や首都高速道路やホテルなど様々なインフラストラクチャーの整備が行なわました。
東海道新幹線も開会式9日前の10月1日に開業したのです。
特に首都高速道路の建設は急ピッチで進められ羽田空港から国立競技場までつながり、その先まで次々に完成しました。そして首都高速都心環状線ルートは大会前に完成したのです。
また「ゴミ都市」と呼ばれていた東京にゴミ収集車が250台導入されました。
東京オリンピックで初めてコンピュータによる記録管理が行なわれたことも重要な出来事でした。
そこで以下に東海道新幹線の世界に与えた影響について簡単に言及しておきます。
(2)東海道新幹線の世界に与えた影響https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A
東海道新幹線は1964年(昭和39年)10月1日に東京駅 - 新大阪駅間に開業しました。
6番目の写真は開業当時のコダマ号です。
7番目の写真は現在の新幹線の車両です。
世界初の210 km/h運転を達成した新幹線の成功は欧米各国に大きな影響を及ぼしました。
鉄道先進国のフランスは1967年5月28日よりパリ - トゥールーズ間の列車「ル・キャピトール」を欧州において初めて200 km/hで運転します。
1981年には本格的な超高速列車TGVを開発し営業最高速度260 km/hというスピード世界一を達成し日本の新幹線の記録を抜きました。
その他、ドイツ (ICE) やイタリア(ディレッティシマ)でも高速列車が計画され実現に移されました。イタリアのディレッティシマは欧州初の高速新線であり1970年に工事が始まり、1978年に部分開業を迎え1983年に250 km/h運転を開始したのです。
このように東海道新幹線は世界の鉄道の高速化をしてその技術輸出と車両輸出は日本の高度成長の大きく貢献したのです。
今日は日本経済の高度成長のきっかけになった1964年の東京オリンピックと東海道新幹線の開通を振り返りました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)