575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

蝶の空ふと消ゆ名古屋空襲忌    遅足

2010年03月24日 | Weblog
今日の塔句会に提出した句です。
松ヶ崎さんと静荷さんにとって頂きました。
他の2句、

   春昼の水琴窟に息あわす(静荷さん、寺井さん、中野さん)

   春愁の魚の重みを手のひらに(残念賞でした。)

      

長良さん達と一緒に始めた句会ですが、
長良さんが亡くなってしまったこともあって
一区切りをつけることにしました。

塔句会のみなさん、お世話になりました。
ありがとうございます。

       

   


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

基地背負う牛の背朝日煙り行く  豊里友行

2010年03月24日 | Weblog
民主党政権が正念場。米軍基地の移転問題。

作者は1976年、沖縄生まれ。故郷でフォト・ジャーナリスト、
俳人として活躍。

俳句を読む時、句が詠われた「場」を考えざるを得ない。
句会というのも「場」であり、その日の空気が選句に大きく影響する。
この句の場合、沖縄という土地に、どう想像力を働かせるのか?
読み手としての力が問われる。

この句は写真家らしいアングルで、基地を牛が背負っているという。
牛は沖縄の象徴かもしれないが、
一つの景としても充分に読むことが出来る。
その牛の背に朝日が射す。
牛の汗が水蒸気となって朝日が煙っている。

  鮮やかな原野遺骨に星のさざなみ

  青空の喪に服する子らへ戦闘機

  闇を剥ぐキャベツの芯は核の渦

いずれも沖縄という場が
句にレアリティをもたらしています。

  夜のパンに鮫のかなしみをぬる

  手のひらの宇宙を開く赤ん坊

これらの句は沖縄という場を超えたレアリティがあります。
もちろん沖縄という場のなかに置いて読むことによって
別の読みも生まれてきます。

                     遅足



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三月やラジオの人事その挨拶      朱露

2010年03月24日 | Weblog

この場合 N H K ラジオのことにする。
三月だからヤメる挨拶ということだ。
「ラジオ深夜便」の司会者交代の弁。
我が事として聞耳を立て本音を探る。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする