575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

推敲のチエックポイント・2 ~句意を正確に表現しているか~(等)

2016年09月04日 | Weblog
先日、遅足さんは”推敲は俳句の楽しみ”と書いておられました。最初の案から段々に手直しをして行って、最終的に句としてまとめ上げる、その過程が楽しいと言われているのでしょう。

さて、先回は”推敲のチエックポイント”として、推敲をする際にはどういった点に注意をすべきか、8項目について書きましたが、今日はその項目一つ一つについて、私の作句ノートに従って詳しく説明したいと思います。

①句意を正確に表現しているか
俳句を作る時は、まず何かを見てそこにある何かに感動し、それを5・7・5のリズムに乗せて表現します。しかし表現力の拙さで、作っているうち何に感動したのか分からなくなってしまうことがあります。

しばらく前のNHKの講座で「サングラス」という兼題が出た際、私は”沈む夕陽の美しさ”を表現しようと思い、まず第1稿「大落日サングラスして見たりけり」としましたが、これでは事実の報告のみで、夕陽の美しさは全く表されていません。
そこで夕陽の中に飛び込んでみてはと、
「サングラスして中に入る大落暉」
「サングラスすれば火の見ゆ大落暉」
などとしましたが、面白さにもロマンにも欠けます。そこで思い切って夕陽をヤメて発想を飛ばして、夕空の美しさを表現することにし、夕焼け空を”火の鳥”に見立てて
「サングラスすれば火の鳥夕空を」
として句会に出しましたが、結果は先生を含めて2票でした。しかし私の意図を十分に汲み取ってくれて方もいて、私は点数は低かったものの満足しています。

かの飯田蛇笏は”状況説明ではなく、言いたいことが言えたかどうかが大切”と言っています。

ただ一つ”言いたいことが言えたか”には問題があります。それは作者の”思い込み”です。自分では”感じたことを表現出来た”といっても、多くの読者に同感してもらえないことがあり、句会に出してもダメなことがママあります。こんな時は最後の推敲でどうすれば良いのか。私は”採ってくれない人がダメな人”と言って、平気で句会に出すことにしています。

次回はこの続き、「適切な言葉を使っているか」についてです。 (等)
コメント (1)
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