575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「広告なし」と言うこと  ~報道マンの意地~   竹中敬一

2016年09月02日 | Weblog
NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」、広告なしで雑誌を続けていくことが、
いかに大変なことかを伝えています。
テレビの世界でも、その草創期、「サス番組」と言う、スポンサーなしの番組がありました。
私が昭和30年代、テレビ局に入社した当初、手がけたのがこの「サス番組」でした。
当時、唯一の報道番組(15分)で、確か早朝の、視聴率が絶えず米印(こめじるし)、
つまり誰も見ていないような時間帯での放送でした。

民放は、スポンサーあってのものでから、お硬い報道番組は敬遠されがち。
営業部門では、" いつも、報道のヤツらは番組作りに工夫が足りない、
視聴率が取れるような番組を作ってみろ" と思っていたにちがいありません。
私たちも、何とかお硬い内容でも、興味を持って見てもらえるように
と、考えていたのですが、番組作りが未熟だつたことも確かです。

他の民放局のことは知りませんが、私のいたテレビ局では
報道・制作、営業、編成など各部門がよく対立し、いい意味で緊張関係にありました。
こうした雰囲気の中にいたからこそ、面白い番組が生まれたと云えるかもしれません。

" お前ら誰に食べさせてもらっていると思っているのか"と
殺し文句を言えば、営業が強いにきまっています。
それを分かった上で、各セクション意地を張っ合っていたのです。
いまの社員は利口ですから、こんな無駄な抵抗は初めからしないと思います。

              

私の無駄な抵抗の一例を紹介します。全国ネットのドキュメンタリー番組での事です。
スポンサーと制作者との企画会議がよく開かれるのですが、
大スポンサーだけに放送された内容について、的確な意見で参考になったものです。

スポンサー側はあくまで、番組の構成上の問題を指摘する場合が多く、
所謂、政治的発言に類するものはありませんでした。
その代わり、当たり前の事ですが、自社の製品についての取り扱いについては、
うるさく注文をつけてきました。

ある時、番組の中で、研究者が、カナダの先住民(エスキモー)の生活を
スポンサーのライバル社のカメラで撮ってるシーンが流れ、問題になりました。
同じ仲間の局が撮ったものですが、この話を聞いて、私はなぜか、腹立たしく思いました。
(番組の内容の事で批判されるのならば仕方ありませんが…)

私は、その後、同じ番組の中で、観光客が動物に向けてカメラを撮る一コマを入れました。
そのカメラがどこの会社の製品が確認もせずに。
普通、こういう疑わしいシーンは使わなければよいのに、若気の至りです。
案の定、スポンサーから電話で"一瞬でよくわからなかったが、
あれはどこの製品だったか"とクレームがきました。
私は、どこの製品かちょっと見ただけでは誰もわからないと思い、
”インサートにどうしても欲しいので使いました"と言ってその場を逃げ切りました。

当時はフィルムで、今のように簡単に番組を録画、再生することは出来ず、
一回きりの放送が全てだったのです。

(なお、米印は視聴率調査で、計測不能として記されている印のことです)

コメント
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