先日、中日新聞に「不安な平成二十八年」と題する社説が掲載され、
戦前に、新聞人として反戦を説いた桐生悠々さんを紹介していました。
悠々さんは、中日新聞の前身である「新愛知新聞」などの主筆を務め
戦争を推し進める軍部や政府を批判しつづけました。
しかし反発も強く、ついに新聞社(信濃毎日)を追われてしまいます。
それでも「他山の石」という小冊子を発行、反戦を説き続けます。
当局は、悠々さんを特高警察の監視のもとに置くとともに、
「他山の石」を度々、発禁処分としました。
郁子さんは悠々さんのお孫さん。悠々自伝をお借りして読みました。
そのなかから悠々さんが亡くなる最後の一年の簡単な年譜を紹介します。
1941年(昭和16年)
1月 7日 急性咽頭カタルで発熱、呼吸困難。
7月20日 特高警察との対立で「他山の石」の事前検閲を打ち切る。
8月 5日 「他山の石」第八年第十五号発禁。
9月 5日 病状急変。「他山の石廃刊の辞」を友人に郵送。
9月10日 咽頭癌のために死去。「他山の石廃刊の辞」の発禁命令書が霊前に。
9月12日 自宅で憲兵・私服警官の立ち合いのもとに葬儀。
この年の12月8日、日本軍は真珠湾を攻撃、太平洋戦争に突入していきます。
このところ報道に対する安倍政権の介入は強権的になってきました。
テレビの画面から、安倍政権の改憲は危険、と説く人たちが姿を消しました。
沖縄の新聞に対する不買運動を呼びかける声もあります。
悠々さんの志を継ぐ後輩の方が危機感を感じて書かれた社説でしょうね。
遅足
戦前に、新聞人として反戦を説いた桐生悠々さんを紹介していました。
悠々さんは、中日新聞の前身である「新愛知新聞」などの主筆を務め
戦争を推し進める軍部や政府を批判しつづけました。
しかし反発も強く、ついに新聞社(信濃毎日)を追われてしまいます。
それでも「他山の石」という小冊子を発行、反戦を説き続けます。
当局は、悠々さんを特高警察の監視のもとに置くとともに、
「他山の石」を度々、発禁処分としました。
郁子さんは悠々さんのお孫さん。悠々自伝をお借りして読みました。
そのなかから悠々さんが亡くなる最後の一年の簡単な年譜を紹介します。
1941年(昭和16年)
1月 7日 急性咽頭カタルで発熱、呼吸困難。
7月20日 特高警察との対立で「他山の石」の事前検閲を打ち切る。
8月 5日 「他山の石」第八年第十五号発禁。
9月 5日 病状急変。「他山の石廃刊の辞」を友人に郵送。
9月10日 咽頭癌のために死去。「他山の石廃刊の辞」の発禁命令書が霊前に。
9月12日 自宅で憲兵・私服警官の立ち合いのもとに葬儀。
この年の12月8日、日本軍は真珠湾を攻撃、太平洋戦争に突入していきます。
このところ報道に対する安倍政権の介入は強権的になってきました。
テレビの画面から、安倍政権の改憲は危険、と説く人たちが姿を消しました。
沖縄の新聞に対する不買運動を呼びかける声もあります。
悠々さんの志を継ぐ後輩の方が危機感を感じて書かれた社説でしょうね。
遅足