575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

ゴッホの青を追って   竹中敬一

2016年09月23日 | Weblog
私はテレビ局在職中、画家のゴッホに関する番組を数本、制作しています。
その都度、専門家の話を聞いたり書物を通じて、ゴッホのことは一通り学んだつもりです。

日本の浮世絵の影響を受けたゴッホはアルル時代、特に青色を好んで使ったようです。
ゴッホが収集していた歌川広重の浮世絵には青色「ヒロシゲブルー」が、使用されています。
広重や北斎が使った青色の顔料はべロ藍(紺青、プルシアン・ブルー)といって、
江戸時代後期にオランダ経由で輸入されたものだそうです。

18世紀、ヨーロッパでウルトラマリン(群青)、プルシアン・ブルーという
安価な合成顔料が開発されるまでは、ラピスラズリという天然顔料が使われていました。
アフガニスタン産のものが知られています。

古川美術館にある時祈書の細密画に使われている青はラピスラズリです。
高価な宝石を砕いて顔料にするため、ふんだんに使うわけにはいかず、
小さなの時祈書でもなければ、この青色を取り入れることはできなかったでしょう。


ゴッホの作風とその変遷については諸説があります。
ここからは私がかねがね推理してきた仮説を述べ、ご批判を仰ぎたいと思います。
それは、ゴッホは、時祈書、それも古川美術館にある「ブシコー派の画家の時祈書」と
同種のものを、生涯のどこかで見たことがあるのではないか、ということです。

「ブシコー派の画家の時祈書」は、今も35冊がフランスを中心に現存しています。
よく知られているように、オランダ生れのゴッホは若い頃、牧師をしていました。
ゴッホの父も牧師で、その父の持っていた聖書を描いたゴッホの油絵も残っています。

ゴッホは生涯、聖書を手にしていたと思われますが、時祈書はどうだったでしょうか。
「ゴッホの手紙」(岩波文庫) を読んでみましたが、時祈書に関する記述は見つかっていません。

時祈書は15世紀前半、特にフランスやフランドル( ベルギー・仏・オランダ地方) で、
盛んに使用されています。
ゴッホの時代にもまだ、教会関係者の中に時祈書を所有していた人がいたものと思はれます。
ゴッホがパリに出て来てからも、浮世絵に出会う前に、時祈書を見る機会があったのでは、
というのが私の仮説です。

「ブシコー派の画家の時祈書」に出てくる紺青の空に輝く星々。
ゴッホのアルル時代の作品「 ローヌ川の星月夜」が、私の中ではダブって見えてくるのです。

「ゴッホの手紙」によれば、彼は日本にあこがれてアルルに来たようですが、
若い頃に見た時祈書の青色がいつまでも潜在意識としてあり、その後、浮世絵に出会ったことで、
その青が一層、強烈によみがえったのではないかと思います。


写真はローヌ川に架かる「 アヴィニョンの橋」(正式名称はサン・べネゼ橋)
私が撮ったものです。

アヴィニョンの橋の上で
踊るよ 踊るよ…

15世紀頃 作られた歌だそうです。

(先週、先々週の金曜日の記事・参照して下さい)
コメント
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