575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「津島祭礼図屏風 」11 〜 町方衆 〜 竹中敬一

2019年06月22日 | Weblog


昭和59年に当時、愛知県津島市教育委員会の樋田 豊 氏 ( 故人 )が調べた

「津島祭礼図屏風 」8 点のうち、個人蔵とはっきりわかるのは、「大橋国富氏 」、

「 伴家 」(今は徳川美術館蔵 )の2点です 。

大橋家、伴 家とも津島の名家 。

こうした裕福な町方衆が屏風絵の注文主だと考えられます 。

「 津島市史 」( 昭和50年 刊 )などによると、南北朝時代、後醍醐天皇の皇子、宗良

親王を主君として、北朝方と戦った一党 ( 四家七名字 )が津島に土着 。

戦国時代、この人たちが中心となって大地主、商人、金融業などで財をなし、自治組織

惣 ( そう )を作り、津島5ヶ村の経済を支えたという 。




「 綴プロジェクト」高精細複製品より

天王川に屋根付きの大きな船を浮かべ、祭りの様子を見物するのは
商家の大旦那 でしょう 。


昔、習った西洋美術史を思い出します 。

津島祭礼図屏風が描かれたとされる江戸時代前期、オランダではギルド ( 同業組合 )の

活躍で、黄金期にあり、富裕層は競って画家に肖像画を描かせています 。

レンブラントなど多くの画家がギルドなどからの依頼で制作したのが集団肖像画 。

( 記念写真のように依頼者全員の姿を描くべきところ 、レンブラントの大作 「 夜警」

はある特定の人物を大きく描いたり、市民隊 以外の人も入れて当時 、不評だっが、

芸術作品としての価値は高く 、名画として今に伝わっています。)

富裕層の台頭期はどの時代、どの国でも同じような現象が見られるようです 。つづく










コメント (1)
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