先日、小牧へ行った帰り、名鉄小牧線で南に向かっていたら、
間内(まない)駅の近くで、鎧姿の武将の像が見えました。
こんなところに関係のある武将て、一体誰?
帰宅して、インターネットで検索。浅井長政の像と分かりました。
北近江の武将・浅井長政は、織田信長の妹・市と結婚しますが、
信長に反旗を翻し、小谷城は落城、一族は秀吉らの手で殺されます。
長政には側室との間に七郎という男の子がありました。
七郎は秘かに美濃に逃れ、二十歳の時に、小牧の牛山村に移住。
慶安3年(1650)この世を去ったそうです。
その子孫は代々、この地に住み、その家は幕末まで続きましたが、
9代目の時、大正2年(1913)神奈川県藤沢市に転居。
私の見た銅像は、牛山浅井家の子孫が建立したものでした。
歴史には勝者があり、敗者が生まれます。
しかし敗者の歴史は語り継がれることはありません。
尾張・小牧は織田の領土。本能寺の変の後、天下は秀吉の手に。
さらに関ヶ原の戦いを通じて徳川に。尾張は徳川の領土に。
七郎が移り住んだ背景には、時代の大転換があったのかも知れません。
車窓からちらっと見た敗軍の将・浅井長政。
穏やか温もりの感じられる表情だったような気もしています。
敗軍の将に一日の梅雨晴れ間 遅足