575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

メタセコイア                          草女

2010年12月24日 | Weblog
 メタセコイアは[生きている化石」と、樹形の美しさで人々を惹きつけている。日
本にの300万年から100万年前頃まではたくさん生えていたらしく、化石としてちょく
ちょく発見されていた。1941年三木茂博士により「メタセコイア」と命名され学会に発表
された。そのすぐ後、中国四川省 の「水杉」(スイサ)が同種とされ現存すること
が確認されたことから、「生きている化石」と呼ばれるようになった。そういう先入観が
あるせいかエキゾチックな感じがする。

 スギ科メタセコイア属の落葉高木で20~30mになる。和名をアケボノスギというが
こちらの名前は殆ど使われていない。学問的には現生種と化石種を別種とする学説が
あるそうだ。
 
 初冬メタセコイアは美しい茶色に紅葉し、それから葉を落とす。葉を落とした樹形
も風情がある。そして新緑の若々しい緑も心地よい。1949年国と皇室に中国からメタセコイア
の挿し木が送られ、それが全国に広がったので、全国のメタセコイアはルーツが同一で
ある。メタセコイアに魅力がるから、多く植えられいるのだろう。

平和公園の東のマンションの前にメタセコイアがずらりと植えられていたが、ある
時木の三分の一を残してばっさり剪定された。余りにも無残な姿にただ息を飲んだ。
住民からなにも見えないという苦情があったにちがいないが、ちょっと切り過ぎだ。
しかたないからこれからどんな樹形になっていくのか興味深く観察することに。

 それから2年たった今、メタセコイアは見事な紡錘形ななった。メタセコイアとし
ては異例な形だが、やはり木の先が尖っている。普通のメタセコイアは端正な円錐形
をしている。どうしてどの木もこうした形になるのだろう。そういう遺伝子を持ってい
るからと言われればその通りだろうが、イマイチ納得していない。

 植物の不思議はいっぱいある。動物のような脳はないはずなのに、植物のどこかで
考えたり、命令したりしてしているような気がする。脳とは全くちがうシステムがあ
るのでは?


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坊さまのセーター姿垣間見し  亜子

2010年12月24日 | Weblog
制服といえば、思い浮かぶのは、お巡りさん、看護婦さんなど。
公私の別、プライベートの尊重がアタリマエとなった今、
制服の権威は、昔ほどではなくなった。

お坊さんの姿を、制服というのは、少し違っているかも知れないが、
でも僧の服装は、制服と同じ様な力を持っている。

セーター姿のお巡りさんは、街で出会ってもコンイチワ、と挨拶できるが・・・
お坊さんの場合は、ちょっと抵抗感があるかも。

そんなギャップをとらえた作者の目は鋭い。
俳諧味のある一句。

セーター姿を見てしまった後、有り難味は増すのだろうか?
それとも・・・
                        遅足
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年送る背中押す手を払いのけ    朱露

2010年12月24日 | Weblog

      と言っても逆上して払うわけじゃない。
      余計なおせっかいを焼くなということ。
      六十の私より七十半ばの私の方がいい。
      いわんや三十四十の私など見たくない。

              山は



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年末ストレス  麗

2010年12月23日 | Weblog
ようやく年賀状を書き終えいよいよ
年末の掃除にとりかかろうと思っています。

今年はやった「断捨離」。物を処分することで心が軽くなるという
言葉に乗せられてまだ使えるものがどんどん捨てられていくこのご時世。
豊かさゆえの悩みといったところでしょうか?

物を捨てられないタイプの人間には新たな年末ストレスの発生です。
それでなくても気ぜわしく気がたつのにまだ物を処分しなければ心が軽くならないとは。。掃除だけで手一杯です。
だれか物を大切にしましょうという言葉を作ってくれませんか?

     断捨離が年末ストレス生み出して   麗
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年の瀬や血圧計り缶ビール    朱露

2010年12月23日 | Weblog

      今年開けた缶ビールの本数を偲んだ。
      ついでに「蓬莱泉」一升瓶の本数も。
      外では飲まない確固不抜の信念見事。
      冬の夜をウロツイタ時代が懐かしい。

               

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抜け毛拾い暮れの日の出の位置探す   朱露

2010年12月22日 | Weblog
         十二月二十一日払暁雲なし風なし人気なし。
         明らむ東の山の端を見たら金星の姿見失う。
         日が出たら今日も生きるしかないぞ皆の衆。
         金柑の実に日が射したサア矢でも鉄砲でも。

                     

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小さな命の継承   鳥野

2010年12月21日 | Weblog
腑に落ちない出来事ばかりの世情、冴えない顔つきのままの師走です。
そんな中の明るいニュース。

レッドリストで、絶滅種に指定されていた「クニマス」が70年ぶりに発見されたというのです。
クニマスはサケ科の淡水魚。秋田県の田沢湖にだけ生息する固有種でした。

その魚が、富士五湖の一つ、山梨県の西湖で生きていたのです。

田沢湖は、最深約400メートルと日本一、ルリ色の水を湛えた美しい湖。
辰子姫の悲話も伝えられています。

その湖に電源開発のダム工事で、強酸性の玉川の水が引き込まれ、1940年ころには死の湖になってしまいました。

35年に田沢湖から放流された卵が、西湖の環境に順応して、今に命を繋いだのです。

かつて、500万円の懸賞金をかけたり、標本からの復活を試みたりと、懸命な努力も甲斐なかったのに。サカナの見事な生命力。

 鱒は春の季語と知りました。モーツアルトのピアノ四重奏曲でも聞きながら、春を待つことにしましょう。

 









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12月句会の最終結果がまとまりました。  遅足

2010年12月20日 | Weblog
今日、全員の選句が集まりました。
結果は16日のブログを更新してあります。
一度、ご覧下さい。

      

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セーターの草の実一日陽ざし垂る     結宇

2010年12月20日 | Weblog
セーターについた草の実を取っていく。
こんな沢山の草の実、いったい、どこで着いたのだろう?
こりゃ、一日仕事だなあ・・・
それにしても、天から垂れるような陽射しだ。

という意味だそうです。
ちょっとコトバが足らず、逆に、少し情報が多いかも知れません。
一日、というコトバを取って、草の実を取る、という情景を
はっきりさせた方が良いのではないでしょうか?

575という俳句は制約の強い詩型ですね。

           

                       遅足

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辛口の当たりめ「鬼平」開く冬   朱露

2010年12月20日 | Weblog

      「当たりめ」は「するめ」の忌み言葉。
      鬼平など「甘口」だと言う向きもある。
      生意気いうなら書いてみればいいだろ。
      「食卓の情景」は池波さんしか書けぬ。

                

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ころがっている石ころのたぐいにて方代は今日道ばたにあり  山崎方代

2010年12月19日 | Weblog
山崎 方代(やまざき ほうだい)
大正三年に生まれ、昭和六十年に亡くなった歌人。

歌集を読んでいたら、石ころを詠った歌がいくつか。

  いつまでも握っていると石ころも身内のように暖まりたり

  移りゆく冬の時雨にぬれてゐる石もせわしく生きてゐるのだ

私は、子どもの頃から、石への興味はそんなに強くありませんでした。
しかし、ある時から、なぜか、石ころが身近に感じられるように。

旅先で思わず拾ってしまった石ころ、山に登って記念に拾ったもの・・・
いつのまにか、ごろごろと増えてきました。

死を意識した時に、改めて、時間というものに気付かされます。
時間を越えたい、という潜在意識の現われでしょうか?

             

歌集のなかで気に入った歌。

  石の上に雪がひそひそつもりおるかたわらに立つ吾すらもなし


             

  方代の歌集ひらけば冬の虹歌のあいだに潰されている  遅足





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お下がりのセーター痩せし編み目かな  値遇

2010年12月19日 | Weblog
古くなって糸の細くなったセーター。
痩せし編み目と表現して、句に表情が生まれたような気がします。

少子化社会。お下がりというコトバも死語に近づいているかも。
わが家の子は、男二人。
女の子が欲しかったのですが、
子育てがタイヘンと三人目はあきらめました。

つい最近、姪が4人目の子供を出産。
4人目も男の子だったそうです。

この句の作者は何人姉妹なんでしょうか?
お下がりのセーターというから三人かな?
お下がりを頂いた妹は、ちょっと姉が羨ましい。

編み目を痩せた、と表現したココロや如何に・・・

                  遅足
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鰤起こし真鶴に居る姉一人    朱露

2010年12月19日 | Weblog
 
   「鰤起こし」は鰤の漁期冬に鳴る雷。
   横須賀から親の在所真鶴へ疎開した。
   冬は鰤網そして鰤の刺身と照り焼き。
   空気銃でヒヨドリを撃って照り焼き。

            



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冬のバラ       草女

2010年12月18日 | Weblog
 立田の道の駅でバラの花を買ってきた。茎が細いという難があるものの5本200
円という安さに10本を活けた。我が家では花があってもなくても誰もなにも言わな
い。

 ユリを活けると息子が「この匂いが苦手っす。」と言うだけ。だから1人で「いい
ね、いいね。」と悦にいっていて気付いたのは、香りがしないこと。1本1本鼻を近
づけ調べてみる。9本の深紅のバラは全く香らないが1本の白バラは強くはないが香り
がある。種の特徴?冬だから?それともそれが安い原因?

 道の駅では生産者が記されていることが多くなった。バラの花束にもあったが、す
でに捨ててしまった。私にできたことは鶴舞公園へ行き、バラの香りを嗅いでみたこ
と。

 公園に植えられているバラの大半が四季咲きであるから、この寒さの中でも随分咲
いている。春はバラ園に近づけば、香りがしてくる。さすがに今は鼻を花までもって
いらないと匂はないし、強さは種類によって差があるというものの香りはある。冬だか
ら香らないという仮説はきえた。

 冬薔薇は三冬の季語だそうだが、この言葉は谷村新司の「群青」を思い出させる。
反戦歌のようのにも聞こえるし戦争を賛美しているようにも聞こえる歌だ。その一節
手折れば散る薄紫の  野辺に咲きたる一輪の  花に似てはかなきは人の命か  せめて海に散れ 思い届かば  せめて海に咲け 心の冬薔薇

 小説や歌詞は作りごとでいいと思っているが、一言、言ってみたかった。「野辺の
薔薇は冬には咲かないし、薄紫の薔薇は自生していないよ。」

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老いの身にセーターバチバチゲキとばす   能登

2010年12月18日 | Weblog
静電気の存在が身近になったのは何時頃からでしょう?
子どもの頃、セルロイドの下敷きを擦って
静電気を起した記憶がありますが。

着るものに化学繊維が使われるようになって、
バチバチが身近になったようですね。

そういえば車のドアに手を触れて・・痛ッ!というのも静電気。

          

老いの身にバチバチは気持ちよくありませんが、
作者はゲキを飛ばされたと感じ取ったわけです。
まだまだ元気だ、という気概が伝わってきます。

能登さんは、先の句会の日も高山で働いていらしたとか。
セーターにゲキを飛ばされて頑張ったんでしょうね。
ご苦労様です。

          

                   遅足



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