日本男道記

ある日本男子の生き様

23・本所立川

2011年04月17日 | 富岳三十六景
23・本所立川(View fromTatekawa at Honjo)

現在の深川木場と同じく、本所の竪川筋にも木材問屋が多くあった。
このあたりを描いた作で佳作の一つである。
縦の直線と横の直線を左右からつめて、その間に対岸の問屋街と手前に働く人物を配して描いた構図は北斎ならではの構図の妙で、なによりもこの直線の技巧は秀技である。
さらに動く人物の生き生きした動作の巧みなことが特に目につくと同時に富士の姿の位置もいい。

富岳三十六景
「冨嶽」は富士山を指し、各地から望む富士山の景観を描いている。
初版は1823年(文政6年)頃より作成が始まり、1831年(天保2年)頃から1835年(同4年)頃にかけて刊行されたと考えられている。[1]版元は永寿堂西村屋与八。
発表当時の北斎は72歳と、晩年期に入ったときの作品である。また西洋画法を取りいれ、遠近法が活用されている事、当時流行していた“ベロ藍”ことプルシャンブルーを用いて摺ったことも特色である。
浮世絵の風景画は当時「名所絵」と呼ばれており、このシリーズの商業的成功により、名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立したと言える。
「凱風快晴」や「山下白雨」のように、富士山を画面いっぱいに描いた作品から、「神奈川沖浪裏」や「甲州伊沢暁」のように遠景に配したものまであり、四季や地域ごとに多彩な富士山のみならず、各地での人々の営みも生き生きと描写している。
日本のみならず、ゴッホやドビュッシーなど、世界の芸術家にも大きな影響を与えた。
当初は名前の通り、主版の36枚で終結する予定であったが、作品が人気を集めたため追加で10枚が発表され、計46枚になった。追加の10枚の作品を「裏富士」と呼ぶ。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Daily Vocabulary(2011/04/17)

2011年04月17日 | Daily Vocabulary
10986.firsthand knowledge(直説得た知識、体験に基づいた知識)
Not too many people get that kind of firsthand knowledge of the ways of the business world passed on to them like that.
10987never cease to amaze(いつも驚かされる)
It never ceases to amaze me how many young people don't possess the basic skills they need for the work.
10988.it break my heart(嘆かわしいことだ、それは悲しいことだ)
It break my heart. I want to give them a chance.
10989.basic skill(基本的技能)
Is it too much to expect them to come to the job with at least basic skills?
10990.blame(失敗・悪状況に対する責任)
I think parents and schools have to share a lot of the blame.
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四国八十八ヶ所 第八十三番神毫山一宮寺/香川県高松市(2010/10/02)
 

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アスファルトの隙間から健気に生きています。
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