阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

一万歩ぶらぶら その2  深田池と住吉川までの木々や花々

2016年03月04日 | 身辺あれこれ
深田池にはこの日は釣り人が二人いた。みんな池の柵に合わせた手製の専用の椅子を持参しているのが可笑しい。





欅の木だろうか、神戸ではあまり見ない大木だ。



椿が咲いていた。

桃の花だろうか。

踏切の真ん中でチンチンと鐘が鳴りだした。

今冬は数年来の寒さで露地に置いたアロエや鉢植えが凍ってやられたが、阪急の線路の高度まで下りると
零度以下にはならなかったようだ。沢山の花が路傍に植えられて咲いていた。












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諏訪・御柱祭  教えて!御柱祭(9) [Q]最も太かった御柱の記録は?  信濃毎日新聞

2016年03月04日 | 諏訪便り

 

今回の御柱祭で下社側で最も太い「秋宮一」の御柱(中央)=下諏訪町の「棚木場」

 諏訪大社御柱祭で引かれる御柱は太く立派ですが、最も太かった柱の記録はあるのでしょうか。
 
   ◇
 
 御柱の太さは、山にあった時の「目通り」(人の目の高さ)の幹回りで示されるのが一般的です。今回の御柱は、特に太くて立派だと言われます。2010年の前回と比べ、ほぼ全ての柱が太くなっており、特に「前宮一」は前回を45センチも上回ります。
 
 大社大総代会の資料によると、明治以降で最も太い御柱の記録は、戦後初めて行われた1950(昭和25)年の「秋宮一」で、目通りは4メートル6センチあったとされます。4メートルを超えるものは、上社側でも下社側でもこのときだけです。
 
 なぜこれほどの巨木が選ばれたのか。過去の御柱祭の写真を数多く保管する諏訪郡下諏訪町の写真店主、城取誠さん(85)によると、軍隊から復員してきた若者たちが「死んでいった仲間の分も引きたい」という思いで太い柱を見立てたということです。
 
 この時の「秋宮一」について、城取さんは「誰かに押し上げてもらわないと柱に乗れないほどだった」と言います。山出しの際には、諏訪地方では当時希少だったブルドーザーで後ろから押したといいますから、重さも相当のものだったのでしょう。
 

(2016年3月 2日掲載)

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ある日の夕食は「シューマイ・春雨プレート」やひさしぶりの「KFC」

2016年03月04日 | ある日の肴/夕食




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