枯れ木のように見えた山椒にわずかに緑の色が見えだして嬉しい↑、岡山県総社市でとれた実生から大きな木に育ちました。
松の若芽
金木犀
あじさい
楽屋ネタ。
松前漬は数の子が定番だがいかさしの松前漬もなかなかのもんです。Myoさんありがとうございます。


高野豆腐を使った煮物は毎日でもいいくらいの子供のときからの好物です。

ブログ初出2015年10月2日。
神長官守矢氏の先代が毎朝拝礼した小社。現在もここに在ります。
御頭祭。
昨年4月20日のエントリーから
2014年4月15日
長野県、諏訪大社本宮と前宮にて「御頭祭」が行われました。
午前10時頃から本宮で儀式が始まり、昼休憩後、13時より本宮から前宮へ神輿と行列で向かいました。
14時前に、前宮の十間廊にて「御頭祭」が行われ、15時過ぎに本宮へ行列は戻ってゆきました。
全文と画像はこちら。
「御頭祭」は諏訪大社の数ある神事の中で、出雲系外来氏族(弥生人)と原住系氏族(縄文人)との闘争と融和の結果として生き残った神事です。
有史以前から諏訪の地に住み着いた原住系氏族は、狩猟と木の実などの採集をメインとした縄文人でした。
縄文人の生活様式の伝統は日本で唯一許された「鹿喰免」につながり、往時の神官は「鹿喰免」と言う御札を全国に配り、
この御札を持てば鹿や猪の肉食が可能でした。
御頭祭の史実と現状を詳細に記述したサイトはこちらです。
画像は二つのサイトから引用しました。
Wikipediaから部分引用。
御頭祭
4月15日に上社で行われる祭。別名「酉の祭り」「大御立座神事(おおみたてまししんじ)」「大立増之御頭」と言われている。
現在では、鹿や猪の頭の剥製が使われているが、江戸時代に菅江真澄の残した資料に、白い兎が松の棒で串刺しにされたものや鹿や猪の焼き皮と海草が串に刺さって飾られていたり、
鹿の脳和え・生鹿・生兎・切兎・兎煎る・鹿の五臓などが供され、中世になると鹿の体全体が供され、それを「禽獣の高盛」と呼んだという内容が残っている。
前回に掲載した「御頭祭」のエントリーはこちらやこちら。
江戸時代の御柱祭で使われた「笠」(中央)や「輿」(左奥)を展示している会場
(2016年3月12日掲載)