3月某日、湊川神社の境内にある「楠公会館」の昼食会に参加しました。この日の湊川神社は雨にけぶっていました。
食事のあと90人の参加者が講演を聞きました。
終わってから、高速神戸駅から地下街を散歩して、新開地駅まで歩きました。上へあがると新開地本通りです。
向こうに見えるラウンドワンは元は映画館の「聚楽館」があった場所です。聚楽館は新開地が「東の浅草、西の新開地」と言われて神戸一の繁華街だった頃、
芸者置屋の息子だった映画評論家の淀川長治さんが幼児の時から親に連れられて毎日通ったと言われています。
聖なる湊川神社から俗なる立ち飲み店「世界長」(クリック)への移動もまた楽しい。
食事のあと90人の参加者が講演を聞きました。
終わってから、高速神戸駅から地下街を散歩して、新開地駅まで歩きました。上へあがると新開地本通りです。
向こうに見えるラウンドワンは元は映画館の「聚楽館」があった場所です。聚楽館は新開地が「東の浅草、西の新開地」と言われて神戸一の繁華街だった頃、
芸者置屋の息子だった映画評論家の淀川長治さんが幼児の時から親に連れられて毎日通ったと言われています。
聖なる湊川神社から俗なる立ち飲み店「世界長」(クリック)への移動もまた楽しい。
画像は「諏訪の神々」から引用。こちら。
ある時この神域に入って行ったら、ある地点で結界を越えたらしく、阿智胡地亭の体に震えが来ると言う不思議な体験をしたことがあります。このコラムの筆者藤森照信さんの実家も神長官守矢家がある高部の集落にあります。照信の名は守矢家当主が名付け親です。なお七年目に一度の天下の奇祭、諏訪大社の「御柱祭」は来年です。
オリラジの藤森慎吾クンは阿智胡地亭の父親が卒業した小学校の後輩になる。その諏訪市立高島小学校はまた阿智胡地亭の父方の従兄弟や従姉妹9人が通学した。