阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

最近のランチも麺類三兄弟  + かき揚げ茶漬け丼

2021年08月04日 | ある日のランチ

☝ シーチキンを入れたペペロンチーノ

☟塩焼きそば

フェットゥチーネ

かき揚げ茶漬け丼

 

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阿智胡地亭便り㉚ #93<インドネシアに残った日本兵 ジャピンドの樋口さん>   こんな便りを2002年頃からメールで友人知人に発信した。 

2021年08月04日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

#93<ジャピンドの樋口さん> 2005年9月30日メール発信


• 今日の新聞に◇インドネシア独立運動に身を投じた「帰らなかった日本兵」1000人の声◇と言う記事が出ていました。

その書名の本が発刊されたと言う文化欄の記事の題名でした。

これを見た時、1976年(昭和51年)にジャカルタで出会った樋口さんを思い出しました。樋口さんは、そのとき私が随行した会社のS役員の大学時代の同窓ですが、
国籍はインドネシア人でした。戦争前に愛媛県のN市にあった何社かの会社の共同独身寮で、会社は違ったけれどSさんとラグビー部の親友だったと聞きました。


☆{「帰らなかった日本兵」とは、日本の敗戦後、再支配を目指して攻めてきたオランダや英国など連合軍に対するインドネシアの独立運動に身を投じ、
祖国日本に戻らなかった兵士たちである。数は確認できただけでも約一千人。多くが独立後に現地女性と結婚、インドネシア国籍となった。}


 樋口さんは召集を受け会社の寮から帝国陸軍に入隊し、部隊はインドネシアのスマトラ島に駐屯していたそうですが、戦争末期の戦いでオランダ軍の捕虜になり、
銃殺される寸前に、駆けつけた(長く樋口さんが青年達を教育していた村の)村長の嘆願のお陰で釈放されました。そしてその後、インドネシア独立戦争の時に、
インドネシア国軍に参加するよう頼まれ、そのまま将校として銃を取りインドネシア兵を指揮し、オランダ軍との熾烈な戦いに加わったそうです。



日本には原爆が落とされ、空襲で殆どの町や村が焼けてしまったと聞かされ、もう自分の親兄弟も皆亡くなってしまったと思ったことも、
インドネシアに残った理由の一つでしたとも言われました。


 彼は秋田鉱専 (現 秋田大学 国際資源学部)で鉱山学を学んだキャリアを生かし、国軍の技術将校として重用され、

インドネシアの国籍を取り、栄進され、個人的には、インドネシア婦人と結婚されました。

インドネシアが独立し、日本と国交が回復したあと日本の親族とは連絡が取れ、そのご交流を再開されているが、もう妻、子供もあり生活の基盤もこちらにあるので、
日本に戻ろうとは思わなかったそうです。そして日本の国が戦後、経済復興を遂げていきつつあるのを心から喜んでおられました。

「こうして日本企業が昭和40年代からインドネシアでビジネスを盛んにするようになり、いろいろなお手伝いをしてお役に立てて、私などは幸せです。
戦友の多くは、せっかく太平洋戦争で生き残ったのに、インドネシア国軍の将校としてオランダ軍と戦い、戦死したものも多くいますから」と言われました。

はじめてホテルに現れてお会いした、樋口さんは色浅黒く、濃い口髭を蓄えた、目の鋭い精悍な日本人男性でした。そしてお話をされる間、温和な笑みが
顔に絶えることはありませんでした。子供さんはアメリカの大学に留学されているとかで、アメリカと日本にも仕事で良く行っていますとの話でしたが、
当時国外に出て2,3回目の私には、こんな風に生き抜いてきた日本人がいるんだと強く心に残りました。

☆{終戦からすでに60年。千人を数えた残留日本兵の生存者も、現在は9人にまで減ってしまったが、その方々のご存命中に発刊でき、
ほっとしている。日本でより多くの方に読んでいただくためウェブサイトも開設した。現在残留日本兵の子孫は、二世、三世を含めおよそ2千人である。・・・}

*ジャピンドとはジャパニーズ・インドネシアンを略して言う言葉だそうですが、樋口さんは、自分がジャピンドと呼ばれるような人生を、
送ることになるとは思ってもみませんでした、と言われました。

☆出所:2005.9.30 日経朝刊44面。ヘル・サントソ衛藤

ヘル・サントソ衛藤さんの講演「日系インドネシア人として生きること」@バリ日本語補習校 こちら
記録集「インドネシア独立戦争に参加した『帰らなかった日本兵』、一千名の声」
(1)残留日本兵記録集出版
(2)残留者数
(3)インドネシア国籍取得
(4)福祉友の会設立の過程
(5)一時里帰り
(6)自衛艦招待訪問
(7)軍人恩給一時支給
(8)叙勲

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歌人 俵万智さんの ツイッターから

2021年08月04日 | 音楽・絵画・映画・文芸

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「自宅療養」政府方針、与党も自治体も批判 公明「中等症ケアを」 | 毎日新聞

2021年08月04日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・

 一方、野党は、自宅療養の増加につながる政府方針を「最悪の自助」(共産党の小池晃書記局長)などと批判している。立憲民主党の枝野幸男代表は3日の党会合で「自宅療養は言葉だけで放棄としか言いようがない。全く危機対応がなっていない」と指摘。安住淳国対委員長も記者団に「重症でなければ病院に来るなとも読み解ける」と批判した。

 共産の志位和夫委員長はツイッターに「首相自身が『医療崩壊』を事実上認めた」「大きな危険を伴う政策転換だ」と相次いで投稿。国民民主党の玉木雄一郎代表も「入院の基準を変えることは極めて重要な運用の見直しで、速やかに臨時国会を開いて議論しよう」とツイートした。野党は憲法53条に基づく臨時国会の早期召集を改めて求めるとともに、4、5両日の衆参厚生労働委員会の閉会中審査で追及する構えだ。

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