愛媛県新居浜市にお住いの上出拓郎さんから一宮(いっく)神社の「楠のエピソード」と共に、その写真を送って頂きました。
今はこの世から消えたニューヨークの貿易センタービルに上出さんがニューヨーク支店の責任者として勤務されていた頃、
ニューオーリンズからの帰途、ある日の昼時にお訪ねして、小さなロシアレストランで旨い料理をご馳走してもらったのは、もう30数年も昔のことです。
→「さて、今日はヒロシマの爪痕の写真をひとつ。
四百数十年前、新居浜一帯は四国征伐で強行上陸したヒロシマの小早川2万数千の侵略軍によって、
攻め立てられ、住民の頑強なゲリラ戦に手を焼いたヒロシマ軍は焦土作戦を敢行、西条から三島にいたる、
すべての寺社は焼き払われました。
楠は通常まっすぐ高く伸びる樹なのですが、一宮神社の参道の数十本の楠は写真のごとく奇怪な形をしています。
地元の言い伝えでは、焼き払われた樹木の根だけが残り、数年してその根から出てきた芽が成長してこのようになったとのことです。
まさに、ヒロシマによる爪痕です。」引用ここまで。
頂いたメールには「新居浜市の歴史」というファイルが添付されていました。
その一部をご紹介します。
新居浜市の歴史
この地方には数千年の昔から人々が住みついていたことが、遺跡や発掘物から知られる。
この地方は隣の地域とともに、豊富な金属の産地であったため、古代から、砂金、銅の鋳造、土器の製作、製塩、水産業、米の栽培、定期的にここかしこで市が開かれ、
北海岸にある港から産物が北海道までも積み出され、繁栄していたことが、6-8世紀に建てられ、その後たびたび建てなおされ今にのこる多くの神社、仏閣からうかがい知ることができる。
7世紀に統一国家によりこの一帯は神野郡という名で郡制度に組み込まれた。8世紀に、新庁舎を今日の新居浜市中村近辺に移し、そこを「新居」と呼んだ。
そして、この新居の北の海岸を新居浜と呼ぶようになった。尚、神野郡は後に新居郡と呼ばれるようになった。
9世紀以後中央政府の力が弱まり、地方の豪族たちがこの地方を実質的に支配することとなった。
10世紀にこの地方の小島に村上氏が移住し、もともと航海にたけていた住民たちを組織して海賊となり、のちに内海を支配する水軍のいしずえを築いた。
12世紀から金子氏が居城金子城によりこの地をおさめていた。
16世紀中期に、全国制覇をめざす秀吉の命により、沢津浜に強行上陸した広島の兵2万余からなる小早川侵略軍と戦って敗北した。
多大の人的被害を蒙るとともに、侵略軍のとった焦土作戦によりこの地域は荒廃し、以後寒村となった。
17世紀に徳川幕府の直轄地、西条藩および小松藩の領地とに分割された。ある山の北斜面では古代から銅鉱を採掘していたが、
住民は南斜面にもっと大きな銅の鉱脈があることを知っていたが、幕府は採掘の免許を住民には与えずに、17世紀に大阪を基盤とする企業家”住友”に免許を与えた。
住友企業は鉱石の採掘を開始、鉱石は北岸の港から大阪へ積み出され、そこで精錬、、出島へ廻送されたものが、オランダ商人によって輸出された。
住友はこれにより大きな資金を蓄積した。
銅鉱石の採掘の開始と同時期に、西条藩の免許のもとに、東北の沿岸に塩田の開発が始まった。
20年後に広島の塩田技師天野氏を招聘し、塩田の近代化と大規模化をがはかられた。
19世紀にはこの塩田は全国最大規模の塩生産者のひとつとなり、塩は港から北海道までも送られるようになった。
塩の生産は明治維新まで西条藩の事業として経営されていたが、のちに株式会社が設立された。
中見出し・・・<菅政権は全力で国民の生命を救おうとはしていない。何もしなくても「政権は安泰」と高を括っているからだ>
棄民政策としての日本のコロナ対策
人々が死んでいくのを放置する日本政府
市民をナメている日本政府
では、日本政府はなぜ市民を助ける気がないのか。それは日本政府が市民を恐れていないからだ。彼らが恐れているのは利権関係でズブズブな大企業、業界団体であり、だからその癒着のもとで、GoTo やオリンピックなど、コロナそっちのけて自分たちの利益追求に走ることになる。
菅政権がこれまで様々な問題に対してひどいコメントをし続けてきたことはよく知られている。それらは互いに矛盾したものも多い。たとえばオリンピックについては、日本政府には開催するかどうかを決める権限がないといいながら、最近では「やめるのは簡単だ。しかし......」と言い出している。
結部・・
これはつまり、自分たちがいくら酷いことを言っても、自分たちは安泰だと考えているからだろう。『ドラえもん』のジャイアンが「お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの」という理不尽な理屈でのび太やスネ夫からものを取り上げることができるのは、ジャイアンの頭が悪く説得力のある理屈が考えられないからではなく、ジャイアンにはまともな理屈でもって相手を説得する必要がないからだ。たとえ自分の理屈が理不尽だと分かっていても、のび太もスネ夫も反論してこない。なぜなら自分は圧倒的な暴力を持っているから。つまり理不尽な理屈とは、相手を服従させる権力を自分は持っているんだぞというメタ・メッセージでもあるのだ。
このような日本政府の横暴と共犯関係にあるのは、どんなに首相や大臣の答弁が破綻していようと決してその場で突っ込まないメディアだろう。それどころか大手メディアは政府と一緒になってオリンピックを推進し、深刻な状況を深刻だと考えない雰囲気を作り出し、状態をますます悪化させてしまっている。
このコラムで再三再四主張していることだが、責任概念を取り戻さなければいけない。日本は安倍政権から菅政権にかけて、責任概念を国全体で喪失した。そしてコロナ禍でもそれを回復することはできなかった。私たちは今、その代償を払っている。
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自宅療養で人々を見殺しにすると決めた菅首相 https://t.co/0T0fYe8Teb
— achikochitei (@achikochitei1) August 9, 2021