阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

「私たちはどこから来てどこへ行くのか」は脳の中をガクガクさせてくれた。

2021年08月28日 | 乱読は楽しい

最初はとっつきにくかったが 面白い題材で二日で読み終わった。よくこれだけ「ヒト」を多方面から研究している科学者がいるもんだと最初は驚いた。

結局明快な解は誰も持っていないし、現時点のホモサピエンスがいくら考えても結論は出そうにないが、こうして著者と多分野の科学者がインタビューを重ねる内容が

とても刺激的で面白かった。   にしてもウイルスはホモサピエンスがおよそ20万年前に地球上に現れるはるか以前の太古の時代から存在しているとは・・

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阿智胡地亭便り㊷ <高校の門扉に挟まれて死んだ少女> 過去の「ブログ阿智胡地亭の非日乗」から

2021年08月28日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

2005年07月06日(水)掲載

高校の門扉に挟まれて死んだ少女

神戸市西区の兵庫県立神戸高塚高校で、一年生の石田僚子さん=当時(15)=が教諭の閉めた門扉に頭を挟まれ、死亡した事件から、6日で丸15年を迎えた。
同日朝、卒業生らが同高を訪れ、黙祷を捧げた。
・・・当時の保護者らで作る市民グループ「生命の管理もうやめて!」が毎年、この日に開いている「追悼の集い。」
現地に集まる人は年々減っているが、今年も約20人が集まった。

2005年7月6日神戸新聞夕刊10面「誓う『風化させない』校門圧死事件から15年」から。

(当時子供が高校2年と中学2年でこの事件は他人事ではなかった。あの頃、公立学校が荒れていて、学校側は体育系の教師を先頭に、生徒の締め付けを
強化していた時期だった。

石田さんの両親は家を神戸に買って引越して来て、彼女は転校して間もなくだったと思う。

真面目なフツーの一年生女子高生である彼女は、初めての遅刻を恐れ、教師が押して加速がつき出した門扉をすり抜けようと必死に走りこんだらしい。

しかし門柱と扉に頭を挟まれ頭蓋骨陥没で2時間後に両親が病院に駆けつける前に亡くなった。

両親の心中を思った。まさかその朝、娘が学校で殺されるかのように死ぬと思うはずがなく送り出しただろう。
ここに家を買わなければこんな目に会わなかったのにとご自分達を責められるのではないかと。

先生のことも思った。まさかそんなことになろうとは露ほども思わず、きっと校長や教頭、先輩同僚の教師から与えられた遅刻管理という自分の

役割を真面目に果たしたのだろうと。)


今日の夕刊のこの記事は次のように結ばれていた。
同グループのメンバーで、元同校教諭の高橋智子さん(63)は、4月に起きた尼崎JR脱線事故が圧死事故と重なったと言う。「どちらも『予兆』」を無視し、

安全より時間を重視した結果。共通点ばかりで悔しくなった。事件を忘れず本当の意味で教訓を生かさなければ、人の命は守られないと思う」と話した。

高校の門扉に挟まれて死んだ少女・その2  2005年07月07日(木)掲載

先輩や友人、またばむさんからもいくつかコメントを頂きました。

お返事と言うわけではないですが、昨日の記事の続きとして以下を掲載します。


1)個人で言えば、自分のしていることや指示されたことを、何のためにやるのか、何故それをしないといけないかを考える事が出来なくなっていて、

どうすれば言われた事をうまくやりとげられるかしか考えていない。


組織や集団で言えば、「下の奴は、なんやかんや余分なことを考えずに言われたことだけをきちっとやればいいんだ」。

これらがご両親からすれば世界にたった一人しかいない娘を、通学先の高校で朝8時半に失う事になった原因のように私は思います。


☆神戸市教育委員会はこの出来事の原因を、この教師の個人的な異常な行動と結論付け、彼を速やかに懲戒免職にすることで、

彼にそのような行動を取らせた自らの指針から彼を切り離し、彼は過失傷害致死の罪で裁判を受けました。


2)時間のことについては下記を抜書きします。

日本社会が共有している「時間」についての「強迫観念」が背景にあったのではないか----。
「ニューヨーク・タイムズ」紙はそう書いた。・・・略・・・大惨事が世界中のメディアで大きく報じられたのは、犠牲者の多さもさることながら、

「安全神話」が広く信じられてきた「あの日本で」、と言う驚きがそこには作用していた。いつも事故続発の国でこういうことが起きたら、

それは大したニュースにはならない。

 様々な原因が働いて起きた事故には違いないが、前の駅での1分半(90秒)の遅れを取り戻そうとと運転士が焦って速度を上げていた事、

その背景に日本の交通機関の「定時運行」の慣習があったことは明らかである。

「安全」と「定刻」が両立していたことが世界的に驚異と見られてきたのだが、前者を犠牲にしてでも後者を追求したのだから「強迫観念」と

呼ばれても仕方がない。「倒錯」と言われてもやむをえない。

・・・・略・・・

JR西日本の事故の顛末には、次々と“ロボット化”した人間像が登場した。上からの指示と規律に縛られ、それに馴化されて、自己判断に乏しい群像である。

「緩急自在」と言う絶妙な熟語を生んだご先祖を持ちながら、そこに「おのれが在る」と言いがたいのが悲しい。そこに表出しているのは、

人は何のために生きるのか、人が作った集団・組織が何のためにあるのかが忘れさられ、むしろ主客転倒してしまった姿である。

「そんなに急いでどこへ行く」が問われるのは何もJR西日本だけではない。


偶然だが、この運転士が必死になって取り戻そうとした「90秒」は、欧米の鉄道では誤差の範囲としてみなされている範囲だった。

つまり、90秒、列車が延着しても定刻と見なされる。
・・・以下略・・・

「(そんなに急いでどこへ行く)・シリーズ緩急自在のすすめ7、筑紫哲也」。岩波書店・図書7月号52頁、から抜粋。



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 医師法19条「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」をよく読み、私利私欲を捨てて、国民のために尽くすべき。

2021年08月28日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・日本は、安倍前首相時代からウィズコロナポリシーを貫いてきた。新型コロナウイルスは新しいタイプの風邪であるため、多くに人が免疫を持たない。  SARS、MERSのような致死性の高いコロナウイルスではないが、多くの人が医療体制を強化し、不幸にして感染して重症化した人には病院で必要な治療を受けられる安心感を国民に与え、かつ経済活動、社会活動を両立させることに主眼を置いてきたのである。  他方、分科会、日本医師会主導の考え方、ゼロコロナポリシーである。すなわち、コロナは死の病と煽り、緊急事態宣言を連発し、コロナの封じ込めを狙う(ゼロコロナ)。  従って新型コロナを「指定感染症、第1類ないし2類相当」というSARS(感染者数世界で累計8000人、死亡率11%)、MERS(世界で累計3500人、死亡率35%)、エボラ出血熱(世界で累計3万人、死亡率50%)相当の扱いにしておいた方が好都合であり、医療体制を強化する必要がない。  開業医・日本医師会はそもそもコロナにかかわりたくないので保健所と病院任せにつきる。  医療機関は、コロナ患者を受け入れることによって、赤字になる医療機関が多く、一度院内感染が起これば、濃厚接触者たる医療従事者が休まなければならず、更なる追い討ちがかけられる。  また、院内感染でも起ころうものなら、マスコミに叩かれて、他の患者がやって来なくなる。すなわち新型コロナウイルスは、医療機関にとって関わりたくない病気なので、開業医は来てほしくないのである。  分科会のメンバーは感染症専門医が中枢に陣取っており、彼らは医療のオペレーションに関しては全く無知であるため、医療体制の強化には手がつけられなかった。画像クリックで全文に飛びます。

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