阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

淡路島にこんなにたくさんの「タマネギ」由来のお菓子があるとは知らなかった。

2021年08月16日 | 食べる飲む

全て販売店は同じ会社だそうです。淡路島の道の駅でこれらをの品を買った人が、SNS上で通りかかると必ず買うと書いていたので

それなら間違いないと思って 家人がネットで取り寄せました。  確かにどれも旨いです。

 合せて同梱でこんな菓子も買いました。

 

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初めて、最初から終わりまで “通し” で観るテレビのワイドショーが出来た。

2021年08月16日 | 阿智胡地亭日乗
このところテレビで「大下容子ワイド!スクランブル」というワイドショーを生まれて初めて通しで毎日見ています。
 
始めから終わりまでは かなり長時間なので、まずブルーレイで録画しておいて、録画した番組からコマーシャル部分を全部削除してから観ています。
このコマーシャル削除作業を事前にしておくと 2時間半ほどの番組が2時間程度の時間になります。
 
 
「大下容子ワイド!スクランブル」はいくつもあるテレビのワイドショーの中では一番まっとうかなと思いますが
(直近では 見つかった田辺聖子さんの戦中の青春日記の20分を越える特集は白眉だった)
 
それでもテレビ業界のワイドショーというのはかなりの部分を「人の不幸を商品にして売っている」んだなと時々思います。
 
ワイドスクランブルはまだよほどましな方ですが、時々見るほかの局のいろいろなワイドショー番組も
 
正義の味方風の顔をして結局は水に落ちた犬に石を投げる」ことをして 成立しているのは
 
 まずはテレビ運営企業の経営ありき(視聴率が上がってなんぼ)と言う資本主義経済社会ではやむを得ないですが、見ていると時に腹立たしくなり、
 
結局は「孤独のグルメ」や「ポツンと一軒家」「ファミリーヒストリー」などの録画番組を繰り返し楽しむことになります。
 
直近の「ファミリーヒストリー」clickの所ジョージ篇は、両親それぞれの代々のルーツが純粋に農家の出で
その環境条件から生き抜いてきた日本の庶民の人物史や生活史がめちゃくちゃ面白かったです。
 
  「ファミリーヒストリー」という番組を見ていると、日本のどの家族も例外なく 太平洋戦争という戦争に それぞれの生活や人生が
大きな影響を受けていることがわかる気がします。
 
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福島原発 作業員日誌 から  東京新聞

2021年08月16日 | SNS・既存メディアからの引用記事

2012年8月13日付東京新聞

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"戦争は嫌です"で終わらせてはいけない」知の巨人が恐れた"日本社会の習性"   BLOGOS

2021年08月16日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・

「精神力」を頼りに戦争に入っていった日本

その時の話を、私はよくおぼえている。それほど衝撃的、かつ刺激的な内容だったのである。立花は時に苛立ちを露骨に表しながら話し続けた。聴衆も特に騒ぎ立てるわけではなく耳を傾けていた。それだけ立花の話は関心が持たれたのであった。

私は立花が近現代史の研究者やジャーナリストなどとは一味違うな、と思ったのもこの時であったが、彼は戦争はなぜ起こったのか、どういうシミュレーションの元での判断だったのか、彼我の戦力比をどう考えるか、という点にポイントを絞って論じた。

対アメリカとの戦力をどう比較したのか、そこを問題にしたのである。すべての数字は戦争の結果について「勝利」などはあり得ない、というのが結論のはずなのに、それでも戦うというのはどういうことなのか。そのことをこの時は説いたわけではないのだが、立花が問題にしたのは以下のようなことだった。

軍事が行うシミュレーションの折に、敵と味方が衝突したら、その勝敗についていくつかのパラメーター(変数、測定値)にいろいろ数字を入れていく。客観的な数字を入れるだけでは、日本に勝ち目はない。

ところがもっとも楽観的な数字を入れると、それでも敗北と出るが、しかし僅差で敗れるとなる。そこで軍事指導者たちは、日本には精神力という数値化できないプラスがある、といったような判断をする。そして戦争に入っていったということになる。    中略  

私は日本の軍事指導者の最大の欠点は、「主観的願望を客観的事実にすり替える」という点にあると考えてきた。そういう例にまさに符節すると思った。立花のこういう指摘は、実は無意識のうちに「ある立場(日本的指導者というべき)」に立つ人の思考方法そのものだとも気がついたのである。

    画像クリックで全文に飛びます。

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