阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

神戸市役所24階の 展望ロビーから見たポートアイランド  2011年7月15日撮影 Kobeノスタルジックシーン シリーズから

2021年08月30日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

神戸市役所1号館24階

24階には展望ロビーがあり、地上からおよそ100mの高さからの神戸の眺望が楽しめる。

 

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令和4年御柱祭プロモーション動画

2021年08月30日 | 諏訪便り

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阿智胡地亭便り㊹    <新刊「国家とはなにか」> を読んだ。 

2021年08月30日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

家とはなにか       2005年10月10日(月)「ブログ阿智胡地亭の非日乗」掲載

今年六月、「国家とはなにか」という、そのものずばりのタイトルを掲げた本が刊行された。著者の哲学者、萱野稔人氏(35)はこの本で
「そもそも国家が存在しているというのはどういうことなのか」という「根本的な問い」をたて、国家を統一的な視座から理論化すること」を目指した、と述べている。
 問いに対する萱野氏の答えはこうだ。
国家は「暴力にかかわる運動」であり、「暴力が社会の中で行使されるあり方の一つとして国家は存在している」
萱野氏によれば、社会のなかで暴力は様々なエージェント(行為主体)によって行使される。暴力を組織的に用いる政治団体のあるものが、
一定の領域内での暴力の行使を正当なものとして独占し、他のエージェントによる暴力を正当でないと押さえ込むようになったとき、国家が成立する。
そして、国家は秩序と支配を維持するために暴力を「組織化」し、暴力を背景に住民からの税の徴収という形で収奪する。収奪された富は国家が
自らの暴力を強化することに使われる。
・・・・中略・・・・・
暴力を議論の中心に据えるのは「今の日本では見えにくいが、国家のリアリテイを最も強く感じさせるのは決定に逆らった時の暴力を伴った制裁。
道徳的な判断をこえて、社会秩序を作り出す暴力の機能に注目しているから」という。
・・・・中略・・・・
哲学者、高橋哲也氏(49)が今年八月に刊行した『国家と犠牲』。この中で高橋氏は、戦争などで国民が死ぬと国家はそれを「祖国のため」の
「尊い犠牲」としてたたえ、他の国民にもそれに続く「自己犠牲」を求める、と述べる。そして、戦争に備えて軍や武装組織を保有する国家では、
軍の死者を「尊い犠牲」として顕彰する装置が本質的に不可欠なものであると、主張する。
・・・。以下略
日経朝刊 '05.10.08 40面 "気鋭の国家論 冷戦後を問う"ー「暴力」「所有権の視座から」 日経文化部・上原克也
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「国家」とはそもそも何者なのか。こんな書き出しのこの文章を読みました。
映画「二十四の瞳」を小学生時代に学校から見にいった時、当時の自分と同じ年齢の12人の児童の運命が、男は赤紙一枚で日常生活から切り離され、
女は女で男手のいなくなった家族のために稼ぎに出て、12人全員の生活が、人生が一転するのを見ました。そういうようになるしかない彼らやウチラは、
つらいもんやと思い、なんでそうなるんやろと思いました。それから時々そんなことを思ってきました。
最近は、イラク戦争に足を入れて抜け出せず、普通の家庭の息子や娘を兵として送り込んでいるアメリカを見て、国というのは一種の暴力機構とも
言えるのかなと思っていたところにこの記事を読みました。



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「重症化するまで患者を放置するのはおかしい」    現役医師がコロナ専門家に憤る理由 自粛だけでコロナは終わらない

2021年08月30日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・

自宅療養で深刻化する「治療ネグレクト(放置)」

メディアでは新型コロナの陽性者数の激増や在宅死、妊婦さんの死産が伝えられ、連日「陽性者数増大」「自宅療養者数増大」「医療崩壊」の大合唱が続いています。

出口のない緊急事態宣言が何回も出され、全国知事会はロックダウンまで言い出しています。子どもたちは修学旅行すらキャンセルを強いられ、私たちのイライラや経済的損害、社会や教育の破壊も広がっています。

なぜこのようなことになってしまったのか。私は、現在の"自粛一辺倒"の政策は、社会と臨床を理解しないまま政府に助言を与える“コロナ専門家”たち(政府分科会やアドバイザリーボードの専門家)によるマネジメント(注1)に問題があると思っています。

コロナ患者さんは医療機関ではない保健所に管轄させ、入院すらできず自宅療養を強いられています。8月27日の厚生労働省の発表によると、新型コロナに感染し自宅療養中の患者は25日時点で過去最多の11万8035人に上り、初めて10万人を超えました。

しかし初期治療を施さず、患者に重症化するまで自宅にとどまらせる現状は、まさに「治療ネグレクト(放置)」と呼んでいいと思います。

これまでコロナ専門家やメディアは、新型コロナが感染症の一つにすぎないにもかかわらず恐怖と不安だけを強調してきました。私は、過剰な自粛や人流抑制に偏ったコロナ対策の結果生じた私たちの損害について繰り返しお伝えしてきました。方向性を見誤った結果、現状のような「治療ネグレクト」が深刻化していると考えています。

コロナの唯一の出口戦略は、治療体制を整備することです。初期治療から一貫した治療を患者さんに提供することです。治療の間口を広げ重症化を防ぎ、万が一重症化してもしっかり治療できる体制の構築が何よりも必要です。こうしたマネジメントは、起きている出来事を観察して未来の方針を立てることが基本です。  画像クリックで全文に飛びます。

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