冷凍・冷蔵技術がなかった時代、海を遠く離れた地域では 魚と言えば湖や沼や池や川で捕れる「鯉やフナ」だった。
冠婚葬祭の折にも 弔いや祝い事の集まりの皆さんに供されるメインディッシュは 淡水魚の王様 鯉の料理だった。
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元々宮坂という姓は、長野と新潟県境に多かったのですが、上杉謙信公の時代に諏訪に残ったものと、上杉家に使えたものの二手に分かれたようです。
宮坂家の祖先は、上杉家が越後から会津に移封され、その後主君と供に米沢に辿り着いた下級武士でした。
初代長三郎は下級武士の3男ということで、家を出て生活を立てるために神社・仏閣での緑日市・祭礼において露店で営業するテキ屋や香具師、
および行商人や旅人の宿泊や営業場所の確保と世話をする庭主(世話人)をしておりました。その庭主の組合を「神農会」といい、
その組織の元締めもしていたようです。
一方同時期に妻いさが、玄関先を改装し鯉料理を中心とした「煮しめ屋」、今でいう惣菜屋を始めました。過去帳によると嘉永二年(1849年)の創業です。
主に川魚の惣菜を作り販売、その後仕出屋に発展し、江戸末期には本格的な店舗を構え小売も始めました。これが鯉の宮坂、現在の「みやさかやの」原点です。
(HPから一部引用)