阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

ある日の昼食は「ソース焼きそば」や「サーモンバーガー」

2022年02月07日 | ある日のランチ

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「寅さんの原点」        山田洋次監督          2006年03月01日(水) ブログ「阿智胡地亭の非日乗」 掲載

2022年02月07日 | 音楽・絵画・映画・文芸
 

○園尾 監督の作品には,いつも民衆の思いやりのある目を感じます。特に,野心を持たないで小さな夢を持っている者を優しい目で見ておられるなと感じます。

これがどんなところから出てくるのか,お伺いできればと思います。

○山田 僕は中学2年のときに満州から引き揚げてきまして,親戚を頼って,山口県の田舎で戦後の大混乱の時代を過ごしました。おやじの仕事もないし,食べる物もない。

そんな時代に,引揚者というのは,殊さらまた貧乏なんですね。一種の難民みたいなものですからね。

敗戦までは,満州は日本の植民地ですから,日本人は割にいい暮らしをしていたんです。

それが突然,本当に最下層のレベルのようなつらい生活を強いられて,中学生でもアルバイトをしながら学校に行っていたんです

そのときの体験が僕にとって貴重だったような気がしますね。自分がつらいときは,ちょっとした親切とか,優しい言葉をかけてくれたことがものすごくうれしい。

 中学3年のときだったかな,海岸の町でしたから,ちくわとかかまぼこを仕入れて,いろいろな店に卸して歩くんですが,あるときどうしても売れないんですね。

これがみんな腐っちゃったらどうしようもないので,駅の近くにある草競馬の競馬場に行ったら,屋台がバーッと並んでいます。

そこで「ちくわは要りませんか?」と言ったら,一人のおばさんが「あんた,中学生かい?」と言うんですよ。

「はい,そうです。」「こんなことしなきゃ食べていけないの?」と言うから,「僕は引揚者で,おやじが仕事ないものですから・・・。」と言ったら,

「みんな置いていきなさい。あんたね,これからもし売れ残ったら,いつでもおばさんが引き取ってあげるから。」。

そう言われたとき,僕は何か涙がぽろぽろ出てね,うれしくて。

もう昔のことだからそんなに覚えていないのですが,何かそのおばさんがとても美しい人に見えて。多分,実際はそうじゃないと思いますよ(笑)。

だけど,色の白いきれいなおばさんだったなというふうに・・・。

その後,余り甘えちゃいけないと思って,そんなに何度も行きませんでしたけれども,行くと,「ああ,来たかい。さあ,みんな置いていきなさい。」なんて。

そういうおばさんの言葉というのは,生きることに絶望した少年に生きる勇気を与えるぐらい,一人の少年の生命を救うぐらいの力があると思います。

○園尾 そのお話を伺うと,監督がおつくりになった映画のことがとてもよく分かります。

○山田 寅さんという人もそうだと思うんです。本当に絶望している人には,「君は間違っているんだ。」というようなことは絶対に通用するわけがないし,

あるいは「こうしなさい。」というのも通用しない。まずは一緒に泣いてやるというか,「ああ,つらいね。聞いてるとおれも涙が出ちゃったよ。」と言って。

それがまず一番つらい人を助けることだろうと思うんです。その次には,おもしろいことを言って笑わせる。

ついさっきまで泣いていた人がくすくす笑っちゃう。寅さんができるのはそこまでですよね。さらに仕事をあっせんするとか,

こういうふうに考えたらどうだとか,そういう難しいことはできないんです。頭が悪いから。だけど,あの頭の悪い寅さんでも,

一緒に泣いてやって,おもしろい顔をして見せたり,ばかなことを言って笑わせたりすることはできるわけですよね。

それが寅さんという人間のこの世における存在理由だと思っています。

         山田洋次監督のある対談から引用。

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