阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

日向ぼっこする猫が路上にいる駅への道

2022年02月13日 | 身辺あれこれ

ここから6分歩くとJRの駅の改札口につくとは思えない。区内とはいえ都内最東部の区の「在」のある日の冬の午後。

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茨木のり子の伝記「清冽」を読んでいます。                     2011年02月13日(日)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

2022年02月13日 | 音楽・絵画・映画・文芸
 

後藤 正治 (著) 「清冽―詩人茨木のり子の肖像」を読んでいます。 

 茨木のり子という詩人の詩集はいくつか持っていますが、茨木のり子の個人的なことは、これまで私は知りたいと思っても殆ど知ることが出来ませんでした。

ただ父親が長野市出身のお医者さんで、愛知県幡豆郡の吉良町で医院を開業し、彼女も吉良町で育ったことはネットでclick宮崎医院にヒットしたことで知りました。

(現在の医院のHPには現院長の伯母にあたる茨木のり子に触れたページはない)

しかし彼女の若くして亡くなった夫のことも母親のことも何も知りませんでした。

「清冽―詩人茨木のり子の肖像」はそれらのことをすべて足で取材し、関係者に直接会って、聞いたことを元に書かれた茨木のり子の伝記です。

後藤正治というこの本の作者に感謝したいです。知りたかったこと、知らなかったこと、「はたちは敗戦」だった日本人女性がどう生きてどう死んだか、

彼女の生きた道筋を、彼女の詩作を章立てに使いながら胸に染み入るように語ってくれています。

大正末年に生まれた茨木のり子はホンマもんの軍国少女でした。小説家の田辺聖子が筋金入りの軍国少女だったように。
 
戦争に負けたあと、薬剤師の学校を出た茨木のり子は、その後詩作をなりわいにして、昭和と平成の世を生き、2006年に79歳で亡くなりました。

 昨夜半分ほど読み、これから残りを読むのが楽しみです。本の後半には彼女が愛した山形県庄内出身の夫、三浦安信さんのことが詳しく記述されているようです。

(茨木のり子が12歳の時に結核で亡くなった彼女の母親も庄内出身だと言うことも今回はじめて知りました。)

書中の最初に引用されている詩は、茨木のり子73歳の作品である「倚りかからず」です。

倚りかからず

 もはや
 できあいの思想には倚りかかりたくない 

 もはや
 できあいの宗教には倚りかかりたくない

 もはや
 できあいの学問には倚りかかりたくない

 もはや
 いかなる権威にも倚りかかりたくない

 ながく生きて
 心底学んだのはそれぐらい

 じぶんの耳目
 じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある

 倚りかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さくら                                   

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
据えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を
ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

  

     

むかし女いじめっ子がいた

意地悪したり からかったり

髪ひっぱるやら  つねるやら

いいイッ! と白い歯を剥いた

その子の前では立往生

さすがの私も閉口頓首

やな子ねぇ と思っていたのだが

卒業のとき小さな紙片を渡された

ワタシハアナタガ好キダッタ

オ友達ニナリタカッタノ

たどたどしい字で書かれていて

そこで私は腰をぬかし いえ  ぬかさんばかりになって

好きなら好きとまっすぐに

ぶつけてくれればいいじゃない

遅かった  菊ちゃん!  もう手も足も出ない

小学校出てすぐあなたは置屋の下地っ子

以来  いい気味  いたぶり  いやがらせ

さまざまな目にあうたびに 心せよ

このひとはほんとは私のこと好きなんじゃないか

と思うようになったのだ

 

 

  わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた  

 

  自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難かしくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮しのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

NHK 2022年1月19日(水) 

茨木のり子“個”として美しく 発見された肉声 ☞こちら

 

 

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川柳のおかしみとかなしみは 「やまとのくにの くにたみの ひびの おもひ」②    2011年02月06日「阿智胡地亭の非日乗」掲載

2022年02月13日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
 

懐かしい人を集めてくれた故人(ひと)  佐野 くすグッタリ

ニセモノの壺と知らずに逝った父     米沢 ア北斎

旧友と会って昔の自分知る        札幌 亡国TPP

趣味の欄 人には言えぬと記入する    山鹿 金木賢治

生前も死後も団体ちりめんじゃこ     柏原 柏原のミミ

国境を気にせず生きてこれた幸      相模原 水野タケシ

夕焼けを見なさいメールあとにして    いすみ 野原咲子

係長辞めて補充はアルバイト       川越 麦そよぐ

クラス会4人になって雀荘で       神奈川 カトンボ

人類が絶えると神も絶えるのか      川越 麦そよぐ

育て方はっきりわかる成人式       神奈川 福田うる虎

日本には近くて遠い隣国(くに)ばかり  柏 長谷川正利

自分史を書いてもいいが贈るなよ     岡山 百間川

AVを貸してくれたが8ミリで      和歌山 破夢劣徒

地球より自国大事な米中露         池田 江守十三郎

新婚の和尚の朝の鐘乱れ           奈良 朱雀門

本ビール 贈答ですかとレジの人      北九州 碁キチ

水虫と色気加齢と共に消え         袖 ケ浦 石井理江

小沢氏を好きと言えるも民主主義      生駒 鹿せんべ

古本屋ノストラダムス寂しげに       牛久 ひとちゃん

困らせる質問しない記者を指す        さいたま 高本光政

      いずれも毎日新聞の「万能川柳」から引用

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2月12日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年02月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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