ソグド人という名前はシルクロード展で知りました。


 ヒゲの濃い、目がくぼんで鼻が高い人たちが壁画に沢山描かれて残っています。

 このソグド人はどういう人たちか興味があったのですが、最近ようやく次のようなことを知りました。

「ソグド人はイラン系の民族で、商業活動が得意だった。唐代の長安にも沢山のソグド人が住んでいた。

ソグド人の墓が90年代以降、中国でどんどん見つかっており、現在分かっているのが、50箇所くらいある。

墓誌を見るとソグド人は、中国にも集団で村を作って住み、出身地ごとに異なった姓を名乗っている。 

石(タシュケント)、安(ブハラ)、何(クシャーニヤ)、曹(カブーダン)、康(サマルカンド)、米(マーイムルグ)、史(キッシュ)などがその姓である。

仏教が中国に伝わったのが一世紀ごろで、2世紀から漢文への翻訳がはじまる。2,3世紀の翻訳家は、姓名で判断する限りはおおむね中央アジア出身。

とりわけソグド人が名乗った「康」姓の訳経僧が何人かいるから、その意味ではソグド人が中国に仏教を伝えたともいえる。

鑑真と一緒に日本に渡った中に、「安」という姓の僧がいるが、明らかにソグド人。」

中央アジアから、中国に移住したソグド人の血を引く「安」さんが鑑真和上に従って日本に来て、和上が来日わずか10年で亡くなったあと、

大変なご苦労をされて唐招提寺の金堂を建立されたそうです。

古代から、人というものは考えられないほど平気で、遠方へ移動するものだと思いますが、この安さんは、遠い先祖が紀元前に暮らした中央アジアから、

2世紀頃の先祖が中国に移住し、自分はその子孫として中国で生まれ育ち、仏教僧として日本で布教活動をして日本の土になりました。

*本掲載文は、日経2005年12月3日31面「奈良とシルクロードの語り部たち特集」をベースにしています。

なお、 唐の天宝14年(755年)、玄宗皇帝が重用した節度使の安禄山が、突如反乱を起こします。

安禄山は、その姓からソグド人だったといわれています。 安禄山は、ソグド商人たちを利用し、軍資金を貯えていたことが想像できます。


  安禄山が実子に殺された後を継いだ史思明も、同じくソグドの出身者です。
  763年、ウイグルの援軍を得た唐朝によって「安史の乱」は鎮圧されました。 乱の後、唐ではソグド弾圧の嵐が吹き荒れました。(ネットより)

トップの画像は奈良・唐招提寺の戒壇あと。2005年9月1日奈良で撮影。

 戒壇:戒壇院が建立され,その後下野の薬師寺と太宰府の観世音寺にも戒壇が設けられ、天下の三戒壇と称し、僧尼となる者は必ず登壇受戒することが定められた。

 

 駱駝舞楽胡人俑。ラクダに乗って演奏する胡人の像。俑は副葬用の人形であり、俑の胡人はソグド人を表す。唐代、陶磁器製〈唐三彩唐#美術