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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

豊穣祈る春の御頭祭 諏訪大社上社前宮        長野日報

2022年04月16日 | 諏訪便り

2022年4月16日 6時00分  前宮の十間廊上段の間に安置された御霊代に鹿の頭部をささげる神職

農作物の豊穣を祈る諏訪大社上社の例大祭「御頭祭(酉の祭り)」が15日、御霊代を諏訪市中洲の本宮から茅野市宮川の前宮に移して行われた。

前宮の十間廊で神前に鹿の頭部(剥製)をささげ、北島和孝宮司が祝詞をあげた。

御霊代を乗せたみこしは茅野市泉野の中道、槻木両区の氏子に担がれ、行列を伴って本宮から前宮に運ばれた後、十間廊の上段の間に安置された。

みこしを担ぐ氏子たちは黄色の衣装に身を包み、奉仕に誇りを感じながら本宮、前宮間約1・5キロを往復した。

御霊代の前後は神職、御頭郷地区の原村・本郷・境の大総代や区役員、諏訪大社大総代らが連なった。

十間廊では、鹿の頭をはじめ鳥獣魚類などが供えられた。祝詞をあげ、玉串がささげられた。境内の内御玉殿や若御子社でも神事が行われた。

最後に参列者全員が本殿の方向を見つめて頭を下げた。

初めてみこしを担ぐ奉仕をした伊藤亮太さん(41)=中道=は「みこしの重みから伝統の重みを感じた。

父に代わり、今回初めて担がせてもらったが、この伝統をしっかりと守っていかなければいけないなと感じた」と話していた。

御頭祭  詳しくは☞こちら

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諏訪大社の「御頭祭」   ー狩猟民族の祭ー        15年前の2007年4月18日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年04月16日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

今年も4月15日に諏訪大社上社の前宮で御頭祭が執り行われました。この祭りは3000年前に遡る縄文人の狩猟神信仰が今に連綿と伝わっているものです。

「春告げる諏訪大社「御頭祭」 五穀豊じょう祈願     (長野日報)

 神前にシカの頭をささげて五穀豊じょうを祈る諏訪大社の御頭祭が15日、行われた。諏訪市神宮寺の上社本宮と茅野市安国寺の前宮の間を行列が往復し、諏訪地方に農耕の春を告げた。
 神職や大総代、御頭郷の諏訪市中洲、湖南地区関係者ら約200人が行列を整えて本宮を出発。茅野市中道、槻木の氏子が「黄丁」と呼ばれる鮮やかな色の装束に身を包んで御霊代(みたましろ)を乗せたみこしを担ぎ、到着した前宮では神事で豊作を祈った。
 かつては3月の酉(とり)の日に行われていたため、「酉の祭り」とも呼ばれ、大社の重要な祭りの1つ。好天の日曜日とあって、境内や沿道は例年以上に多くの人でにぎわい、行列の後について歩く観光客らの姿も目立った。」


(上2枚の画像は数年前の新聞から)

茅野市にある神長官守矢資料館clickに往時の祭りの模様のレプリカが展示されています。


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2022年4月16日追記

問い:諏訪大社の御頭祭について、なぜ鹿の頭が供えられるようになったのかが知りたい。
また、なぜ供えられる鹿の頭が生から剥製になったのかも知りたい。
回答
(Answer)
『下諏訪町誌 上巻』 下諏訪町誌編纂委員会編 甲陽書房 1963 【N241/36/1】
 第4章「上代諏訪の狩猟」p.596-608によると背景として、諏訪神社では公式行事として古くから四度の御狩の神事が行われていた。坂上田村麻呂の東征の時、神氏族や金刺氏族(共に諏訪神社大祝につながる氏族)がこれに参加して手柄を立てこの氏族背景により、諏訪神社が日本の軍神として認められたという経緯もある。
 日本の古代の神祭は氏族全員で狩猟を行い、捕獲した鳥獣を神前に贄として掛け、これを供物として神を祀ったが、この祭祀方法は狩猟時代から農耕時代に移るにつれて次第に衰微していった。殊に仏教伝来以後はその勢力が神社に浸透するとともに、このような殺生の神祭と仏教の慈悲的忍辱の思想とは相容れざるものであったので急速に消滅の一途をたった。
 しかし諏訪神社は四度の御狩の理由を神意と田村麻呂に掛けこれを神と猪鹿の結縁のためと強弁し、時代の風潮に順応しながら中世に及んでなお動物犠牲の祭祀方法を続け、後世まで盛んに行われ、現在に至っている。

なぜ鹿を贄にしたのかについては、嘉禎(年号1235年-1237年)に定められた「諏訪上社物忌例」があり、諏訪神社に贄にしてはいけない動物として熊・猿・山鳥・かもしか・岩魚の5種類があげられてる。これに反して他の鳥、鹿、水魚は贄にするものとされているので、鹿や猪・魚(岩魚を除く)・鳥(山鳥を除く)が贄として神前に捧げられたと考えられる。
 熊以下の五種の動物を神の忌むものとして贄にかけなかったのは、神氏族(上社大祝の氏族)がこれらの動物を神聖な動物と考えたため(個々の理由は省略)で、上代諏訪の狩猟の獲物はほとんど鹿と猪だった。また、かもしか、熊、猿は非常に少なかったため、希少動物を神聖視してこれを保護繁殖させようとしたという記載がある。

 また『日本原初考 諏訪信仰の発生と展開』 古部族研究会編 永井出版企画 1978 【N174/34】「諏訪の狩猟信仰」の項p.56には、諏訪信仰の本質として「農作物をすこやかに育てるには田畑を荒らす鹿・猪などの獣や雀などの害鳥を駆除せねばならぬことは日本全土の農民にとって必要な事実であった。」という記載もある。

 なぜ鹿の頭を備えるのかについては、宮坂寛美著「諏訪信仰についての一考察;諏訪大社(上社)の御頭祭にかかわりあいながら」『信濃 第3次』 第50巻4号 1998.4 信濃史学会 p.35-56のp51に、「鹿の頭部が神前に捧げられているが中世にあっては頭部だけでなく全身が献ぜられたとも伝えられ」と記載があるところから、いつごろからなぜ頭だけということはわからないが、以前は鹿の全身が献ぜられていたようである。

 鹿の頭がなぜ生から剥製に替わったかということについては回答につながる資料を確認することができなかった。

 諏訪大社上社本宮に照会したところ、昔は鹿の頭ではなく、鹿本体をそのままお供えしていた。それは、昔はたんぱく源として鹿肉を食べており、生業として狩猟する人も多かったのでお供えされた。現在鹿肉(ブロック)はお供えしているが猟師が少なく以前のようにはお供えされていない。しかし、例えば野菜などは採れるのでお供えされている、とのこと。

引用元

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2022年04月16日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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