阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

パレスサイドビルから白山通りを神田美土代町近くまで歩いて珈琲を一杯飲んで一休みした。

2022年05月28日 | 東京あちこち

目指したランチに満足してパレスサイドビルを出てから 前回はお堀端を東京駅まで歩いたが、この日は白山通りを歩いて御茶ノ水駅まで歩いていくことにした。

パレスサイドビルを出たら目の前はパレスつまり皇居です。

 それにしても徳川さまの忠実なお侍さまたちは将軍様に260年仕えたはずなのに、薩長の田舎もん軍団にたった一日の上野の戊辰戦争で負けて

 みすみす地方人に江戸城を明け渡したのは 何故??。

精強を誇ったあの「旗本八万旗」はその時一体何をしていたんでしょう?・・・・・・。

身体をはって大手門の前に立ちふさがり、芋侍ごときに江戸城を盗られてなるものかと戦った徳川武士は一人もいなかったのか?? どなたか教えてください(笑)。

世界大百科事典内の旗本八万騎の言及 【旗本】より

 旗本の人数は1722年(享保7)には5205人(御家人1万7399人),寛政期(1789‐1801)もほぼ同数値である。
直参総人数約2万2600人に幕府軍役規定による陪臣数を加算すればいわゆる〈旗本八万騎〉に近い数値となる。
旗本の出自は三河以来の旧臣・近国衆に属する者を中心に,大名の絶家・分知で一族家臣の登用された者,名家の子孫,学問技芸によって登用された者などとなっている。…

 

一橋大学の名前が偲ばれるエリアを通過

学士会館の所から神田警察通りへ 

問題になっている銀杏並木は確かに切ってしまうのは大きな文化財産の喪失になると思った。

博報堂が入っているビル

神田美土代町に通勤していた昭和50年代に時々食べていたラーメンの「龍岡」の店が当時と全く同じ場所にあって今も営業しているのが嬉しい。

40年ほど前自分が13年間通勤した仕事場だったあたりでゆっくり相方と珈琲を飲む日が来るとは思いもよらなかった。この神田錦町にある「米本珈琲店」は当時はなかったが・・。

 

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3年ぶり華やかに「お祭り」  諏訪 高島城祭       長野日報

2022年05月28日 | 諏訪便り
2022年5月23日 6時00分

高島城祭で糸魚川市の奴奈川祭り実行委員会が披露した舞

第53回高島城祭(諏訪市などでつくる実行委員会主催)が22日、同市の高島公園で開かれた。

諏訪高島城保存協力会代表理事で諏訪家第15代当主の諏訪忠則さん(58)=川崎市=の高島城名誉館長就任式があったほか、松本城鉄砲隊の砲術や、

神話を縁に結び付きを強める島根県出雲市、新潟県糸魚川市、諏訪市の団体の和太鼓や舞などがステージで披露された。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、規模を縮小しながら「お祭り」としての各種の催しを行うのは3年ぶり。感染防止対策を講じて開いた。

式典では実行委会長の金子ゆかり市長が「伝統を受け継いでいることは誇り。コロナ下だが、前に進んでいく機会になれば」とあいさつ。

続いて金子市長が高島城名誉館長の委嘱状を諏訪さんに手渡し、諏訪さんは「大役を授かった。微力ながら諏訪市の発展を応援したい」と述べた。

                            実行委会長の金子ゆかり諏訪市長(左)から高島城名誉館長の委嘱状を受ける諏訪忠則さん

ステージ発表は松本城鉄砲隊の砲術で幕開け。西堀恒司隊長(73)率いる隊員約10人が火縄銃で空砲を撃ち、ごう音を響かせた。

出雲、糸魚川、諏訪の3市は「かみがたりネットワーク特別ステージ」を繰り広げた。出雲市は「雲州ひらた太鼓」のメンバー7人が迫力ある和太鼓の音色で会場を楽しませた。

糸魚川市は、奴奈川祭り実行委員会が舞を披露し、メンバーの一人が奴奈川姫に扮して幻想的で華やかに舞った。

男女2人のフルートとキーボードのユニット「ア・ラ・フネーズ」も出演し、3市にゆかりの曲などを演奏した。

諏訪市は、本町2丁目の有志が勇壮な「諏訪龍神の舞」で祭りを彩った。市木遣保存会の木やりもあった。

園内には出雲市、糸魚川市などの特産品や地元産品を販売するテントが立ち並んだ。市民ら来場者たちは五月晴れの下で祭りを楽しんでいた。

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神話の縁結び かみがたりネットワークPR動画【本編】

神話の縁で交流促進 出雲市、糸魚川市と諏訪市が協定 → こちら

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志布志・県議選事件   鹿児島県警が警察庁長官表彰を返納 (2008年03月15日(土) 「阿智胡地亭の非日乗」掲載)

2022年05月28日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2008年03月15日(土) 「阿智胡地亭の非日乗」掲載

鹿児島県警が警察庁長官表彰を返納しました。

県民の思いを代表して行動に示すという、本来議員職とジャーナリズムが持っているチエック機能をまっとうに果たせば、こういう結果も出るというサンプルでしょうか?

それにしても、県警というムラ社会の論理優先で「返納しない」と強弁していた県警本部長さんが、一転して答弁を改めた本音の理由を知りたいもんです。

世論に押された?そんな理由ではなさそうな・・

国家公安委員会が富山と鹿児島の冤罪事件のせいで、警察という国の治安維持装置に対する、国民の信託のゆるぎに危機感を持ったのは事実でしょうが・・。

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志布志・県議選事件 県警、長官表彰を返納
捜査員本部長表彰も
南日本新聞(2008-03-05)から引用。


 2003年の志布志・県議選事件で、鹿児島県警が「警察庁長官表彰」を受け、無罪確定後も返納も取り消しもしていなかった問題で、

県警は4日、警察庁に表彰を返納することを伝え了承された。

県警が当時の捜査員4人らに授与した本部長・刑事部長表彰についても、同日付ですべて返納された。

 警察庁によると、全国の警察で警察庁長官表彰を返納した事例は過去にない。

警察表彰規則には組織・部署からの長官表彰返納や取り消しを想定した規定はなく、県警の決定は極めて異例。

 県警によると、長官表彰の返納は「県警の業務に対し県民の理解と協力を得るため、諸般の事情を総合的に勘案して決定した」という

判断材料として(1)無罪判決が確定(2)県議会一般質問で2度の返納要求(3)県警独自の再発防止策や警察庁の取り調べ適正化指針公表-などの情勢の中、

同日の県公安委員会で「適切に対応すべき」との指摘を受けたことなどを挙げた。

 県警内の表彰については、授与された捜査員4人と志布志署が長官表彰返納の連絡を受け、自主的に返納を申し出てきたという。

表彰は賞状のほか、副賞として長官表彰には現金3万円、県警の警部補1人への「本部長賞誉」にはメダル(1300円相当)、

警部補と巡査長計3人への「刑事部長内賞」に図書券各1000円分、志布志署には現金5000円が贈られた。

本部長賞誉には、2003年冬のボーナスのうち勤勉手当分の2%加算(数千円程度)があった。

 県警は「無罪確定は組織として捜査した結果。困難な捜査に従事した捜査員の評価が変わるものではない」として、

副賞の返還については、捜査員個人への負担は求めず、相当額を本部長と複数の幹部で返還するという。

 県警の藤山雄治本部長は2月29日の県議会一般質問の答弁で「無罪になったことをもって功労がなかったという判断にならない」と

本部長・刑事部長表彰を取り消す考えがないことを表明。

しかし、3月3日の答弁では一転して取り消しの検討を明らかにし、長官表彰についても「あわせて検討する」としていた。

 
2008年3月15日 
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